第十六話 茜色の大戦-1

「シンクレアと申したか。貴様は速やかにギルド本部へ任務の報告を完了したのちただちにアルテミスの部隊に合流せよ。アルテミス、後は任せる」


 王はマリアとアルテミスにそう命じると、カンナからの手紙を丁寧に折り畳んで封筒に戻し、懐にしまった。マリアは呆けた顔を慌てて引き締めて、その場に膝をついて頭を下げた。二人が去って行ってから、王は俺たちに目を向けた。


「ナツメと、テト。貴様らは少し残れ。他の者は下がってよい。それぞれの部隊に合流し、来たる戦いに備えよ」


 はばからぬどよめきが起こった。


「へ、陛下、そんな……この者たちを自由にした上、警護もなしに!? 危険です!」


「警護ならおる。こいつだ」


 王は杖で俺をしてみせた。ご乱心を、と誰かが悲鳴を上げた。


「そう思うなら、貴様、部屋の外で一人待機しておれ。予を殺すのにこれ以上の好機はあるまい。予が生きて再び貴様にまみえたならば、この者はアイルーの尖兵ではないということよ」


 それまで沈黙していたユーシスが、たまりかねたように怒鳴った。


「陛下! 卑劣なアイルー人にこれ以上の温情は――」


「くどい」


 ユーシスは、首を絞められたみたいに言葉を飲み込んだ。わなわなと拳を震わせ、射殺すような目でテトを睨むと、肩を怒らせて彼は騎士の間から出て行った。ユーシスにつられるようにして、他の者も間もなく全て退場した。


 三人きりとなった広い部屋で、王は俺たちにゆっくり歩み寄ってきた。俺とテトは、どうしていいか分からず一度目を合わせてから、ともかくその場にひざまずいた。


「さて。予を殺すか、テトよ」


「い……いいえ。おれは、ルミエールの人と……仲良くなりにきたんだから」


「そうか。そうだったな」


 王は眉間に年輪のように深く刻まれたしわを、目で分からないほど僅かに緩めた。


おもてからは、人の奥底は見えぬ。先王は信頼する家臣に毒を盛られ崩御ほうぎょされた。予が七つのときだ。それを見抜かなければ、予は危うく傀儡かいらいの王となるところだった。今でも、わからぬ。予に付き従う家臣の、民のいったいどれほどが、純真に予をしたっておることか。……人心じんしんを疑うのは、もはや予の生き方そのものよ」


 灰色がかった王の瞳に、初めて人間らしい色が浮かんだ。重ねた疲弊ひへいの色。王は、戸惑ったような顔で少し固まってから、ぽつりと言った。


「貴様らを、信じよう」


 俺たちは言葉も出ず、平伏した。王はまだ少し混乱した様子だった。咳払いし、必要以上に尊大な口調で言った。


「正確には、予の信頼を得る一度きりのチャンスをやる。此度こたびいくさで武功を上げてみせよ。生半可な結果は許さぬ。戦後、誰にも文句を言わせぬほどの、《月剣》の形見に相応ふさわしい活躍でなければ」


 目を見張ったテトを、王は品定めするような眼差しで見下ろした。


「テトよ。祖国と戦う覚悟があるか」


 テトの青い目が揺らぎ、そして、光を消した。


「はい」


「よし。貴様らの所属部隊はこれから《いばら会談》で決める。二時間後、二人で執務室へ来い。それまではナツメ、貴様がテトを見ておれ」


「はい……あの、俺の監視役は」


「そんなにつけて欲しいのか?」


「いっ、いえ!」


 首をブンブン振った俺に、王はフンと鼻を鳴らして「もう下がれ」と言った。


 夢見心地で立ち上がった俺を、王がふと呼び止めた。


「《月剣》の想い人というのは、貴様だろう」


 俺は固まって、首を縦にも横にも振れずにいた。それをどのように解釈したのか、王は険しい顔で「そうか」とだけ呟いた。


「これまでの貴様への処遇、詫びるつもりはない。貴様が今もこうして正気を保っている事実は結果論に過ぎぬ。予を恨むがよい」


 俺は静かに首を横に振った。運命は恨み飽きたが、王や白皇を恨んだことはない。


「……一介の冒険者に戻ろうと、貴様が歩むのは依然茨の道であろう。己の力で、日進月歩、信頼を取り戻してみせよ」


 下がれ、と再び王は命じた。俺たちは深く一礼して、騎士の間から退室した。部屋の前では例の男を含む、ほとんどのウォーカーが待機して扉を睨みつけていた。出てきた俺達を見て、彼らは血相を変えて俺たちを押しのけ、騎士の間に殺到した。


「陛下、ご無事ですかー!!」


「なぁっ!? 貴様ら、下がれと申したはずであろうが!!」


 王の怒鳴り声を背に、俺とテトは人のいなくなった廊下で顔を見合わせた。やがて、どちらからともなく目が潤みだした。


 言葉も交わさず、俺たちは固く抱き合った。耳元で、テトが幼子のように声を上げて泣いた。俺も泣きながら、よかった、よかった、と、譫言うわごとのように繰り返して、テトの背中をポンポン叩いた。

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