epilogue〜影〜


 明朝、二千を越えるアイルーの大軍が姿を現した。


 《ビショップとりで》の物見櫓ものみやぐらで見張りを任されていた少年兵、ネスは、金色に輝く猛禽もうきんの瞳を二度まばたきして普段の黒色に戻すと、銅鑼どらを叩いて全軍にしらせた。


 ルミエール領から南西へ五キロ離れたこのビショップ砦には、昨夕さくゆうより、ウォーカー338名、志願兵273名、非戦闘員35名――合計646名のルミエール軍が集結している。


 この、乾いた大地の丘陵きゅうりょうそびえる石造りの小城こじょうは、戦争拠点として百年近く前に建てられ、今では冒険者の休息場となっていた場所だった。周囲を《ハツカ》の植林が囲み、モンスターも寄り付かない。


 非常時に備え領内に残した百名ほどと、遠征任務で不在の数十名を除く、国内全てのウォーカーが今この砦にいる。その中で最も早く敵影を確認したのが自分であることに、ネスは密かに心躍った。


 何しろ、アイルー軍は未だ遙か彼方、七キロ以上離れた大地を行軍中である。


 ネスは【鷹の眼ホークアイ】という煉術によって生み出した赤いたかを空へ放ち、その鷹と視覚を共有できる特異な能力の持ち主だった。その実力を買われ若干十五歳にして諜報部隊に選ばれ、昨日にはここから南西へ三十キロ離れた高山地帯《アルマ山地》にて行軍中の敵軍を補足するなど、目覚ましい活躍を見せた。


 戦いが始まる前から既に大出世を確約されている。戦闘能力が低いために鳴かず飛ばず、これまで地味でキツい探索や調査任務専門だったネスは、鼻歌交じりに物見櫓から飛び降りた。


 まったく、戦争さまさまだぜ。


 表情は変わらないが、珍しく上機嫌でネスは隊長の元へ走った。砦二階の廊下を急いで"参謀室"のドアを叩き、乱入する。室内には十名ばかりの男が、既に扉へ身を乗り出してネスの報告を待ちかねていた。中央のテーブルに地図を広げて、つい先程まで軍議にいそしんでいたらしい。


「敵影確認! 南西方向約七キロ、二千を越える大軍です!」


 ネスの直属の上官である白衣姿の男は、「はぁい」とハリガネのような手をひらひら振った。モジャモジャした苔色こけいろの頭髪をした長身痩躯ちょうしんそうくの青年である。


 《木剣》アーチ・アインシュタイン。砦の防衛にあたる五十名あまりの部隊《花》をまとめる長であると同時に、この戦の作戦総指揮を担う、ルミエールが誇る鬼才。滑車舟や気球、世界樹製品等は全て彼の発明である。


 六百名を越えるルミエール軍は、大きく四つの部隊に分かれ、それぞれを殉職した《月剣》、遠征任務で不在の《日剣》と《土剣》を除く四名の《荊》が率いている。


 《火剣》率いる《炎》と《水剣》率いる《水》が主力部隊。高齢の《金剣》が後衛で補給部隊《風》を指揮し、ネスたち《花》はこの砦に留まり、防衛や伝令、作戦指揮にたずさわる。


「ご苦労さまー。思った通りの方角だったねぇ。国に残してきた百人のうち、十名だけ残してこっちに合流させよっか。君、《花》の足速い子一人国へ向かわせて」


 指示された若い男はいい返事をしてネスの横を走り抜けて言った。


「ネス君は引き続き敵の監視を続けよう。ぼくちんもすぐに行くから、つぶさに敵の動き教えてねん。リーフィアちゃん、支度するよ〜」


 アインシュタインは軽薄な顔で鼻眼鏡をくいっと上げた。怪しげな研究に没頭するあまり薬品で染まったという、その奇抜な緑色の髪でなければ、実に絵になる美男子であるのだが。


 ネスは敬礼一つして部屋をあとにした。もう間もなく戦闘が始まる。ネスは楽しみでならなかった。生まれて初めての戦場だ。凄まじい迫力に違いないし、《荊》の戦いを生で見られるチャンスだってそうそうあるもんじゃない。ネスはそれを高いところから、特等席で見物できるのだ。


「お?」


 小走りに物見櫓へ急いでいたネスは、廊下の中腹で一人の顔見知りが立っているのを見つけた。大きな盾を背負った金髪の美少年である。


「そんなとこでなにやってんだ、ハル。銅鑼が聞こえなかったのか? もう戦いが始まるぞ。まあ、俺たち《花》のとこまでは、敵なんてこないかもしれないけど」


 敵の数がこちらの三倍以上とはいえ、ルミエールの兵がアイルーなんかに負けるはずがない。ルミエールは最強の国なのだと、この国で生まれた者ならみな赤ん坊の頃から両親に教えてもらえる常識である。


