第87話あらやだ! 新たな始まりだわ!
「お姉ちゃん。朝だよ。そろそろ起きて」
妹のエルザの声がした。あたしは目を開けた。
エルザは心配そうな顔で見つめとった。
「……? ここは、どこや?」
「何言ってるの? ここは私たちの家だよ?」
「うん? なんであたしはここに居るんや?」
「……お姉ちゃん。もうそれ三回目だよ?」
涙目になっとるエルザ。そないにおかしなこと言うたやろか?
ゆっくりと記憶を辿る。
あの『後』、意識を失って、一旦ヴォルモーデン家に預けられて、そして自分の足で実家に戻ってきて、そして――
「そうか。もうあれから三日経つんか」
「……お姉ちゃん。ツラいのは――ううん。なんでもない」
エーミール。あたしに憧れてくれて、あたしに嫉妬した、友人。
彼が死んだことは両親とエルザには話した。
エルザは泣いてくれて。
おかんは抱きしめてくれて。
おとんは黙って頭を撫でてくれた。
「エルザ。起こしてくれてありがとうな。ご飯、一緒に食べよう」
「……うん。分かった」
あたしは空元気を振りまいていた。エルザは気づいているのに、何も言わへんかった。
そして、あたしは、未だに泣くことができひんかった。
「おかん。おはよう。調子はどうや?」
「ユーリ、おはよう。ええ。少し調子はいいわ」
おかんは相変わらず、体調が悪いみたいやった。あたしの診たてやと、もう長くないことは分かってしまう。でも家族のために、そしておかんのためになんとか健康にさせてあげたい。
いや、それは傲慢かもしれん。人一人救えなかった人間が、そないなこと――
「お姉ちゃん。顔が怖いよ」
「うん? ああ、ごめんな」
無理矢理笑顔になると、エルザは悲しい顔をした。
「それから、今日は晩ご飯要らへんで」
パンと牛乳と目玉焼きいうシンプルな食事をしながら、あたしは二人に向かって言うた。
「どこか出かけるの?」
おかんの質問に、あたしは「葬式に出るんや」とだけ言うた。
「エーミールの葬式や。出ないわけにはいかへんわ」
エルザはますます悲しそうな顔をした。
堪忍やで、エルザ。
バンガドロフは結局、死刑にはならへんかった。どうもエーミールを殺してから発狂してしまったらしい。投獄されてからすぐのことやった。
原因は分からん。もしかすると以前から狂っており、『イデアルの秘密』自体が老境に入った老人の妄想だったのかもしれん。そんな老人を哀れに思うたのか、イデアル公は処刑せえへんかった。まあそもそも処刑する権限は既にないのだけれど、ソクラ帝国からの言い伝えでは『狂ってしまったなら、処刑しなくていいです』と皇帝が決めたらしい。
あたしたちは大きな傷を心に負ってしまった。大事な友人を亡くしたという大きなトラウマや。本来なら大人であるあたしがイレーネちゃんとデリアのカウンセリング紛いのことをやらなあかんけど、気が向かんかった。いや、できる気がしなかった。
墓地にはエルザが付き添ってくれた。家を出るまでずっと手を握ってくれた。
「よう。ユーリさん。そっちは……エルザ、さんかな?」
墓地の入り口にはランドルフが立っとった。あたしは「出迎えてくれたんか」とだけ言うた。
「エルザ。こっちはランドルフちゅう姉ちゃんの友達や」
「初めまして。エルザといいます。年下ですから、さんは結構です」
「そうか。しっかりした妹だな。ユーリさんの教育が行き届いている。さあ、みんな待ってるぜ。そろそろ始まる」
「うん。分かった」
「……取り乱すなとは言わねえ。でもできるだけ気を確かにな」
そう言うて、ランドルフは前を歩き出した。あたしたちも着いていく。
「そういえば、クラウスがエーミールを偲んで料理を作ってくれるらしい」
「そうか。クラウスなりの供養なんやな」
「あんたにも参加してほしいそうだが」
あたしは渇いた笑顔で応じた。
「ごめんな。そんな気にならへんねん」
「……だろうな。一応伝えただけだ。あんたがそういうのは分かっていた」
エルザが握る手を一層強くした、気がした。
墓地にはイデアル公を初め、貴族たちも参列していた。貴族言うてもキーデルレン家の傍系しかおらんかったけど。
あの戦いに参加したみんなと合流して、イレーネちゃんとクリスタちゃんにエルザを紹介して、レオがあのときの子供やと知ったエルザはびっくりして。
