第66話あらやだ! 少年を助けるわ!
目の前の少年、ケイオス・クルナーフはあたしに向かって大きく口を開けた。
それはまるであたしを捕食しようとする動きやった。
でもまさか食うわけないやろ。きっと空腹のあまり意識が朦朧としてるだけやろ。
そう思うたあたしはポケットからオレンジ味の飴ちゃんを取り出して包装紙を破った。そして赤ん坊に離乳食をあげる母親のようにケイオスの口に咥えさせたんや。
「――っ!? なんだこの甘いものは!?」
ケイオスは驚きのあまり目を白黒させた。しかし次の瞬間こう呟いた。
「……こんなに甘くて美味しいものは初めてだ!」
うん。気に入ったようやな。
あたしは「美味しいか? もっと食べるか?」と訊ねた。するとケイオスは首を縦に何度も振った。
「そうか! なら食べや! きちんと袋から出して食べるんやで!」
次々と飴ちゃんをポケットから取り出してケイオスに手渡す。ケイオスは夢中になって飴ちゃんを食べ出した。よっぽどお腹が空いてたんやな。
「ユーリさん、この子は――」
「クラウス、今はええやろ。ケイオスがお腹一杯になってから考えればええ」
密航者やから追い出さなければいけない。そないなことは分かっとるけど、飢えとる子供をそのまま放置なんてできひんよ。
「とりあえず船長を呼んできます! みなさんはここに居てください!」
見習い船員はそう言うて駆け足で船長を呼びに行った。あたしは無我夢中で飴ちゃんを食べ続けるケイオスを見て考える。
称号名の『フォン』がないちゅうことは貴族やない。あたしらと同じ庶民やろ。
前にも説明したけど、あたしら庶民は姓の代わりに生まれた土地の名前を名字代わりにする。でも『クルナーフ』なんて地名、知らんなあ。少なくともノース・コンティネントにはなかったはずや。あたしの知らん田舎かもしれんけど……
「ユーリ、この子どうなるんですか?」
イレーネちゃんが心配そうにあたしに訊く。あたしは「船長さんの判断に任すしかないやろ」とだけ答えた。
しばらくして、見習い船員がシーランス船長を伴ってやってきた。
「密航者が乗り込んでいたのか。まったく、見張りの連中は何をしているんだ」
シーランス船長が愚痴りながら、騒ぎを聞きつけてこっちにやってきた船員たちに指示を飛ばす。
「密航者は海に叩き落すのがルールだ。この坊主をさっさと連れて行け」
「ちょ、待てや! そないや野蛮なことせえへんでもええやんか!」
いきなり乱暴なことを言い出すシーランス船長に思わず言うてまうと「ここでは俺がリーダーだ」と強く言うた。
「使者であるあんたにどんな権限があっても、この船内では俺が全てを決める。そうでないと閉ざされた船の秩序は保たれない」
「――っ! せやけど!」
「分かってくれなど言わない。せめてあんたたちが見えないところで始末をつける」
そして近くにおった船員に「何をぐずぐずしている! 連れて行け!」と怒鳴りつける。
ど、どないしよ。このままやとケイオスが殺されてまう!
イレーネちゃんはあまりの残酷さに顔色が悪なっとる。
「船長さん。それはちょっとおかしいですよ」
この状況を打破してくれたんは頼りになるクラウスやった。
「……何がおかしいんだ? クラウス」
「三点ほどその判断がおかしいという根拠があります」
クラウスはその根拠を説明し出した。
「まず一点目。確かに密航者の処置は海に叩き落すのが正しいです。これは帝国海軍の軍法でも明記されています」
「そうだろう。だから俺の判断はおかしくないはずだ」
「しかし軍法によるとこう書かれています。『渡航中に密航者を発見した場合、所持品を回収し速やかに海へ放流すること。また盗難品の確認を早急にすべし』と」
「よく覚えているな。それがどうしたんだ?」
「文頭に『渡航中』と明記されています。しかしこの船はまだ出港していません。つまり渡航していないから彼は密航していないのです」
……なんかこじつけっぽいなあ。でもスジが通っとる感じもする。
船長もそう思うたのか「まあ理解はできる」と頷いた。
「しかしそんな詭弁で俺を説得できると思っているのか?」
「いえ思いません。ですので二点目を言います。この船の責任者はシーランス船長です。そして僕たちは使者としてエルフの島に行きます。ここまではいいですね?」
「ああ、異論はない」
「であるならば、帝国の正式な使者である僕たちの乗る船に密航者が乗り込んだという失態は誰が負うべきですかね?」
なるほど。シーランス船長の監督不行届を指摘したんやな。確かにこのままケイオスを密航者と認めてしまうと責任とらなあかんな。
「ふむ。確かに俺は何らかの処分を負わなければいけなくなるな」
「それは嫌でしょう? 今までの船乗り生活に傷がついてしまいます。そして最後の三点目です」
クラウスは至極真剣な顔で言うた。
「子供を海に叩き落すなんて、一人の大人としてできるんですか?」
最後は理論ではなく感情で訴えてきたクラウス。するとシーランス船長は「そこまで言われたら仕方ないな」と頬を掻いた。
「分かった。この坊主は密航者ではない。すぐに解放して港に――」
「うん? 難しい話は終わったのか?」
シーランス船長が言い終わる前に、ケイオスは立ち上がってのん気に言うた。
「しかし困ったな。我輩はエルフの島に行かねばならないんだ。どうにかならないか?」
せっかく話がまとまったと思うたらとんでもないことを言いよった。
というより我輩って、騎士学校のルーカスみたいやな。ということは貴族なんか?
