第109話あらやだ! 抗生物質の話だわ!
あたしは「そないな約束、軽はずみにできひんわ」と首を横に振った。
「適当なこと言うて、下手に希望を持たせることは嫌やからな」
「すっかり医者らしくなったじゃねえか」
ランドルフが驚いたように目を見開く。あたしは「結構場数を踏んだからな」と答えた。
「ほう。どんな経験をしたんだ?」
「女の子に麻酔なしの手術をしたんや」
デリアとエルザはピンとけえへんかったようやけど、ランドルフは「……相変わらず無茶するな」と呆れた顔になる。
「そういえば山賊の娘を治療したとこの前言ってたな。そんときは具体的に何も言わなかった。今思えば不自然だったな」
「あまり吹聴したいことでもないんや」
デリアは焦れたように「転生者だけで分かる会話はやめてくれる?」と不機嫌になった。
「麻酔ってなんなのよ?」
「ああ、痛みを無くす薬やな。正確には感覚を無くすようなもんやけど」
「それなしで手術って……痛い思いをさせたということね」
デリアの言葉にエルザが息を飲んだ。
「そうや。それ以外に五体満足で生かす方法はなかった」
あたしは指を組んでテーブルに肘を置いた。
「手術した子、セシールは今でこそ歩けるようになったけど、感謝してくれるけど、それでもあの痛みを負わせたことは後悔しとる」
「でも……ううん、なんでもない」
エルザが何かを言いかけて、それからやめてまう。
半ば無視してあたしは続ける。
「せやから一か八かの選択をなるべくせえへんようにしたい。きちんと診断して治せるかどうか判断せなあかんと思うんや。さっき医者らしく言うてたけど、場数を踏んどるだけの小賢しい女やあたしは」
そう言った後、すっかり冷めてしもうた紅茶を一気に飲み干して、カップを静かに置く。
「一回診断させてもろうてええか? あたしの考えやと結核か肺炎のどちらかやと思うんや」
「もし結核だったらどうする?」
ランドルフの真剣な目にあたしは「もしそうならやばいな」と正直に答える。
「周りに肺を病んどる人は居るか?」
「いや。義姉さんだけだ」
「うーん。それなら可能性は……不確かなことは言えんな。ヘルガさん探して診断するわ」
あたしは立ち上がって「彼女が行きそうなところは?」と訊ねた。
「多分だが庭園のほうに居ると思う。義姉さんはそこが好きなんだ」
「分かった。行くで二人とも。ランドルフ、あんたはここに居てな」
するとデリアは「さっき当主に会いに行くって言ったじゃないの」と言いながら立ち上がった。
「断られとるに決まっとるやろ。一族の決定なんやから。せやから次に行きそうな場所を聞いたんや」
「お姉ちゃん、前から思ってたけど鋭いよね」
ま、無駄なことは嫌いやないけど省いたほうがええやろ。
あたしは部屋を出た。デリアとエルザも一緒や。
「ねえ。肺炎と結核ってどう違うの?」
デリアの問いに「結核は治すのに薬が必要や」と言うた。
「でもどんな薬が有効かあたしには分からん。専門的な薬が必要やったことは知っとるが、調合するのは難しいやろな」
「じゃあ肺炎は?」
「抗生物質ちゅう万能薬が必要なんやけど、作り方は分からん。確かペニシリンから作る方法と鉱物から作る方法があるんやけど、習ってないなあ」
デリアは「前世の知識でも限界があるのね」と残念そうに言うた。
「万能薬って結構重要じゃない。どうして習ってないの?」
「あたしは前世では医者やない。ただの主婦やった。知っとるのは高校の化学の授業で教えてもろうたからや。もうちょっと真剣に勉強すれば良かったなあ」
「それでお姉ちゃん。だいたいでいいから作り方を説明できる?」
エルザの問いにあたしは「ペニシリンはカビからできるんやけど、めっちゃ運とか必要やねん」と答えた。
「運? もっと分かりやすく説明しなさいよ」
「えっとペニシリン自体が偶然発見された奇跡の薬みたいなもんなんや。人工的に作るには、まずオリジナルのペニシリンを発見せなあかんけど、やり方も見つけ方も分からん」
「分からなかったら使うことできないじゃない」
あたしは「デリアはどういうプロセスで魔法が発動するか知っとるか?」と訊ねる。デリアはきょとんとして、考え込んで、それから首を横に振った。
「……考えたことなかったわ。自然とできるようになったのだから」