そして厳かに葬儀が始まった。
「今日、エーミール・フォン・キーデルレンは安らかな眠りにつきました。それは春風のように爽やかであり、夏の日差しのように情熱的で、秋の落ち葉のように淋しく、冬空のように冷たいものでした。しかし、死を厭うことはありません。季節が巡るように、実が落ち、そこから花が生えるように、命は循環します。願わくば、彼の死が巡り、皆様との再会となるように、祈りを捧げましょう」
教会の神父さまの祈りの言葉やった。なんや知らんけど、少しだけ希望が持てた。
あたしらが転生したように、エーミールも生まれ変わるとええなあ。
エーミールの棺が墓穴に入り、次々と土がかけられていく。
「お姉ちゃん……」
「どうしたんや? エルザ?」
「……やっと泣けたんだね」
あたしは頬に手を当てた。知らず知らず、泣いてたようやった。
「……そうやな。エルザ、ちょっと胸借りるで」
「うん。いいよ」
あたしはすっかり大きくなったエルザの胸の中で思いっきり泣いた。
泣いて泣いて泣いた。
それを見たイレーネちゃんとデリア。クリスタちゃんも泣いた。
クラウスは堪えてたけど、結局泣いた。
ランドルフとレオはちょっぴり泣いた。
やっぱり男の子は強いなあ。
あたしの胸に新たなものが芽生え始めていた。
「ユーリ。あなたこれからどうするの?」
帰り際にデリアが真剣な表情で言うた。
「もし良ければ、私の家で魔法の研究してもいいわ。みんなもそうするつもり。もちろん、実家から通っても――」
「あー、ごめんなデリア。あたしやることできたんや」
あたしは笑顔で答えた。久しぶりに本心からの笑顔やった。
そんなあたしをエルザは不思議そうに見ていた。
「そう。じゃあ私はこれで失礼するわ。もっともっと強くなりたいから」
デリアの中にも目標ができたんやな。
あたしとエルザはみんなに別れを告げて実家に帰った。
「ユーリ。どこかに行ったりしないですよね?」
イレーネちゃんは気づいたようやったけど、なんとか誤魔化した。
多分、誤魔化せた気がした。
その夜。みんなが寝てから、あたしは一通の手紙を書いた。
それはこんな内容やった。
『あたしは今まで上手くやれていたつもりやった。
そのせいで傲慢になっていたかもしれん。エーミールが死んで、ようやくそれに気づけた。
いや傲慢以前の問題かもしれなかった。あたしのしてきたことは、ただの『逃げ』やった。
魔法使いという運命から逃げるために治療魔法士の道を選び、戦争がしたくなかったから、イデアル公やアスト公に降伏ちゅう逃げ道を提案したんや。
そして一度も戦ったりせえへんかった。アストのクーデターやエルフとの友好条約のときすら、ただ黙って見とるだけや。
そんなあたしが『平和の聖女』なんて言われるのは荒唐無稽に等しい。
だからあたしは自分を見つめるために、旅に出る。現状から逃げ出しとるだけかもしれへんけど、今のあたしには必要なことかもしれん。
エルザ、おとんとおかんのことを頼む。もうあんたは立派な女や。あたしよりも優しくて強い。あたしが誇る妹や。この手紙を最初に見るのはあんたやと思うしな。
それからイレーネちゃん、デリア、ランドルフ、クラウスの四人にも旅のことを伝えてほしい。デリアあたりは文句言うかもしれへんけど、そこは堪忍やで。来年の火の月には家に戻るから。
最後にエルザに言うておく。あたしは立派な姉やなかった。いつもみんなをハラハラさせて、今もこうして心配かけとる。ほんまに情けない姉やわ。だからもう、姉のことを憧れるのはやめ。あたしはエルザのことが大好きや。せやから、敢えて一人にさせるわ。いつかまた会えたら、殴るなりしてもええ。
それじゃあ、また。ユーリより』
手紙を書き終えたあたしは、一緒の部屋に寝とるエルザの横顔を眺めた。
すやすやと眠っとるエルザの顔はとても安らかやった。
「さようなら。エルザ」
あたしはエルザの頬にそっと口付けして。
誰にも分からないように家を出た。
こうしてあたしは一人旅をすることになった。
あてもなく、目的もない旅。
自分を見つめなおすため。
そしてこの大陸をよく知るために。
あたしは歩き続ける。
逃げるのではなく、前を向いて。
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