客じゃない客 8

「覚えてる? ここで私店を始めたの。ずいぶん昔の話になっちゃったな。お兄ちゃんは顔出してくれなかったんだよね」


 セレナが柔らかな表情で、後からついてくる同じ種族の男性に話しかける。

 彼女の言葉に、彼はゆっくりと首を横に振る。

 それを見て、女性は悲しそうに俯く。

 表情一つで元に戻るきっかけが掴めるかもしれない。

 そんな思いで彼の方を向き直り、明るい口調で話し続ける。


「そのお店ね、模様替えしたの。お兄ちゃんみたいに別の世界に飛ばされて、その世界の人を連れてきちゃってね」


 そう言いながら、ゆっくりとカウンターに近づく二つの影。


「……名前教えてくれないんだけど、呼ぶならテンシュでいいって。おかしいよね」

 

 セレナはカウンターの方を向き、改めて店主に声をかける。


「ただいま。戻ったよ」


 返事がない。

 机に向かい、手元の作業以外眼中にないような、その奥にいる男は懸命に作業している。

 いや、集中しているふりをしていた。

 実際、帰ってきてすぐに二人に声をかけたのだから。


 自分の前にいる男は、彼女に見せるいつもと変わらない様子を彼女に見せている。

 自分の後ろにいる男は、彼女に見せるいつもとは全く別の様子を彼女に見せている。


 生死さえ分からなかった、どこに行ったかも分からなかった、それらを知りたかった相手がようやく見つかった。

 なのにどうしてこうなったのか。


 彼女は店の奥の男の、一心不乱に作業する姿を、一つ二つとこぼれる涙もそのままに、しばらくそのままで見つめていた。


──────────────────


「……ウィリック=アーワードです」


 後ろの男が挨拶をする。


「……どうも。私のことは、テンシュでいいですよ」


 セレナの話から聞いたイメージとはだいぶかけ離れている。

 無駄な肉がないどころか、必要な筋肉もなさそうな痩躯。頬は痩せこけて土気色。

 生気がなさそうな目。


 店主は、セレナにかける言葉を探すことを諦めた。

 何を言っても他人事。ましてや別世界の住人である。


 人とはどんなに落ち込んでいても、可能性がゼロではない限り今よりもわずかであっても明るい展望がどうしてもちらついてしまうものである。


 行方不明の時は、見つかればいいと思う。

 見つかったという情報が入った時は、生きていればいいと思う。

 生きていれば、無傷でいてほしいと思う。

 無傷でいれば、元気でいてほしいと思う。


 自分の世界でもこっちの世界でも同じことか、と嘆息する。

 見つかっただけでもいいじゃないかと思う。

 意思疎通できるだけでも十分じゃないかと思う。

 だがおそらくそのことを口にしたら、セレナとて同じ反応を示すだろう。


 見つかってよかったじゃないか。怪我がなさそうでよかったじゃないか。

 見つからなくて苦しんでいる人はまだたくさんいるはず。

 治らない怪我を負う人からすれば、幸運に恵まれたことだろう。

 今朝の彼女はそう思っていたはず。

 そのときですら、店主はかける言葉が見つけられなかった。


 職業柄、そのような現場に立ち会ったことは数え切れないなんてものじゃない。

 沈黙は金。

 それでも八つ当たりの対象にされたことも何度もあった。


 たとえ寿命が人間と比べて桁外れに長くても、必ずしも達観しているとは限らない。

 このまま向こうに帰ったとしても、間違いなく夢見が悪い。

 とは言っても向こうではまだ開店前の時刻だが。


「……セレナ」

「……何?」


 店主はもう一度ウィリックの方を見る。


「その男、目離しできないだろ」

 セレナは言葉に詰まる。そして新たに涙が一粒こぼれる。


「この仕事、まだ中途半端でな。もう少しここで作業してる。構わねぇよな」


「ご、ご飯まだじゃない? 私……」

「今朝のおにぎりがな、力いっぱい握ったやつだったから、腹の中でまだ残ってる。それに向こうに帰ってしばらくしたら昼飯が待ってる」


「……そ……そっか。……お、お茶淹れるよ。水分は摂らないと、ね?」

「そうだな、頼む。……何かあったら呼び鈴鳴らせ。なるべく付き添ってろよ」


 この店主の言葉には、少し間が空いてから


「うん……ありがとう」

 と小さい声が返って来た。


 心はおそらく小さい頃の思い出に浸っているのか、セレナのいつもの口調とはちょっと違うことに店主は気付く。


 彼女の気持ちにそれほど余裕がないと判断した。


 何か買い物が必要ならコンビニに……って、こっちにはそんなものはなかったか。

 いや、その前に俺がここから外出禁止になってたんだよな。


 店主にとって大事なことをすっかり頭から抜けていた。


「俺も釣られて深刻になってどうすんだよ」


 二人が二階に上がった後にぽつりとこぼした後、作業場付近以外の店内の明かりをすべて消し、作業を開始する。

 しかしその作業は今までと違い、集中力がかなり落ちている。

 上からはセレナのすすり泣きが時々聞こえるのはそのせいである。その泣き声が店主の集中を阻んでいるのではない。


 突然夜中に店のドアが開く。


「誰かいるの?」

「まだ起きてるのかしら? 明かりついてるもんね」

 と言いながら、入って来る気配は二つ。


「来訪者が『誰かいるの?』はないだろう」


 小声呆れる店主の声に反応した来訪者。


「え? テンシュさんいたの? 大丈夫なの?」

「え? 日を跨いだらどうのって言ってなかった?」


 彼女らの問いに、店主は額に指をあてて悩まし気に愚痴る。


「あんな様子でほっとけるわけゃねぇだろうが。おまけに仕事に集中出来ねぇし、最悪も最悪だ。で、お前らは?」


「私達? キューリアよ。忘れたの?」

「私はヒューラーです」


「はい、そこで二人揃って?」


「えーと、またわかんないこと言ってるし」

「名前覚えなさいよ、ホント」


 二人揃ってふくれっ面になる。


「あぁ、わかってるよ。で、お前らは?」

「いい加減にしなさいっ!」


 ヒューラーが少し怒る。しかし。


「……何しに来たんだって聞いてるんだが?」

「日頃の言動って大事よね……」


 ヒューラーが腕組みをして納得顔で自分で言ったことに自分で頷く。

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