「……ネス。君は怖くないのかい」


 ハルクの悲壮な顔色に、ネスはうっと身を引いた。目の下に大きな隈ができて、美形が台無しだ。


「怖い? 何が。死ぬかもしれないなんて、普段の任務と同じじゃないか」


「同じな、もんか。相手は人間なんだぞ」


 昨晩はどれだけ泣いたのだろうか、衰弱しきった目を真っ赤に腫らして、ハルクは八つ当たりするように言った。


 こんなに弱虫だったのか、とネスは内心ハルクをちょっぴり軽蔑しながら、無表情で彼の肩を叩いた。


「けしかけてきたのは向こうだろ。殺しにかかってくるやつは、殺すしかないよ。アインシュタイン卿もお優しい。ハルの性格を分かって《花》に入れてくれたんだ」


「……僕は別の部隊を希望してた」


「へえ、そりゃ残念だ。怖くて泣いてるやつがどこへご志願したんだか」


 ネスは鼻で笑って取り合わなかった。こんな弱虫が、自分よりずっと強いのが気に食わない。


 立ち去りかけたネスの袖を、ハルクが強い力で掴んだ。


「いってえな、なんだよ」


「君を待ってたんだ。探してほしい人がいる」


「はぁ? 俺忙しいんだけど」


「その後でいい。頼む。代わりと言ってはなんだけど、その間はどんな矢からも弾丸からも君を守ろう」


 ネスは目を細め、まぁそれならと、表向き渋々といった顔で了承した。【鷹の眼】発動中は周囲の危険を全く察知できず、完全な無防備となる。ボディーガードとしてハルクはかなり心強い。


「で? 持ち場を離れてまで俺に人探しさせて、何をしたいんだ?」


 物見櫓まで並んで走りながら聞くと、ハルクは真剣そのものの眼差しで端的に答えた。


「戦争を止めたい」


「ふーん……って、はぁぁぁぁ?」


 呆れて開いた口が塞がらないネスに、ハルクは全てを信じ切った純真な顔で、真っ直ぐ前だけを見ていた。


「敵も味方も、誰も死なせない。戦争が始まる前に、敵を説得する」


「おいおいバカかよ。付き合ってられねーぞ。そんな勝手な行動したらクビが飛ぶぜ、色んな意味で」


「アインシュタイン博士に提案したけど無理だった。だからバレないようにやる。よくわからないけど敵がなぜか帰ったってことになればそれでいい。君は、ただ一人の男を探してくれるだけでいいんだ」


 頭がわいてしまったのか、と思った。言っていることが無茶苦茶すぎる。それでも、「お願いだ」とあまりに真っ直ぐな瞳で頼まれると、けがれたネスの心には眩しすぎる。


「ん〜……」


「頼むよ」


「俺にメリットないしなぁ……」


「僕が生きてたら、どんなことでもして返すよ!」


「でもなぁ……ちなみに、誰を探すんだ? や、やるとは言ってないからな」


「シオンだよ」


 げえっ、とネスは半ば予期していた名前に辟易へきえきした。いよいよきな臭くなってきた。俺、アイツも苦手なんだよなぁ。真っ直ぐすぎて。


「彼も同じ気持ちでいてくれてるはずなんだ。シオンに会いたい。僕ら二人なら、きっと上手くいく。昨日寝ずに考えて、ちゃんと勝算も立ててきた。頼む、シオンを探してくれ!」


 ネスは困りきって唸った。自分で分かる。こうなったら、もう断りきれないのが自分の中途半端なところである。









 同時刻。隊列を組んだルミエール軍最前線部隊《炎》を、切り立った崖からルミエール"五つ目の部隊"が見下ろしていた。


『ルミエール全軍に連絡! 南西七キロ先に敵影補足! その数二千強! あと一時間もすれば目視可能な距離となります!』


 【拡声煉術マイク】を出力全開にしたリーフィアの叫びが、ビショップ砦から放たれ乾いた大地に響き渡る。《花》に所属する彼女の声は、ルミエール軍の生命線の一つ。当然敵にも聞こえるため作戦などの指示は出せないが、通信機器のないこの世界での戦争で、音速で情報を飛ばせるリーフィアの力は欠かせない。


「七キロか。敵からすれば、長旅のゴールが目の前にあるわけだ」


 俺は呟いて、背後を振り返った。黒装束を身にまとう四名の戦士が俺の顔を見つめる。


「どうするんだ、隊長」


 四名のうちの一人、テトが薄く笑って尋ねた。


 俺は南西を睨んだ。砂塵の舞う地平線。その奥から、耳をすませば、今にも軍靴の足音が聞こえてきそうである。


「奇襲をかける」


「おう!」とバルサが拳を打ち鳴らした。新人大会でしのぎを削った好敵手が、この戦いの限り、俺の部下として命を預けてくれている。テトも、残り二人も、俺を隊長と慕い、ついてきてくれる。


 ルミエール軍独立遊撃分隊――《影》。どの部隊に所属させるのも難しかった俺とテトのために編まれた、五つ目の小さな小さな部隊だ。本隊の戦術から独立し、独自に動くことが許可されている。ただ一つ、敵前逃亡は許されない。


 たった五人しかいないのだがら、せいぜい少しでも多く敵を殺してから全滅してくれ、ということだろう。俺もテトも、死んだところでルミエールは全く困らない。


 ――始まっちゃうね。


 光とともに隣に現れたカンナが、俺に向かってささやいた。悲しそうに笑っている。


 ――あぁ。


 ――怖い?


 ――大丈夫。


 ――私が付いてるよ。


 ――ありがとう。力を貸してくれ。


 ――生きて、シオン君。


 俺は目を閉じ、目を開けた。その目が、空と同じ色に染まる。


 《影》の五人に、戦争経験者はいない。彼らを奮い立たせるため、己の弱さを殺すため、俺は隊長として今口にすべき言葉を探した。






「シオン、君に人殺しなんてさせない。絶対に、僕が、戦いを止めてみせる……!」







「いくぞ、お前ら――皆殺しだ」









第三章 完

To be continue...

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