交わりたくない相手と密会 4

「げ、猊下! いつの間にお出でになられたのですか!」


 役人の狼狽えた声が響く。


「そんなに驚くでないわ、あー、イヨンダだったかの?」

「は、はいっ! イヨンダ=ライダックです、ウルヴェス猊下!」


 頭を隠して尻隠さず、とまではいかないがしゃがんだまま両腕で首と頭を守っていた店主は、恐る恐る声の方向に目を向ける。


 真っ白なローブで全身を覆っている老人が、イヨンダと呼ばれた役人の横にいつの間にか立っていた。


「あー、テンシュ、とか言ったかの? 怖がらせてしもうたの。なぁに、獲って食おうなど考えとらん。そんなに警戒せんでもよいぞ?」


「……保護色とか擬態とか、そんなチャチなもんじゃねぇ……。無色透明。あんたの姿はまさしくそれだった。それでも有り得ないほどでけぇ力の存在は分かった。だがその意志までは全く分からねぇ。警戒するなってのも無理な話だ。この女の言うことにゃ、俺の住む世界に簡単に押しかけられるっつってたしな」


 老人がフードを脱ぐ。人懐こそうな笑顔が長い白髪と白く長いあごひげと共に現れた。


「……まぁそれくらいの力量はあるつもりじゃが、だからこそ分を弁えたり謙虚であり続けることも大切ではあるのじゃがな。改めて礼を申そう」


 目じりと共に下がっていた白い眉がやや上がる。


「テンシュ殿も聞いておるかの? オルデン王国を建て直そうと、この国を作り直そうとするために、国民達の踏み台になる覚悟を負って、一時的にこの国を天流法国と名前を変えて、その上に立たせてもらっとる法王のことを。ワシのことじゃよ。ウルヴェス=ランダードという者じゃ。よろしくの、テンシュ殿」


 店主は警戒心を解くことが出来ない。敵意を露わにした目線はその老人に向けつつ、体を丸くしたまま。


「ちょ、ちょっとテンシュ! お辞儀くらいしなさいよっ!」


 セレナはいつの間にか店主の横で片膝を床に着き、その老人に最上級の礼をしていた。


「バカ言うな! 俺はこの国の民じゃねぇ! このジジィが俺に危害を加えようと思えばいつでもできるんだぜ? 何の痕跡も残さずにな!」


 店主は自分の世界に逃げようとしても、この老人はその力を以って追いかけてくるくらいのことは余裕で出来る。本人がそう言った。

 それでも言語が違う世界の人間との意思疎通も簡単にできるだろうが土地勘まではない。今ならまだ逃げ切ることは出来る。しかし一瞬でしがみつく距離にセレナがいる。


 ウルヴェスは困った顔をする。まるで駄々をこねている幼児に、どう対応するのが一番いいか悩む大人の顔。

 そして行動に移す。

 セレナと同じような礼を、この老人が店主に尽くした。

 四人はその行為に驚き、店主はさらに怯えるように反射的にウルヴェスから遠ざかる。


「げ、猊下! 別世界の人間にそこまでっ……!」

「そ、そんな畏れ多い事なさらないでくださいっ!」

 イヨンダとセレナが同時に叫ぶ。


 ウルヴェスは年相応の震えた声を絞り出す。


「その別世界の人間に信頼してもらえるには他に思い当たることがないのでな。褒美などはいろいろ用意はしておる。別世界でもおそらく価値があるであろうことをな。じゃが、相手に信頼してもらう方法は、実に少ないものじゃ……」


 店主はそれでも警戒を解かない。


「……あんたが俺に会いたがっていると聞いた。俺には、そんな権力者が会いたがる理由が思い浮かばん。会わなきゃならん理由もない。それに俺の力はあんたどころか、この店に依頼しに来る者達に遠く及ばない。そんな相手に頭を下げるなんざ、下心があるとしか思えねぇ。この世界に貸しは作ってもいいが借りは作りたくねぇ。あんたが頭を下げるだけで借りになりかねねぇし、あんたが俺に借りが出来たって気にするこたぁねぇしな。受けた恩は石に刻め」


「かけた恩は水に流せ、かの? この世界にはいろんな種族がある。共に穏やかな世界を築くためにはどのように生きるか。その言葉も天流法国の指針の一つじゃよ。ましてやワシはその一番上に立たねばならん。見本になれなければ上に立つ資格すらない立場じゃよ。まぁそれでも個人レベルでは、異なる種族を越えて共に平和な時代を作ろうと志す者は少なくなるようじゃがな」

 店主の言葉を、寂しそうな顔でウルヴェスが続ける。


 世界が異なろうとも、同じ言い回しが存在することに店主は驚く。


「テンシュ殿。ワシはな、調査団救出成功の立役者に相談に乗ってほしいだけなんじゃよ……」


 とてつもない力を秘めている老人は、それでも深い悩みから逃げることができずにいた。疲れた顔で、言葉に表した縋りたい気持ちを店主に向けていた。

 その気持ちの相似形は、店主は今も抱えている。しかし店主と法王の違いは、その逃げ場所があるかないか。

 店主はようやく気持ちを落ち着け、体をウルヴェスに向けた。

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