「えーと、ケイオスくん。せっかく命が助かったんだから、この船のことは諦めてくれないかな?」
「うん? ああ、確かクラウスと言ったな? それはそうなのだが、もう一つこの船に乗らなければならない理由ができたのだ」
ケイオスはあたしをビシッと指差して高らかに宣言した。
「この娘に恩ができた。恩義は返さねばならぬ。だから我輩はこの娘とともに行動する。そして助けてやらねばならんのだ」
「はあ? あんた何言うてんねん?」
頭の中がハテナマークで一杯になってもうた。
「ハブルの奴も言ってたからな。恩返しは大切だとな。だから恩を返すまで一緒に居てやろう!」
「あんたは王様か何かか! 余計なお世話やねん!」
同情したあたしが馬鹿みたいや。まったくとんだお馬鹿さんを助けてもうたな。
「ユーリ、どうしますか? 私は連れて行くのは賛成できないですけど……」
「なんだと? 貴様は誰だ? 何の権限で我輩の厚意を無碍にするんだ?」
イレーネちゃんはあたしの後ろに隠れながら「わ、私はユーリの友達のイレーネです!」と怖がりながら言うた。
するとケイオスは「友達? 使者だから居たんじゃないのか?」と不思議そうに首を傾げる。意外と頭が良いのか、先ほどのクラウスとシーランス船長のやりとり聞いて、あたしらの立場を理解したんやな。
「わ、私はユーリに誘われて――」
「なるほど。では今この瞬間から我輩もユーリとやらの友人だ」
そう言うてケイオスはあたしの手を取った。中東風の見た目なのに体温は低くて、握ってきた手は冷たかった。
「先ほども名乗ったが改めて名乗ろう。我輩はケイオス・クルナーフ。貴様の友人だ。よろしくな」
な、なんちゅう強引な奴や……面白いやんか!
後から考えるとどうしてケイオスの言葉に乗せられたのか自分でもよう分からん。
でもなんか面白くなると思うてしもうたからやな。それ以外に理由はない。
「ええで。あんたも一緒にエルフの島に行こうや。乗りかかった船ちゅう言葉もあるしな」
「正気ですか!? ユーリ!?」
イレーネちゃんの驚く声。まあ人生ノリで生きたほうが楽しいやん?
「よし決まりだ。というわけで恩を返すまでよろしく頼むぞ」
満足げなケイオスの横でクラウスはぼそりと「……助けるなんて余計なことしてしまいましたかね」と呟いた。
「……どっと疲れたな。まあいい、野郎共、出航の準備をしろ!」
シーランス船長も自棄になって船員たちに命令を下す。
なんちゅうか出だしでこんな出来事が起こるなんて思いもよらなかったなあ。
まあでも友達が増えることは悪いことやない。そう思うことにしよ。
「さて。貴様ら甲板に出るぞ。船旅の醍醐味だとハブルが言ってたからな」
「ハブルって誰やねん。まあええわ。部屋に荷物置いてから行くとするか」
なんか振り回されそうな感じやな。まるで前世の息子、義信が子供んときみたいや。
そう思いつつ、あたしは複雑そうな顔をしとるイレーネちゃんとクラウスと一緒に、はしゃぐケイオスの後を追ったんや。
新たな出会いと旅立ち。
そして未だに未知であるエルフの島。
修学旅行みたいなテンションに年甲斐もなくなってもうた。
しかし旅の目的地が観光地やのうて、人間にとって危険なところやとのん気なあたしは気づいておらんかった。
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