高校が終わり、モテ期も終わった

 高校生という時間は貴重な時間である。目を瞑り、そして目を開ければ終わってしまうそんな夢、幻のような時間だったように思える。

 まだ主人公の住むJR西ノ宮駅は西ノ宮とこの頃も表記されていた。結びを話すには少し早いのだが、この西宮という場所、ずっと昔は西宮村というクソ小さい場所から気が付けばだだっ広い市になった。


 そこに住む人たちと街は繋がっている。西宮市とう物語の中の住人なのだ。それは主人公もその一人でしかない。

 一体どれだけの人間が住むのかは知らないが、それだけの人数の物語と主人公が住んでいるのだろう。

 何故こんな事を書き始めたかというと、高校生の終わりというのは、子供の卒業だと主人公は考えている。


 一般的には高校を卒業するのは18歳、6570日程の期間を得て子供という存在を卒業する事になる。

 いくつもの夜を超え、様々な人と出会い、恋をして、心を傷つけて、そして主人公は大人になっていく。

 高校三年間は最後の子供の時間だったんだなと今思えば感じるものだ。その三年間はもしかすると人生でとっても大事な時間。

 たまゆらな時間かな?


 何故なら、主人公に今学生時代の友達がいるか? と聞かれると一人もいないのである。面白い事に主人公は親友と呼べる存在はいない。その時の組織の中で大変仲良くなる連中はいるのだが、その組織から離れた時、主人公は自らをいなかったかのように晦ます癖がある。

 それは今思えばだが、人間関係を恐れているのかもしれない。彼らとはすばらしい記憶だけを残したいと……その後にくる孤独よりも他者とはいい思い出だけが欲しいというそんな臆病者だったから……なのかな?


 まぁ気づいた時はもう遅いというのはいつの世もこの理だけは覆らないなぁと自分の事ながら少々勉強になった。

 人間にはもう一回とか、やり直すという事は多分出来ないし、生き方を変えるという事も本質的には不可能なんだろう。

 主人公はそうして大人になり、この西宮が発展していくのを見守ってきていた。

 JR甲子園のところにある商店街の店が一つ一つ閉まっていくのを見て、阪神西宮の商店街が実質完全死亡していくのを見て主人公は二度と戻らないものと、どうやっても戻せないものという事を学んでいく。


 この街は物語が多すぎる。

 主人公は、西宮という街を愛している。他の地域なんぞには死んでも行きたくないとそう言える程度には大好きだ。

 できれば、馬鹿な子供のままで主人公はいたかったと思う。永遠にこの街で子供えいたなら、それほど嬉しい事はないと確信する。

 山手幹線が開通した時、行きつけのほか弁がなくなり、今ずっとたこ焼き屋があるのを見た時、西宮の気持ちが伝わってくるかのように胸が痛くなる。


 もう、主人公の知る西宮は何処にもないのじゃないかと……思い出を反芻する度、自分がこんな弱く卑しい大人になっている事に驚愕と共に軽蔑をしてしまう

 そう、主人公は大人になったのである。

 西ノ宮のノが戻ったら最終章。

 大学生編に突入するのである。これは主人公のつまらない恋の物語、西宮を愛し、多くの女の子を好きになった愚かな人間のつたない三文小説。

 はじまります!

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