第129話あらやだ! クラウスが語るわ!
目的が定まった日の夜。あたしは魔法学校の寮でドワーフに作ってもらう医療器具の図面を眺めとった。明日ランドルフに渡すんやけど、不備がないか確かめてたんや。
しかし再現できひんものもあった。この世界にはゴム製品がない。その代用になるもんもない。案外それがネックになるのかもしれん。
そないなことを考えとるとノックの音があたししか居らん部屋に響いた。続いて「ユーリさん。僕です。クラウスです」と声がした。
あたしはドアを開けた。そこにはいつものローブ姿のクラウスが居った。
「なんや? 夜這いか?」
「ご冗談を。ユーリさんを夜這いする度胸なんて僕にはありませんよ」
ま、そないな奴やあらへんことぐらい分かってるけどな。
「何の用か知らんけど、まあ入りや。紅茶ぐらいしかないけどな」
「そう思いまして、クッキーを焼いてきました」
「気が回りすぎや」
軽口を叩きあいながらとりあえず部屋に招き入れて、椅子に座るように促した。あたしは自分のベッドに座ることにする。
「よくここまで誰にもバレずに来れたな」
「もう深夜ですよ。起きてる人は少ないです」
「なんであたしが起きてるのが分かったんや?」
「窓に明かりが点いてましたから」
あほな質問をしてもうた。あかんな。いろいろあって頭が疲れとるな。
あたしは立ち上がり、ポットに茶葉を入れて、沸かしたお湯を注いだ。しばし待ってティーカップに出来上がった紅茶を淹れた。その間、クラウスは持参したクッキーを分けとった。会話はなかった。
紅茶とクッキーを食べながら、あたしはクラウスがなんで来たんか考えとった。
「昼間は言い過ぎましたね」
切り出したんはクラウスやった。あたしは「気にしとらん言うたら嘘になるな」と正直に言うた。
「でもあたしは正しすぎたのかもしれんな」
「……あなたに救われた人はたくさん居ます。そして今、イレーネさんを救おうとしている。それでも僕は――」
言葉をためて、そして言う。
「ユーリさんがこだわりすぎだと思うんです」
「……何にこだわっとるんや、あたしは」
「自分の死ですよ」
クラウスは「説教するつもりはありません」と前置きしてから言うた。
「もしかしてと思いましてね。ユーリさんは子供を助けた自分を正当化しようと思っているんじゃないですか? それでこの世界でも人助けをしている」
「考えすぎや。あたしはただおせっかいなだけのおばちゃんや」
「かもしれませんね。でもそう考えたほうがしっくりくるんですよ」
クラウスは紅茶を一口含んだ。
「気味が悪いほどにしっくりくる。まるでパズルのピースが嵌るように」
「そうだとしても何があかんのや……ああ、正しすぎるってことにつながるんやな」
クラウスは頷いた。あたしはクッキーを齧った。とても甘かった。
「僕はユーリさんが心配です。いつか自分の身を犠牲にして、何かするんじゃないかと不安で仕方ないんです」
「そないなことせえへんよ。ヒーローやあるまいし」
「もうヒーローみたいなものですよ。平和の聖女さん」
それから沈黙が続いた。あたしは何を言えばええのか悩んどった。
「……僕の話、していいですか?」
またしても口を開いたんはクラウスのほうやった。それは驚くことやなかったけど、クラウスが自分の話をするんは初めてやったから戸惑ったんや。
「珍しいやん。クラウスが自分の話するなんて」
「僕、つまりクラウスの話ではなくて、前世の宮内邦夫の話なんですけどね」
ますます驚いた。前世のことを語るのは初めてやったし。
宮内邦夫――そういえばそないな名前やったな。
「ええよ。なんでも聞いたるわ」
「ありがとうございます。僕の家は自慢になってしまいますが名家でしてね。幼い頃から英才教育を施されていたんですよ」
だから頭がええんやな。
「いずれ父の跡を継いで政界に出る予定でした。父も母も祖父も僕に期待していましたね」
「それがなんで料理人に?」
クラウスは軽く笑うてから「アルバンくんと同じですよ」と韜晦するように溜息を吐いた。
「とある料理人の料理に感動しましてね。まあ料理人目指すって言ったら勘当されましたけど」
「韻踏んどるけど面白くないわ。でも勘当か……」
「そのくらい厳しかったんですよ。政治家ではなく官僚や弁護士でしたらまだ許してもらえましたけど、僕は料理人になりたかったんです。だから手切れ金を貰って、料理の道を志したんです」
想像もつかん世界やな。子供と縁を切るなんて……でもあたしも同じようなもんか。前世での縁を子供助けるために切ってもうたからな。過程は違うても結果は同じか。
