第十六話 茜色の大戦-3
戦いが始まるまでに会っておきたい人は色々思い浮かんだが、一番会いたかった人物に会いにいくのが、俺は今になって
ハルは今、既にどこかの部隊に配属されて戦いの準備をしているはずだ。
だが、あいつが人など殺せるはずがない。
あいつに会えば、俺の決意なんて簡単に吹き消されてしまう気がした。それどころか、誰も殺さずに戦争を止める方法、なんてありもしないものを、二人で考え始めるかもしれない。
俺とテトは、わたがし屋に寄った足で、
ここに来たのは、約束を果たすためだ。帰ってきたら、必ず刀のメンテを受けに来いと言われていたから。
「あっ、シオン!」
「ただいま、サヤさん」
「おかえりぃ! 早かったなぁ。お前らがいっちまった二日間の間に国はえらい騒ぎだぜ。どうした、アタシ自慢の装備がズタズタじゃねーか」
駆け寄ってきたサヤは俺の姿を一目見て眉を吊り上げた。せっかく彼女に見繕ってもらった耐熱装備はボロボロに
「……なんか、あったのか?」
俺の顔を覗き込むなり、サヤは途端に語勢を弱めて、気遣わしげな眼差しを向けた。そのあまりに温かい目を直視することなんてできず、俺は勢いよく直角に頭を下げた。
「ごめんなさい……俺が、俺がクソ弱いせいで……カンナを、あなたの親友を……死なせてしまいました……!」
地面を見つめる俺には、サヤがどんな顔でそこにいるのか分からなかった。サヤは絶句して、呼吸さえ死んでいた。本当に目の前にまだ彼女が立っているのか不安になるくらい、サヤの
「……顔、上げろよ」
やがて、震える声でそう言ったサヤに、俺はゆっくり顔を上げた。彼女がどんな顔をしているか見るより早く、サヤは俺に飛びかかった。
ふわり、と、柔らかく包み込まれる。
俺は、サヤに抱きしめられていた。声も出ない俺の顔を、職人らしく引き締まった、それでいて柔らかい腕で抱き寄せて、俺の耳元で、サヤは吐息のような涙声で
「生きて帰ってきてくれて……ありがとう……」
その言葉が、俺をどれだけ救ったか分からない。俺は、生き延びても、よかったのだ。
「大変な任務だったんだな」
「……はい」
「お前はよく頑張ったよ」
「……はい……!」
「カンナは、最高の剣士で、最っ高の女だったよなぁ」
サヤの腕の中で、俺は自分を縛りつけていたあらゆる
俺とサヤは、彼女の店のカウンターに並んで座った。サヤが俺に煙草を勧めたのは初めてだった。受け取り、見様見真似で
俺が咥え直した煙草の先端に、サヤは身を乗り出して、自分の咥えた煙草の先端を押しつけた。火が伝う。甘苦い二本の
ゆっくり吸い込んでみると、苦しい煙が肺に侵入した。苦い。この美味しさは分からない。ただ、この煙は、色々と誤魔化してくれそうだった。
「……行くのか。戦場」
「はい。俺にも出動命令が出たんで。部隊が決まるのはこれからですが」
「そうか」
表情を変えず、静かに前を向いて煙草を吹かす彼女に、俺は腰の刀を鞘ごと引き抜いてカウンターに置き、そっと半分ほど抜き身にして見せた。
「……こりゃあ」
サヤが目を見開くのも無理はない。《
「たった
「アタシの《
「俺が未熟なせいです。……サヤさんなら、こんな状態でも《黒鉄》を蘇らせることはできますか」
「愚問だな」とサヤが鼻を鳴らす。俺は心からホッとした。
「じゃあ、しばらく預けます。戦いが終わったらまた来ますね」
刀の強化に使いたかったとっておきの竜素材は、卵と一緒に《水剣》に預かられたままだ。次はそれらを回収して出直すこととしよう。戦場には予備の剣を持っていく。いざとなれば敵の武器を使えばいいだけだ。
立ち上がりかけた俺を、サヤが「待てよ」と引き止めた。
「お前、刀を置いて戦場に出る気か」
「えっと……ダメですか」
「ダメに決まってんだろうがぁ!
「でも」
食い下がる俺の胸中を、サヤの鋭い目が看破した。
「この刀で、人を斬りたくないってか」
否定できず、言い淀んでから、正直に頷いた。
《黒鉄》はカンナの形見だ。サヤが何度も鍛え直してくれた、宝物だ。その刃で人の命を奪うことだけは、絶対にしたくない。混沌とした戦場でもし俺が命を落とせば、《黒鉄》が敵の手に渡る可能性もある。味方の血を吸う可能性だってある。だから――
「お前が戦場で死んだら、置いていかれた《
ぐいっ、と目の前に刀を突きつけられて、俺は固まった。サヤの目は怒りに燃えていた。
「アタシも恨む。アタシたち鍛冶師は、戦いに出ることができない。だから武器と鎧に魂込めて、一緒に持って行ってもらうんだ。こっちは勝手に、お前と一緒に戦ってるつもりなんだよ! 《
胸に強く刀を押し付けられて、よろめいた。
「お前の覚悟は口先だけだ。ホントは、人を殺す覚悟なんてできちゃいねえんだろ。だから刀を置いていこうなんて発想になるんだ。……そんな
鉄をも溶かし、更に強靭な
「何人殺そうが、修羅に堕ちようが、ナツメシオンはアタシの英雄だぜ。絶対に一人になんてさせねえ。お前の罪はアタシの罪、お前の痛みはアタシの痛み、そうありたいって思うから……だから、連れて行ってくれよ」
サヤの差し出す刀に手をかけ、俺は、しっかりと握った。
「……すいませんでした。持っていきます。一緒に戦ってください、サヤさん」
「当たり前だ。それが妻の務めだろ」
サヤと結婚した覚えはまるでなかったが、歯を見せて笑う彼女に癒やされたので、俺も黙って苦笑した。
サヤが《黒鉄》の
「機動力重視っつっても、流石に今回は金属装備つけとけー。なんせ普段と戦う相手が違いすぎる。敵は集団で動き、ガードの薄いところを的確に狙ってくるし、混戦になったら背後からザクッと刺されるなんて普通だからな」
「んー……でもあんまり動きにくいのは」
「安心しろ、インナーみたいに着込める
「そんないいもの、都合よく在庫があるんですか?」
「お前のサイズならいくらでもある」
そうだった……。
「おれは金属持つとダメなんだよな。電撃が上手く操れなくなる」
「ならウチで一番堅い
「やったー!」
テトが拳を突き上げてはしゃぐ。サヤの仕事は確かである。《黒鉄》の再刃も合わせ、たった一時間程度で俺たちの装備を一新させると、
いよいよ、王との約束の時間が迫っている。店先まで、サヤが見送ってくれた。
「そういえば、前頼んでいたものは出来上がってますか?」
「おー、そりゃバッチリだが……なんであんなもん注文した? お前には《黒鉄》があるだろ」
「まぁ、はい」
「怪しいやつ」
湿度の高い目で見つめられ、ついと視線を逸らす。サヤは
生きて帰れよ。彼女の言葉は重たかった。サヤは今まで、見送った戦士たちが二度と帰って来なかった経験を、幾度となくしているに違いない。
強気に笑うサヤの目に、不意に涙が浮かびかけたのを見て、俺とテトは精一杯笑った。
「必ず帰ってきます」
「いってきます!」
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