第86話あらやだ! 悲しい事実と別れだわ!
言葉の意味が一瞬分からず、次の瞬間、理解した。
この老人は、エーミールの父親を殺した。つまり自分の息子を殺した――
「あんた! なんで自分の子供殺したんや! なんでそないなことができるんや!」
あたしは思わずバンガドロフに近づこうとして――クラウスに止められた。
なんで止めるんや! そう言おうとしてクラウスの顔を見た。珍しく、いや初めて見るような嫌悪感丸出しの顔やった。
「秘密がなんなのか分かりませんが、そこまでして守る必要のあるものではないでしょう。あなたには人の情はないんですか?」
「そのようなものよりも大切なものがある」
「キーデルレン家の家名ですか? それとも地位や財産ですか?」
バンガドロフは首を横に振った。
「違う。ワシが守りたかったのは、イデアルだけではない。北の大陸、ひいてはこの世界を守るためだ」
バンガドロフは語りだした。
「そもそも、イデアル公すら知らんこの秘密は、先代のイデアル王が次代に伝える前に亡くなってしまったせいで、キーデルレン家が守るべき事柄になってしまったのだ。そしてその秘密が明かされるのは時間の問題だ。何故なら、知恵と知識のあるものなら、確実に突き止められる。今代のソクラ帝国皇帝、ケーニッヒ・カイザー・ソクラならば一目で分かってしまう」
そしてバンガドロフは沈黙しとるあたしたちに、言い聞かせるように説明した。
「秘密が明かされてしまえば世界は滅んでしまう。あれは人の手には重すぎる。だから秘密が暴かれ、明るみに出る前にイデアルの国土を奪還する必要があった。だから、そこにいる我が孫、エーミールは『協力』してくれたのだ」
協力やと? あたしは嫌な予感がした。
そしてそれは的中することになる。
「……当主様が僕を屋敷に呼び出してから十日かそのくらいの日だった。昼間だった。部屋に呼び出された僕は、当主様の話を聞いた」
今度はエーミールが語りだした。真正面に居るランドルフとは目を合わせずに。
「当主様は珍しく本音で話してくださった。いつも厳格でめったに話さない間柄だったけど、家族のことを大切にしているとおっしゃってくださった。そして、秘密の話をした」
エーミールの身体が震えだした。
「秘密の内容を知らないまま、秘密を守る手伝いをしろと言われた。具体的には――秘密を知っている家族と重臣を殺すことだった」
「なんだと? 家族と重臣を? 狂っているのか?」
ランドルフの疑問に「僕も初めは思ったよ」と軽く笑った。
「でも父上が事故に遭って、死んだことを伝えにきた重臣を、当主様は目の前で殺したんだ」
「……意味が分からへん。どうして重臣を殺したんや?」
エーミールは「父上を事故に見せかけて殺したのは、当主様だった」と疲れたように呟いた。
息を飲む一同。続けてエーミールは言うた。
「混乱する僕に当主様はこう言ったんだ。『この家臣も秘密を断片的だが知っている者だった。つまり誰に話す可能性がある。だから殺した』と。さらに続けて言った。『イデアルの秘密は人一人の命よりも重い』ってね」
静まり返るエントランス。そしてエーミールは言った。
「僕は協力することにした。重臣たちを八人殺した」
「なんでや! どうしてそないなことを!」
目の前の子供が人を殺したことが信じられなかったから、思わず訊いてもうた。
「当主様は――こんな僕を頼りにして、頭を下げてくれたんだ」
エーミールはシニカルに笑うた。それはエーミールを知る者にとっては珍しいと思える顔やった。
「当主様は僕の憧れだった。イデアル王国の元帥。そんな人が僕みたいな弱虫に頭を下げて懇願したんだよ。正直、父上を殺したことを憎むとか怖がるとか、そんなの頭から吹き飛んでいた。秘密の内容を聞こうなんて、思わなかった」
「……エーミール」
「ランドルフくん。そんな顔をしないでよ。確かに人を殺したけど、後悔はしているけど、それでも僕はやらないといけなかった」
ランドルフが何かを言おうとして、バンガドロフが遮った。
「そう。こうして秘密を知る者はワシ一人となった。後は秘密が暴かれぬよう、明るみに出ぬように、反乱を起こすことだけだった」
そしてバンガドロフはあたしを睨みつけた。
「しかしここでまた邪魔をするものが現れた。すべての元凶であるユーリだ」
「ユーリさんは悪くねえだろ! むしろ平和をもたらした、立役者じゃねえか!」
ランドルフの言葉に「子供の思いつきで、世界を変えられては困る」と素っ気無く言うた。
「もしもユーリが北の大陸を統一しなければ、戦争は断続的に行なわれていただろう。しかしそれが真なる平和につながっていたとすれば、どうだ?」
「屁理屈ですね。戦争による平和などありえません」
クラウスの言葉に「まあ信じなくてもよい」とバンガドロフは表情を変えなかった。
「エーミール。我が孫よ。お前はワシのために働くと言ったな。秘密を遵守すると言ったな」