「高校を卒業してすぐに修行をしました。調理学校に入ってバイトしながら勉強して、調理士免許を取って、現場で働いて。料理と呼ばれるものは何でも作れるようになりました」
「努力家やな。せやけど両親やおじいさんはどうなったんや?」
クラウスは笑った。乾いた声音やった。
「祖父が倒れてしまったことを母が伝えてくれました。母も反対してましたけど、何かと目をかけてくれたんです。祖父の病名はガンでした。胃ガンです。転移していて助からなかった。僕は祖父に料理を食べさせてあげたかったけど、祖父にはほとんど食べられるものがなかった――」
後悔しとるんやろな。料理を食べさせたい肉親がそないなことになってもうてるなんて。
「結局、食べさせてあげたのはわかめの味噌汁でした。ガンの進行を遅らせる効果があるとどこかで聞いたことがありまして。そのとき、祖父は泣きながら食べてくれました。ああ美味しい。こんなに美味しい味噌汁は初めてだ、と。僕も泣いてしまいましたね」
「……その、聞きづらいんやけど、おじいさんは?」
「結局亡くなりました。でも最期は安らかに逝けましたよ」
おそらくやけどクラウスのおじいさんは幸せやったと思う。そう思いたいわ。
「父とも和解しましてね。僕が料理人になることを許してくれました。料理も食べてくれましたし、母も泣いて喜んでくれました。その矢先、僕は――死んでしまいました」
ハイジャックで飛行機が墜落してしもうたと聞いとる。
「僕は駄目ですね」
唐突にクラウスは言うた。そして冷めてしもうた紅茶を飲み干した。
「何が駄目やねん」
「前世のことを引きずっていて、駄目です。二人のようにはいかない」
「あたしだって引きずってるわ」
「いえ、僕とユーリさんは違いますよ」
クラウスはあたしの目を真っ直ぐ見て、真剣な表情で言うた。
「ユーリさんは前向きに生きている。そして正しく生きている。だけど僕は前世に縛られている。この世界でも料理人になっていますから」
「それが悪いこととは思えんわ」
「分かっています。でもあなたやランドルフさんのような人を見ていると――眩しすぎて眼が眩むんです」
ここでようやく、クラウスが何を言いたいのか理解できたんや。昔あたしは二人にこう言ったことがある。『過去は縛られるもんやなく、振り返るもん』と。でも過去ちゅうもんはアルバムみたいに懐かしむのではなく顧みるもんや。それは死んでからも変わらん。死んで終わりやないんや。しがらみがあっても、それを受け入れなあかんのや。
「そうやな。前世のことは割り切れへんよな」
この一言であたしが理解したとクラウスは悟ったようや。
「すみませんね。こんな夜更けに暗い話をして」
「ええよ。あたしはむしろ嬉しかった」
あたしはクラウスに対して、真摯に言うた。
「あんたの本音が聞けて、良かったわ。ありがとうな」
早朝。あたしはセントラルに向かうため、エルフの国と同じようにソフィー港へ行く。その際、見送ってくれたんはデリアやった。クラウスはイレーネちゃんの面倒を看てくれとる。ランドルフは途中まで一緒やから見送るとは違うな。
「一ヶ月よ。それ以上時間をかけないで」
デリアはあたしの手を両手で握りながら言うた。
「ああ。絶対に見つけてみせるわ」
「……ユーリさん、こっちに誰か来るぞ」
こんな朝早くに? あたしは振り返った。
そこには旅支度を整えたキールが居った。
「あんたは……もしかして」
「そうだ。ユーリ、貴様を助けたい。いやイレーネを助けたいと言ったほうが正確か」
ランドルフは「どういうことだ?」とキールを睨みつけながら訊ねた。
「他意はない。イレーネは親衛騎士団の候補だ。義父上の役に立つかもしれん。だから助けたい」
「……信用できるできない以前にお前は役に立つのか?」
ランドルフの疑惑の目に「馬鹿にするな!」と喚くキール。
「俺は闇以外の五属性を扱えるし、中級魔法まで習得済みだ。そこらの魔法使いよりは役に立つ自信がある」
それを聞いたあたしは「自信よりも覚悟あるか?」と訊ねた。
「もしあたしが死んだら、代わりにあんたがやるんやで?」
「ユーリ! 死んだら許さないんだからね!」
デリアに「分かってるわ。もしもの話やで」と笑いかけた。
「覚悟はある。なければこの場には居ない」
「よし。なら一緒に行こか」
ランドルフは「いいのか? あんな奴、役に立つとは思えないが」と耳打ちした。
「熱意はあるからな。それに人手は欲しい。なにせ人探しやからな」
「まあそうだけどな。あんたがいいならいいか……」
あたしは昇っていく朝日を見た。
そして気合を入れ直す。
イレーネちゃんを絶対助けてみせる!
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