第十六話 茜色の大戦-3

 戦いが始まるまでに会っておきたい人は色々思い浮かんだが、一番会いたかった人物に会いにいくのが、俺は今になって躊躇ためらわれた。


 ハルは今、既にどこかの部隊に配属されて戦いの準備をしているはずだ。徴兵ちょうへいが国中のウォーカー全員に課せられた強制任務である以上、拒否はできない。


 だが、あいつが人など殺せるはずがない。


 あいつに会えば、俺の決意なんて簡単に吹き消されてしまう気がした。それどころか、誰も殺さずに戦争を止める方法、なんてありもしないものを、二人で考え始めるかもしれない。


 俺とテトは、わたがし屋に寄った足で、しくも二日前と同じ道筋を辿っていた。職人街に差し掛かったところで、テトに「少し待っていてくれるか」と言いつけた。テトは素直にうなずいた。俺は職人街を真っ直ぐ進んで、目当ての店にたどり着いた。


 ここに来たのは、約束を果たすためだ。帰ってきたら、必ず刀のメンテを受けに来いと言われていたから。


「あっ、シオン!」


 気怠けだるそうに店先で煙草たばこを吹かしていた赤髪の美女は、俺に気づくなり形のいい目をパッと開いた。


「ただいま、サヤさん」


「おかえりぃ! 早かったなぁ。お前らがいっちまった二日間の間に国はえらい騒ぎだぜ。どうした、アタシ自慢の装備がズタズタじゃねーか」


 駆け寄ってきたサヤは俺の姿を一目見て眉を吊り上げた。せっかく彼女に見繕ってもらった耐熱装備はボロボロにいたみ、斬喰炉にメッタ刺しにされて穴だらけになってしまっている。


「……なんか、あったのか?」


 俺の顔を覗き込むなり、サヤは途端に語勢を弱めて、気遣わしげな眼差しを向けた。そのあまりに温かい目を直視することなんてできず、俺は勢いよく直角に頭を下げた。


「ごめんなさい……俺が、俺がクソ弱いせいで……カンナを、あなたの親友を……死なせてしまいました……!」


 地面を見つめる俺には、サヤがどんな顔でそこにいるのか分からなかった。サヤは絶句して、呼吸さえ死んでいた。本当に目の前にまだ彼女が立っているのか不安になるくらい、サヤの溌剌はつらつとした気配が、この世から消えてしまっていた。


「……顔、上げろよ」


 やがて、震える声でそう言ったサヤに、俺はゆっくり顔を上げた。彼女がどんな顔をしているか見るより早く、サヤは俺に飛びかかった。


 ふわり、と、柔らかく包み込まれる。


 俺は、サヤに抱きしめられていた。声も出ない俺の顔を、職人らしく引き締まった、それでいて柔らかい腕で抱き寄せて、俺の耳元で、サヤは吐息のような涙声でささやいた。


「生きて帰ってきてくれて……ありがとう……」


 その言葉が、俺をどれだけ救ったか分からない。俺は、生き延びても、よかったのだ。


「大変な任務だったんだな」


「……はい」


「お前はよく頑張ったよ」


「……はい……!」


「カンナは、最高の剣士で、最っ高の女だったよなぁ」


 サヤの腕の中で、俺は自分を縛りつけていたあらゆるしがらみから解き放たれたように、声を上げて泣いた。サヤは俺の髪を優しく撫でて、自分の胸に俺を引き寄せた。


 俺とサヤは、彼女の店のカウンターに並んで座った。サヤが俺に煙草を勧めたのは初めてだった。受け取り、見様見真似でくわえた俺に、サヤは「バカ、逆だよ」と笑った。


 俺が咥え直した煙草の先端に、サヤは身を乗り出して、自分の咥えた煙草の先端を押しつけた。火が伝う。甘苦い二本の紫煙しえんの香りが、俺とサヤの間で立ち上った。


 ゆっくり吸い込んでみると、苦しい煙が肺に侵入した。苦い。この美味しさは分からない。ただ、この煙は、色々と誤魔化してくれそうだった。


「……行くのか。戦場」


「はい。俺にも出動命令が出たんで。部隊が決まるのはこれからですが」


「そうか」


 表情を変えず、静かに前を向いて煙草を吹かす彼女に、俺は腰の刀を鞘ごと引き抜いてカウンターに置き、そっと半分ほど抜き身にして見せた。


「……こりゃあ」


 サヤが目を見開くのも無理はない。《黒鉄くろがね》の刀身は、あの滑らかな黒い刃が見る影もなくいたんでいた。刃のあちこちが欠け、二箇所にひびが走っている。もう折れる寸前だ。


「たった数合すうごうでこうなりました。今にしてみれば、よく生きていたと思います」


「アタシの《黒鉄くろがね》をこんなにするなんて……一体どんな武器でどんな使い手だよ」


「俺が未熟なせいです。……サヤさんなら、こんな状態でも《黒鉄》を蘇らせることはできますか」


「愚問だな」とサヤが鼻を鳴らす。俺は心からホッとした。


「じゃあ、しばらく預けます。戦いが終わったらまた来ますね」


 刀の強化に使いたかったとっておきの竜素材は、卵と一緒に《水剣》に預かられたままだ。次はそれらを回収して出直すこととしよう。戦場には予備の剣を持っていく。いざとなれば敵の武器を使えばいいだけだ。


