第110話あらやだ! 万能薬の研究だわ!

 ヘルガさんの診断の結果、肺炎っぽい病気やと分かった。


「なんだその肺炎っぽい病気ってのは」


 ランドルフが疑問に思うんは当然やった。あたしかてそないな言い方はしたくなかった。


「あくまでも前世での肺炎と似とるちゅうだけで、ほんまに肺炎かどうか分からん。異世界における肺炎は別の言い方かもしれんしな。もしかして異世界特有の病かもしれん。せやから暫定的にそういう言い方になってまうんや」

「なるほど。じゃあ肺炎の薬、もしくはデリアが言ってた万能薬を作ろうとするんだな」


 ランドルフはそう言うて、薬草の詰まった袋を床に下ろした。

 あたしも同じように下ろしながら部屋の様子を見る。薬研やら調合皿やらすり鉢やらが乱雑に置いてある、あたしに用意された部屋。


 もちろん実家やのうてデリアの屋敷に作られた『研究室』やった。なんでもデリアはあたしら四人がいつ泊まってもええように部屋を用意してくれたらしい。金持ちの発想はぶっ飛んどるなあ。

 ランドルフに手伝ってもろうて、方々から手に入れた薬草を部屋ん中に入れてもらった。これから実験やら研究やらが始まる。


「ランドルフ。あんたが魔族討伐に向かうんは火の月やったな」

「ああそうだ。そこから一年、いや二年は北の大陸には戻れない」

「じゃあその前に万能薬作らなあかんな」


 こういう場合は時間がないと思うたほうがええ。今は風の月の後半やから、残り三ヶ月しかない。せやから二ヶ月やと思うんや。


「あまり根を詰めないようにな」

「あはは。そうやな。でもそうしないと駄目やろ」


 あたしはにっこりと笑うた。


「素人がノーベル賞に挑むようなもんや。無理しようが何しようが、結果を残さんとあかんわ」

「……なんでそこまでしてくれるんだ?」


 ランドルフは不思議そうに訊ねた。


「確かに俺とあんたは友人だ。転生者仲間だ。でも義姉さんとあんたは何も関係ないだろう」

「あほ。あたしがヘルガさん治したいのはそんなんちゃうわ」


 あたしは当たり前のことを言うた。


「人の恋路を応援したり囃し立てたりするんは、おばちゃんの特権なんや。せやからこれはあたしのためでもあるんや」


 それを聞いたランドルフは――くすりと笑うた。


「なんだそりゃ。お人よしにもほどがあるぜ」


 そしてランドルフは真っ直ぐあたしを見た。


「もしも俺にできることがあるなら、なんでも言ってくれ。薬の実験台でもなんでもなってやる」

「健康優良児のあんたは実験台に不向きやわ。でも気持ちだけは受け取っておく」


 あたしは大きく息を吸って、それから吐いた。頬をぱあんと両手で叩いた。


「さあやるで! 異世界への挑戦や!」




 それから水の月に入るまでろくに部屋も出ずに研究を行なった。

 研究を助けてくれたんはデリアとエルザ、そしてガーランさんやった。

 何かと身体を気遣ってくれるデリア。そして心をケアしてくれるエルザ。

 それに加えて、ガーランさんが自分の書店からぎょうさんの本を取り寄せてくれた。


「助かるわ。やっぱ自分の知識だけじゃ限界あるからなあ」


 薬草学の本をぺらぺらと読みながらお礼を言うとガーランさんは「良い知らせと悪い知らせがある」と言うた。


「良い知らせと悪い知らせ?」

「どっちから聞きたい?」

「じゃあ悪い知らせから」


 ガーランさんは「世間でお前の研究が明るみになっている」と切り出した。


「うん? どこから漏れたんや?」

「以前会った裏ギルドのボス、アンダーと呼ばれる男に言われた。古都に帰っているときにな。何でもプラトの情報屋から仕入れたらしい。事実かどうか問われたので肯定も否定もしなかったが、あの様子だと確信しているな」

「まあアンダーなら分かるやろ。それに薬草の仕入れからも分かることや」


 ちなみに薬草代はあたしの個人的なお金でやっとる。デリアやランドスター家からは援助してもろうてない。デリアが出してもいいわよと言ったけど断った。金銭的な頼りは友人同士ではしたくない。そう告げると「ランドルフ並みに真っ直ぐで不器用ね」と呆れられた。でもどこか嬉しそうやった。