「……はい、当主様」
「ならば、この場にいる全員を皆殺しにしろ」
あたしは「自分の孫にまだ殺させようとするんか!」とクラウスの制止を振り切って近づいた。
「なんだ。最初は平和の聖女か? エーミール、殺せ。元凶を殺すのだ」
エーミールは立ち上がって、ランドルフを押しのけて、あたしに向けて、右手を構えた。
「エーミール……もうやめや。あんたは――」
「もう遅いよ……僕は八人も殺したんだ。今更引き返せない!」
あたしは悲しい思いでエーミールに言うた。
「なら――なんでそないな表情なんや!」
エーミールは泣いとった。涙を流しとった。
「何をしている。我が孫よ。さっさと殺せ」
「…………」
「エーミール!」
エーミールは迷って、惑って。そして――
「駄目です。殺せません……」
エーミールは右手を下ろした。
「ユーリさんは、僕の憧れなんです。僕を助けてくれて、僕の目標になってくれた、優しい女の子なんです。僕には殺せない。殺すことなんて、できやしない」
「エーミール……」
エーミールは何かを思いついたようにあたしに提案する。
「そうだ。ユーリさん。僕たちの仲間になってよ。そうすればここに居るみんなは助けられるから! 当主様もこれだけの戦力を無下にしない!」
「エーミール、それは……」
無理やとは言えへんかった。でもエーミールには伝わったようやった。
せやから、エーミールは後ろを振り返りながら言うた。
「お願いします当主様。ユーリさんを――」
その瞬間――
エーミールの左胸を火の魔法が貫いた。
ゆっくりと倒れるエーミール。
スローモーションのようやった。
「エーミール!」
あたしは駆け寄って、エーミールの身体を支えた。
急いで回復魔法をかける。
でも、分かってもうた。心臓をやられとる。しかも焼かれて――
「……今更泣き言を」
バンガドロフが右手を構えとった。
あいつが――
「エーミール!! しっかりしろ!」
ランドルフも駆け寄った。クラウスもイレーネちゃんもデリアも。クリスタちゃんとレオはバンガドロフにゆっくりと近づいて、手枷をかけた。一切抵抗せえへんかった。
「ユーリさん! 治療魔法をかけてやってくれ!」
「分かっとる! でも心臓を貫かれたんや!」
デリアは「諦めないでよ!」と涙を流しながら言うた。
「あんたが諦めたら、誰が助けられるのよ!」
「分かってるわ! 今必死でやっとるんや!」
限界ぎりぎりまで魔法を行使しとるけど、どんどん顔色が悪なっとる。
「ユーリさん、もういい、よ……」
「エーミール! 喋らんといて! いや、喋って意識だけは保ってや!」
「ごめんね……手紙、返せなくて……」
「そないなこと……! 気にしてへんわ!」
エーミールの命の灯火が消えていくのが分かる。
「死なせへんで! 子供を目の前で死なせたくないわ!」
「ユーリさんと、初めて会ったとき、助けてくれて、ありがとう」
そしてみんなに向かって言うた。
最期の言葉を。
「ランドルフくん。クラウスくん。デリアさん。イレーネさん。ありがとう」
「何を言っているのよ! 今わの際のようなことを言わないでよ!」
「まだ助かります! 気を確かにしてください!」
「まだあなたに食べてもらってない料理があるんですよ!」
エーミールはランドルフの手を握った。
「お願いします……僕の姉、地下牢に居るんです。保護してください……」
「馬鹿野郎! 諦めることを――」
エーミールは、普段の気弱な態度とは裏腹の、強い言葉で言うた。
「お願いだ……頼むから、任せたと言って……! ランドルフ……!」
ランドルフはエーミールの手を握って「分かった!」と力強く応じた。
「任せろ。必ず守ってやる」
それを聞いたエーミールは安心したように笑って。
「ありがとう。みんな」
そのまま眠るように、息を引き取った。
「エーミール……? なあ、嘘やろ! 死なんでくれ!」
あたしの言葉にデリアとイレーネちゃんは抱き合って泣き出してしまった。
あたしは呆然として何も言えへんかった。
目の前で子供が死んでもうた。
これ以上の悲しみはあるやろか?
「おい! やめろクラウス!」
遠くで誰かが誰かを殴る音がした。
見ると、クラウスがレオに抑えられとった。
「このクソじじい! 殺してやる!」
「駄目よ! 生け捕りにしないと――」
「クラウス、もういい。やめろ」
ランドルフはクラウスの肩に手を置いた。崩れ落ちるクラウス。
「連れて行ってくれ。俺はエーミールの姉を探す」
すべてが遠くに聞こえる。
あたしは思い知らされたんや。
あたしは、誰も救えない。
あたしは、誰も助けられない。
あたしは――
「ユーリ……? ユーリ!!」
デリアの声が次第に小さくなって。
あたしは意識を手放した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます