第十八章 セントラル編
第130話あらやだ! セントラルへの航路だわ!
普通の船でノースからセントラルに行こうとすると十五日はかかる。潮流の関係で船の進みが遅いことと大陸間の距離がそんくらいあるからや。せやけど旧アストとセントラルの国、モンタークとの航路は特殊な海流が二本あり、そこに乗れば行き帰りが三日で済むんや。
契約してたアストが無くなってソクラ帝国の領土になったとき、皇帝が新たにモンタークと交渉して使えるようにしてくれたおかげで、政府公認の船で特別料金を払えば庶民だろうと利用できる。まあ裏を返せば特別料金を払わん限りは貴族でも利用できひんちゅうことやけど。
もちろんあたしとキールはその船に乗ることにした。せやけど――
「おろろろろろろろ!」
「大丈夫かキール。まさか船酔いがこないに酷いんとは思えへんかったわ」
盛大に桶に吐いとるキールの背中をさすってあげる。乗って数時間も経ってないのに。これはやばいなあ。
「吐き終えたらこれ飲むんや」
「はあ、はあ、なんだそれ……」
「酔い止めや。少しは楽になるやろ」
顔色の悪いキール。そういえば乗船する前に「船に乗るのは初めてだな」とどこか嬉しそうに言うてたな。
でもこないになるとはキール自身、想像もしとらんかったやろ。
「どうして揺れるんだ……どうして動くのだ……」
「それが船やし、動かな意味あらへんやろ。落ち着いたら薬を水と一緒に飲むんやで」
キールを残してあたしは酷い臭いのする、酔いの酷い人のために用意された医務室と言う名の大部屋から出て行った。他にも吐いとる人間多いからな。
船内を進み食堂を通り過ぎて、あたしは大広間に来た。食欲はなかったし、個室に戻るんはなんか寂しいやんと思うたからや。
「おっ。そこのお嬢さん。素敵な香水をつけてますね!」
あたしのことやろか? 声のするほうを見ると小柄なおっさんが椅子に座っとった。結構距離あるのに、よう気づいたなあ。
「あたしんことか? あんたは――」
「へへっ。あっしはグリル。ホビットのグリルでさあ。ブリリアント銀行の首席手代を務めてさせていただいております」
「へえ。お偉いさんやんか」
それにしては身なりが普通の旅人と変わらん。頭頂部が少しだけ禿げてる緑色の髪。にこにこ微笑んどる。垂れ目で手を揉み揉みしてるけど隙がない。
「ああ、あっしの格好ですか? そりゃあお嬢さん。奢侈な姿でしたら賊に襲われるじゃないですか」
「なるほどな。商人、いや金貸しの知恵ちゅうやつか」
ここでホビットについて話しておこう。ホビットは友好種族の一つで、主に金融業を営む。大昔、人間と龍族の戦いで兵站、つまり食料の手配で活躍してくれたと授業で習った。もしもホビットが味方にならなかったら人間は負けてたとクヌート先生は言うた。
ホビットが人間の味方をしたんは、三女神が龍族から奪った経済感覚に惹かれたからとされている。龍族は経済活動や金融業をほとんどしなかったらしい。せやから人間が勝つことは種族を繁栄させることにつながるとホビットたちは考えたみたいや。
ちなみにホビットたちには身分は存在しない。稼いだもんが偉いとされとる。ここで重要なのはお金を持っとるもんではなく、稼いだもんが偉いちゅうことや。
「つかぬことをお聞きしますが、お嬢さんのお名前は?」
「うん? ああ、ユーリ・フォン・オーサカや」
「ユーリ……ああ! あの有名な!」
得心いったように手を鳴らすグリル。
「あなた様のおかげで商売敵は軒並み損をしましたよ。アストとイデアルの戦争に投資してた商会や銀行はね」
「あんたんところは損せえへんかったのか?」
「直前に撤退したんでさあ。ま、競争相手が多すぎて不経済だったのが理由ですが」
確かに戦争は儲かるってデリアのおじいちゃんも言うてたからなあ。ホビットたちが投資するんも分かるわ。
あたしはグリルの真向かいに座った。机を挟んで向かい合う。
「それで、平和の聖女さまがどうしてセントラルへ?」
「医者を探しとる。あんた何か情報知ってないか?」
「医者といってもたくさん居ますからねえ。どんな医者ですか?」
あたしが言おうとすると「ああ、ちょっと待ってくだせえ」とグリルは制した。
「情報料を頂きたいでさあ。あっしは商人です。只というわけにはいきません」
「そうやな。あんたは正しい商人や。セントラルの金でええか?」
ノースから出るときに港で両替をしたんや。金貨百枚、銀貨二百枚、銅貨五百枚持っとって、個室の金庫に置いてある。今の手持ちはそれぞれの硬貨十枚ずつや。
「ええ構いません。まずは探している医者の特徴を教えてください。条件にあった医者の情報を教えましょう」
「なんでそないに詳しいんや?」
「情報は財産ですからねえ」
そないな考えは前世にもあったな。もしかして一番賢いのはホビットかもしれん。
「分かった。探しとるのは先進的な医療をしとる医者で、その医者は医学的な発見をしとる。これだけで見つけられるか?」
「ふむ。先進的で医学的な、ですか。それなら銅貨五枚でいいでしょう」
「……えらい安いな」
グリルは「市井の噂で広まってますからね。その医者は」とにこやかに言うた。
あたしは銅貨五枚を支払った。
「まいど。それではお答えします。お探しの医者は『ドクター・プリズム』ですな」
「ドクター・プリズム?」
グリルは「セントラルの地理はご存知ですよね」と言いながら懐から地図を広げた。
「一番北があっしたちが向かっているモンターク。そこから時計回りにザムスターク、フライターク、ディーンスターク、ゾンターク、ドンナスターク。そして中央には聖地ミットヴォッホが建国されています。ミットヴォッホ以外は『敵対せずとも協調せず』という六ヶ国不戦協定が結ばれております。医者は――聖地ミットヴォッホにいます」
あたしは「その医者は聖地に居るんやな」と念を押した。
「ええ。聖地の聖都、ハギオスでは有名でさあ。とにかくそこに向かえば会えるでしょう」
あたしは「ありがとうな。助かったで」と笑顔で言うた。
「お礼はいいですよ。それより誰の具合が悪いんですか? もしかして無双の世代の誰か?」
「詮索はよしてくれや」
その後、顔色の良くなったキールが来るまでグリルと話をした。なんでも妻と娘が居るらしい。微笑ましいなあ。
「ユーリ。酔い止め効いたぞ! 素晴らしいな! うん? そこに居るのはホビットか?」
キールの言葉に「へえ。ホビットのグリルでさあ」とグリルは応じた。
「そうか。俺はキールだ」
「キール。グリルのおかげで医者の情報が分かったで」
「なんと! ありがとうな、グリルとやら!」
「お礼は別にいいですよ」
酔い止めの効いとるキールはテンションが高かった。
でも酔い止めがもうないこと、そして残り二日間船酔いに苦しめられることになるとは、キールは全く知らなかったんや。
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