「それにバレても問題はない。別に悪いことしてわけやないからな」

「まあそうだが。良からぬ輩がお前を狙う可能性がある」

「そんときは守ってくれるやろ?」


 ガーランさんは「お嬢様の命令だからな」と素っ気無く言うた。


「そんで、良い知らせってなんや?」

「お前の評判がすこぶる良いんだ。平和の聖女が万能薬を作る。確かに聞こえはいいな」


 まあなんちゅうか世間は自分の都合のええことしか耳に入らんし、口にせえへんな。


「万能薬なんて作れるのか?」

「そんなん作れるわけないやろ。便宜上そう言うてるだけで、ほんまは抗生物質もどきを作るだけや」


 ガーランさんは「すまないがどういうものを作ろうとしているのか、説明してほしい」と言うた。


「そうやな。とりあえず感染症に有効な薬を作ることやな。それができれば多くの人間を助けることができる」

「……あまりわしは頭が良くないから、はっきり言うぞ」


 あたしは厳しいこと言われるんかなと思うたけど、意外にも優しい言葉やった。


「お前は偉大なことをしようとしている。この世界を救うかもしれん」


 その言葉が胸に響いて、なかなか消えへんかった。


 しかし実際は上手く行ってなかった。

 成果といえば偶発的にできた頭痛薬くらいやった。上手くすれば生理痛にも効くかもしれへんけど、目指しとるところは遠かった。


「やっぱあたしの頭じゃここが限界なんか?」


 ろくに睡眠も取らずにひたすら研究を続ける。でも限界が近かった。


「お姉ちゃん。ご飯食べに行こ?」


 エルザに言われて、部屋の外に出た瞬間、意識を失ってしもうたらしい。

 気いついたら、ベッドに寝かされとった。


「馬鹿なんだから。治療魔法士が身体壊してどうするのよ」


 作ってくれたアップルパイを食べながら「ほんまごめん」とデリアに謝った。


「それで、薬ができそうなの?」

「……難しいな。調合は単純な四則演算やない。もっと複雑なんや」


 デリアは心配そうに「これ以上無理しちゃ駄目だから」と言うた。


「エルザ、泣いてたわよ」

「……後で謝るわ」

「そうね。そのほうが――」


 デリアの言葉の途中で「よう元気かユーリ」と部屋の扉を開けて入ってきた人が居った。

 なんとクヌート先生やった。


「先生! 久しぶりやな! 身体はもうええんですか?」

「とっくの昔に治ってるぜ。デリアも久しぶりだな」

「あれ? どうやって入ってきたのよ?」

「ガーランさん、だっけか。話したら案内してくれた」


 デリアは「主に報告すべきでしょ」と文句を言った。


「そういえばお前、前世のことを言ったらしいな」


 椅子を引き寄せて座るクヌート先生。デリアは「もしかして、あなた知ってたの?」と先生に訊ねる。


「知ってるもなにも、俺も転生者だ」

「はあああ!? あなたも!?」

「しかもユーリの知り合いだったんだ。前世でもこいつの先生だったんだぜ」


 さらりと言うたクヌート先生に「明かしてもよろしかったんですか?」と訊ねた。


「別にいいだろ。それよりもお前に手紙を預かっているんだ」

「手紙? 誰からや?」

「誰、というかなんというか……」


 クヌート先生はちょっとだけもったいぶって、それから早口で言うた。


「皇帝陛下からだ。早く読め」

「マジで? 皇帝から?」

「……何から驚けばいいのか分からないわ」


 蝋封した手紙を開けて、内容を読む。


『やあユーリさん。お久しぶりです。皇帝です。元気ですか? 御身体壊していませんか? あなたのことだから壊していると思いますけど』


 なんで分かんねん! 怖いわ!


『あなたが万能薬を開発していることは風の噂で聞きました。とても大変なことだと思います。皇帝の私でも難しい、というか不可能に近いと思います』


 耳が早いなあ。あたしは続きを読んだ。


『さて。開発のヒント、というより唯一の方法を教えるべく筆を取りました。本来なら直接教えるべきでしょうけど、執務が忙しくてできません。クラウスさんの調理法を宮廷料理人に教える仕事もあるのです』


 いやもっと重要な仕事あるやろ!


『クヌート先生を使いに出したのは、その唯一の方法を知っている方だからです。あまり焦らすのもあれなので、はっきり言います』


 なんやろ。唯一の方法って。


『ユーリさん。あなたは以前、『天才』になりましたよね。唯一の方法とは、再び天才になることです』


「はあ!? 天才になるって、どないなことやねん!」


 思わず口に出してまうあたし。


『天才になれば万事解決します。詳しいことはクヌート先生に訊ねてください。それでは。ケーニッヒ・カイザー・ソクラより』


 あたしは「クヌート先生、どういうことですか?」と訊ねた。

 先生は困った顔で言うた。


「結論から言うとお前を天才にすることは可能だ。しかし――」


 言葉を切ってから、再び先生は言うた。


「そのためには痛くて苦しい思いをしなければいけない。それが条件だ」

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