第十六話 茜色の大戦-2
王に与えられた二時間の過ごし方を、テトは「任せる」と言った。つい二日前はあんなに俺を連れ回した彼でも、さすがに立場が変わり過ぎたのは
「わたがし食うか?」
「……食う」
神妙な顔で頷いたので、俺はテトを連れて例のわたがし屋に向かった。あの竜タンを最後にまともな食事をとっていないことを思い出すと、ようやくかすかな食欲らしいものが湧いてきた。
道中、様々な人間が俺を奇異や畏怖の目で見たが、今はあまり気にならなかった。フードをかぶることもせず堂々と歩く。むしろテトの方が、二日前は気づいてもいないようだった俺への視線に、敏感に反応した。
「シオン、お前、なんか嫌われてんのか」
変化球を覚えろ。
「……まーな、俺もバケモンだから。お前と一緒だよ」
「えっ、ハーフアビスなのか!?」
「いや、そうじゃねえけど……説明がめんどくせえな。どうでもいいじゃねえか、名前なんて」
モンスターも、アビスも、ハーフアビスも、精霊も、アカネウォーカーも、人間も、バケモノも。その名前にどれほどの意味があるのだろうか。人間は自分が理解できない生き物をモンスターと呼んでいるだけだと、斬喰炉が言っていた。その通りだと思う。
「……てか、なんでちょっと嬉しそうなんだよ」
テトの足取りが少し軽くなったのを見逃さず詰めると、テトは「わりい」と悪びれもせず笑った。
目当てのわたがし屋が見えてきたところに、なにやら美味そうな匂いが風に乗って鼻の前を横切った。串肉屋の屋台だ。
肉とピーマンを交互に刺した巨大な串を、タレで満ちた壺にとっぷり浸して網の上で豪快に焼いている。食欲をそそる音と匂いが、勢いよくこちらまで飛んでくる。
瞬間、
肉が焼けていく。その魅惑的な音と香りに、否応なく唾液が分泌される。脳裏でカンナの笑顔が咲いた。俺の知る限りの彼女の色んな表情が、矢継ぎ早に切り替わって――物言わぬ
食道の入り口まで酸っぱいものがこみ上げて、舌の根が痙攣した。どうにか胃液をぶちまけるのをこらえて、気を落ち着かせる。
「……テト。先に、肉、食っていいか」
え、とテトが固まった。向けられた気遣わしげな目に、俺はただうなずいてみせた。
「……分かった。おれも、食う」
今度は二人して、串肉を注文した。店主は俺に対しても愛想よく、注文通りの串を二本売ってくれた。ジューシーな脂をしたたらせる大きな串を手に持って顔に近づけると、いよいよ口の中が唾液で満たされる。
この肉の持ち主は、一体どんな生涯だったのだろう。
俺とテトは青白い顔を見合わせ、うなずくと、同時に大口を開けて肉にかぶりついた。甘辛いタレが絡んだ肉が、口の中で弾け、旨味がギュッと詰まった肉汁を溢れさせる。
どうしようもなく、美味い。舌が、細胞が、この味を美味だと認識するようにプログラムされている。
「……そのへんにある砂や石が、こんな味ならよかったのになぁ」
テトが、小さく呟いた。そうだな、と俺は低くうなずいた。
この世で
だが全ての生き物には、同時に天敵に捕食されないための本能や知恵がインプットされている。大人しく食われることだけが役目の生物は、この世に一種として有り得ない。
つまりは、戦争だ。
生きていいのは生存競争に勝った者だけ。逃げて、殺して、考えて、死物狂いで権利を掴み取った一握りの者だけが、
俺たちは生まれたときから戦争をしているのだ。地球は、何億年も前に戦争の決着がついた。人類は、食われる恐怖から永遠に脱却した。もう何一つ、人類を脅かす天敵はいなくなった。この世界にして思えば、夢のような話だ。
長く苦しい戦争を終わらせた人類は――戦争を、始めた。人間同士の戦争を。
滅びたほうが、いいんじゃないのか。こんな救えない種族。
視界に暗幕が降りたようになって、うなだれた俺の耳元で、彼女が
生きて。
それ以上は、言ってくれない。俺の中にいるカンナは、俺の知っている限りのカンナでしかない。そこから先の言葉を、俺は一生もらうことができない。
「戦いたくない」
つぶやいた俺を、テトは澄んだ目で見つめた。
「他人に奪われて、納得のいく命なんてないって分かったから。俺たちはこれからも、生きるためにたくさんの命を食わなきゃならない。それでもう、沢山だ。誰も殺したくないし、誰にも死んでほしくない」
「うん」
ここで何を言おうと、敵の行軍は止まらない。ルミエールの迎撃準備も中断されない。戦争は始まる。俺は今、駄々をこねている幼児に過ぎない。
「だからさ……もう、これで、最後にするんだよ」
覚悟なんて決まっていないから、強い言霊にする必要があった。
口の端が震えるのを誤魔化して、俺は、泣き笑いの表情で言った。
「皆殺しにする」
敵を殺さずに無力化するのは、殺すだけの三倍難しい。戦場には、俺より強い敵兵なんてうじゃうじゃ出てくるだろう。一瞬の
そもそも、敵にもう戦えないほどの打撃を与えなければ、この戦争は終わらない。生半可に撃退してどうにか停戦させたぐらいでは、何度だって繰り返されてしまうかもしれない。
だから、目についた敵は、全員殺す。もう二度と、こんな愚かなこと考えもしなくなるぐらい、徹底的に殺し尽くす。
それで、これで最後にするんだ。
テトはしばし絶句し、不自然なほど明るい声で言い返した。
「一人でやらせるかよ。シオンが百人殺すなら、おれは二百人殺すぜ」
「無理するな。仲間だったやつらだろ」
「おれに仲間なんていねえよ」
刃物のように言ってから、「いなかった」と、テトは言い直した。
「……おれは、シオンのために戦いたい」
照れくさそうに目をそらしながら、かすかな声でそう言った。
「だから、シオンが戦う相手と戦う。おれ、もう、それしか理由がないんだよ。だから、お願いだよ、シオン。おれを頼ってくれよ。必要だって言ってくれ」
テトは、今にも泣き出しそうだった。
魔人の里を追われ、身を寄せた人間の国にも捨てられ、好きになった人さえ喪った。目の前の少年は空っぽだった。どうにか踏ん張って立っているけれど、強い風が吹けば簡単に飛ばされてしまいそうなほど。
「生きてくれてるだけで、お前は最高だよ、テト」
青いビロードの目が見開かれて、海のように揺らいだ。
「一緒に戦ってくれ。二百人も殺さなくていい。ただ、俺と一緒にこの戦いを生き延びて、これからもずっと、そうだな……」
――生きて。
「生きるのを、手伝ってほしい」
テトの引き結んだ唇が震えて、熱い液体が二筋流れた。
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