「それと同じや。生まれたときからあるものに疑問なんか持たん。作り方を知ろうともせえへん。それが人間や」
今度はエルザが「それじゃあ鉱物から作る方法は?」と訊ねた。
「それが覚えとらんねん。ていうか知らん。複雑すぎて初めから覚えようとは思わなかったんや」
「どんだけ複雑なのよ……」
「せやからペニシリンに取って代わられた。確かアルファ剤……ちゃうわサルファ剤やったな。今では作る人間はあまり居らん」
するとデリアは「じゃあ話は単純ね」と手を叩いた。
「ペニシリンやサルファ剤ではなく、この世界での万能薬を作るのよ」
デリアの言葉にあたしとエルザは呆然とした。
そして――
「あはは! めっちゃ良いアイディアやな!」
デリアはあたしが馬鹿にしとると勘違いして「じょ、冗談に決まってるでしょ!」と顔を真っ赤にして怒鳴った。
「私だって馬鹿なこと言ったって自覚してるわよ!」
「馬鹿なことやあらへんわ。そうやな、万能薬作らなあかんわ。何を戸惑っとんや、あたしは」
あたしは改めてデリアのことを頼りになる友人やと自覚した。それと同時に前世の知識に縛られとることを再認識した。
前世は前世。この世界はこの世界や。
「そうと決まったらヘルガさんを早う診断するで!」
早足で庭園に向かう。そして庭園の端に座っとるヘルガさんを見つけた。
「ヘルガさん。やっぱここに居ったか」
「……あんたたちはランドルフの友人ね。何か用?」
あたしは「あんたを診断しにきたんや」と正直に言うた。
「診断? そういえば治療魔法士って言ってたわね」
「そうや。医者みたいなもんや。あんたを――」
「医者が匙を投げた私を、今更診ても仕方ないわよ」
諦めたように笑うヘルガさんに「匙を投げたんわ医者やろ」と言うた。
「このあたしは投げとらんわ。さあ診察するから部屋に案内してもらおうか」
「私の部屋はしばらく留守にしてたから汚いわよ」
「じゃあランドルフ追い出して、そこでやろか」
あたしはヘルガさんの手を取った。
「……ランドルフに頼まれたの?」
「そうや。あんたは生きなあかんのよ」
「……ランドルフのことをあんたはどう思う?」
質問の意図が分からんかったけど「男気のある良い奴や」と答えた。
その答えに自嘲気味に笑うヘルガさん。
「そうね良い人だわ。でもそれだけよ」
「何が言いたいねん」
「私のことを第一に思ってくれる、私の騎士。でも今は違う。ランドスター家のことだけを考えてる」
それはちゃうでと言いたかったけど、言えんかった。
ランドルフの気持ちが明かされてしまうのを恐れたからや。
やっぱ告白は男からせえへんとあかんわ。
「どうせフランシス様から何か言われたんでしょう」
「さっきから不思議に思うたんやけど、どうして実の兄を様付けで呼ぶんや?」
質問すると傍に居ったデリアが「余計なこと訊かないの!」と注意した。
思えば貴族のデリアはなんとなく察していたんやろな。
「ふふふ。それは単純な話よ」
ヘルガさんは自分を卑下しながら、はっきりと言うた。
「私が妾の子供だからよ」
エルザが手で口を塞いだ。かなり驚いとった。
「私はフランシス様とは半分しか血を引いていないのよ。しかもこの身体。欠陥品も良いところよ」
だから――とヘルガさんは言葉を続けた。
「私が死んでも誰も悲しまない。むしろ余計な血を残さないで済むわ」
そう言ってゆっくりと立ち上がるヘルガさん
「治療は結構よ。どうせどんな医者も私を治せない」
言い残して、その場から去ろうとする彼女の腕を――
あたしはがっちりと握った。
「な、何よ。放しなさい――」
「そんな悲しいこと、言うな!」
あたしはヘルガさんの頬を、思いっきり叩いた。
デリアとエルザは驚いたようにあたしを見た。
「……何するのよ!」
「あんたが死んだら、悲しむ人が居る!」
あたしはヘルガさんの肩を掴んだ。
「絶対死なせへん! あんたを助けてみせる!」
「……なに熱くなってるのよ! 無理に決まって――」
「その無理は押し通す! さあ治療の時間や!」
あたしは怒っていたのかもしれん。むきになっていたのかもしれん。
諦めたようなことを言うこの人が気に入らんのかもしれへん。
せやから、この瞬間。
異世界での万能薬を作ろうと心に決めたんや。
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