 立ち上がりかけた俺を、サヤが「待てよ」と引き止めた。


「お前、刀を置いて戦場に出る気か」


「えっと……ダメですか」


「ダメに決まってんだろうがぁ! 再刃さいばなんざアタシにかかりゃ三十分で終わる! すぐに新品同様にしてやっから、そこで待ってろ!」


「でも」


 食い下がる俺の胸中を、サヤの鋭い目が看破した。


「この刀で、人を斬りたくないってか」


 否定できず、言い淀んでから、正直に頷いた。


 《黒鉄》はカンナの形見だ。サヤが何度も鍛え直してくれた、宝物だ。その刃で人の命を奪うことだけは、絶対にしたくない。混沌とした戦場でもし俺が命を落とせば、《黒鉄》が敵の手に渡る可能性もある。味方の血を吸う可能性だってある。だから――


「お前が戦場で死んだら、置いていかれた《黒鉄コイツ》はお前を恨むぞ」


 ぐいっ、と目の前に刀を突きつけられて、俺は固まった。サヤの目は怒りに燃えていた。


「アタシも恨む。アタシたち鍛冶師は、戦いに出ることができない。だから武器と鎧に魂込めて、一緒に持って行ってもらうんだ。こっちは勝手に、お前と一緒に戦ってるつもりなんだよ! 《黒鉄コイツ》はアタシの魂だ! 置いていくなんて二度と言うな、ぶっ殺すぞ!」


 胸に強く刀を押し付けられて、よろめいた。


「お前の覚悟は口先だけだ。ホントは、人を殺す覚悟なんてできちゃいねえんだろ。だから刀を置いていこうなんて発想になるんだ。……そんなつらい覚悟、一人で背負えるわけねえんだから――アタシと《黒鉄コイツ》にも、半分ずつ背負わせろ!」


 鉄をも溶かし、更に強靭なはがねに変える、炎のような言葉だった。胸にまとわりついていたヘドロのような重みが焼き消えると同時に、サヤの目が初めてやわらぐ。


「何人殺そうが、修羅に堕ちようが、ナツメシオンはアタシの英雄だぜ。絶対に一人になんてさせねえ。お前の罪はアタシの罪、お前の痛みはアタシの痛み、そうありたいって思うから……だから、連れて行ってくれよ」


 サヤの差し出す刀に手をかけ、俺は、しっかりと握った。


「……すいませんでした。持っていきます。一緒に戦ってください、サヤさん」


「当たり前だ。それが妻の務めだろ」


 サヤと結婚した覚えはまるでなかったが、歯を見せて笑う彼女に癒やされたので、俺も黙って苦笑した。


 サヤが《黒鉄》の再刃さいば(刃を焼き直して刃こぼれ等を修復する技術)に取り組んでくれている間、俺はテトを迎えに行った。サヤは俺たち二人に、新しい装備を一式見繕みつくろってくれた。


「機動力重視っつっても、流石に今回は金属装備つけとけー。なんせ普段と戦う相手が違いすぎる。敵は集団で動き、ガードの薄いところを的確に狙ってくるし、混戦になったら背後からザクッと刺されるなんて普通だからな」


「んー……でもあんまり動きにくいのは」


「安心しろ、インナーみたいに着込める鎖帷子チェーンメイルとリストバンド型の篭手ガントレット、あとはヘルメットくらいだ。特製合金を糸状にして編んでるから、岩より堅くプラスチックみてーに軽い」


「そんないいもの、都合よく在庫があるんですか?」


「お前のサイズならいくらでもある」


 そうだった……。


「おれは金属持つとダメなんだよな。電撃が上手く操れなくなる」


「ならウチで一番堅いレザー製装備をくれてやる」


「やったー!」


 テトが拳を突き上げてはしゃぐ。サヤの仕事は確かである。《黒鉄》の再刃も合わせ、たった一時間程度で俺たちの装備を一新させると、作務衣さむえの袖で満足そうに額の汗をぬぐった。例によって料金は格安。


 いよいよ、王との約束の時間が迫っている。店先まで、サヤが見送ってくれた。


「そういえば、前頼んでいたものは出来上がってますか?」


「おー、そりゃバッチリだが……なんであんなもん注文した? お前には《黒鉄》があるだろ」


「まぁ、はい」


「怪しいやつ」


 湿度の高い目で見つめられ、ついと視線を逸らす。サヤは嘆息たんそくして、俺とテトの胴に拳を当てた。


 生きて帰れよ。彼女の言葉は重たかった。サヤは今まで、見送った戦士たちが二度と帰って来なかった経験を、幾度となくしているに違いない。


 強気に笑うサヤの目に、不意に涙が浮かびかけたのを見て、俺とテトは精一杯笑った。


「必ず帰ってきます」


「いってきます!」

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