第十五話 宣戦布告-2

 テトの目が、大きく見開かれる。


「は……? 知るかよそんなの。おれにできるわけないだろ、さっきまで国にいなかったのに」


「王様、本当です、私達は昨日の午前中から」


「口を挟むな」という王の一喝と共に複数方向から槍を向けられ、マリアは唇を噛んで閉口した。


「共に行動していた貴様らの言葉にもはや価値などない、とっくに懐柔かいじゅうされている可能性がゼロでない限りな。死体は何かしらの薬品で酷く腐敗させられており、いつ暗殺されたのか断定できん。任務出発の前、いや、貴様が正式に門をくぐるより前でも、貴様がそれなりの戦士なら忍び込むことができたはずだ」


「待てよ、おれの他にもう一人、ヴァサゴって図体のでかいオッサンがいたはずだ! そいつに聞けよ、おれは何も知らない!」


「さっきからなにをワケの分からんことを――そのような者などおらん!」


 その一言で、テトの威勢が煙のように抜けていった。


「そうだな、プレスリー」


「はい。門番の記録にも、到着の晩に王へ謁見された際にも、いらしたのはテト殿と従者の方がお一人きりです。ヴァサゴ殿といえばアイルーの守護神と名高い戦士ですが、そのような方がいらした記録も記憶もございません」


 帳簿をりながら、侍従長じじゅうちょうがはっきり告げる。テトはますます狼狽うろたえた。


「じゅ、従者? 知らねえよそんなやつ、おれは……」


「くどい! しらを切り続けるつもりならそれもよかろう。すぐに吐かせてやる。――おい、誰かこの者の片足を斬り落とせ」


 その一言が、一気に広間の空気を殺伐とさせた。動揺する者が少なくない中、一人の炎髪の男が、横隊の後列から進み出た。並々ならぬ圧力で前列のウォーカーに道を譲らせた彼の顔を見て、俺とマリアは同時に絶句した。


「私にやらせてください、陛下」


 ユーシス。俺の知る彼では、ないみたいだった。彼がいることすら、今の今まで気づけなかったのだ。まるで出会ったばかりの頃に戻ったみたいな、いや、もっと深く暗く、冷たい眼差しでテトを見下ろしている。ユーシスは既に、剣の柄頭つかがしらに左手を乗せていた。王は燃える目で、小さく頷いた。


「レッドバーン、任せよう」


「ま、待って、ユーシス!」


 声を上げたマリアの首に、再び矛先が集中する。ユーシスは俺たちを一度ずつ交互に見てから、最後に全く異なる温度でテトを見下ろすや、抜剣した。


「貴様個人に恨みはない。知っていることを話せば、もうしばらく無傷で生きていられよう」


 言葉とは裏腹に、グレーの瞳には底無しに深い憎悪がうごめいている。


「だから……何も知らねえって言ってんだろ……!」


「そうか」


 ユーシスは鎖で縛られたテトをうつ伏せに転がし、その背中を踏みつけると、ジタバタもがくテトの右足めがけて剣を振りかぶった。


「最後だ。知っていることを話せ」


「知らない……本当に、なにも……」


「見上げた根性だ」


 躊躇ためらいなく振り下ろされたユーシスの剣は、テトの足を付け根から切断する寸前に弾かれた。


「……なんのつもりだ、アルテミスきょう


 ユーシスの剣を弾いたのは、アルテミスの銀色の剣だった。表情の読み取れない甲冑を、ユーシスは鬼の形相で睨んだ。


「よりにもよって貴様が、陛下のめい楯突たてつくとはな。王家への比類なき忠誠こそがアルテミス家の名誉だと思っていたが」


 アルテミスは答えない。王は怒りで声もなく震えていた。ユーシスにもう少しで体当りするところだった俺は、誰よりもアルテミスの行動に驚いていた。こいつは王への忠誠のあまり平気で俺の鼻をへし折るような女だったはずだ。


「アルテミス! 貴様、に手向かうか!」


「申し訳ありません陛下。ですが、この者は……《月剣》が、ヒイラギが命をして生還させた人間です。傷一つ、つけるわけには参りません」


 初めて、甲冑から響く声が人間らしい温度を持っていた。広間は、静まり返った。


「な……なんと、申した」


「《月剣》カンナ・ヒイラギは、此度こたびの任務にて、殉職いたしました」


 アルテミスは、カンナの剣を王に見えるよう、丁重に両手で掲げた。王の顔から急速に血の気が引いて、真っ白になった。全員、揃いも揃って、打ちのめされたような顔をした。ユーシスは虚ろな目で、消え入りそうな声で聞き返した。


「……ヒイラギ、隊長が……死んだ……? まさか……ありえない。やったのは、どんなバケモノだ」


 アルテミスが俺に視線を向けたので、俺はうなずいて、ユーシスに伝えた。


「知能を持った、人型の魔物に。とにかくふざけた強さで、手も足も出なかった。カンナだけが対等に戦っていた」


「バ、バカなぁ……そんな世迷い言誰が信じるものか! 貴様らだな!? そこの国賊と結託し、卑怯な手段で《月剣》を……貴様らァ!!!」


「陛下、それは、有り得ませぬ」


 王の言葉さえさえぎるほど強い声で、アルテミスがきっぱり断言した。


「ヒイラギは、この者らごときが束になってかかろうとも、どれほど卑劣な策を巡らそうとも、決して死ぬような女ではありません。陛下も、それはよくご承知のはず」


 俺とマリア、テトは、三人同時にうなずいた。王は魂を抜かれたようにその場に立ち尽くした。


「……それでは……《月剣》の、亡骸は」


 十年は老け込んだような王の顔を直接見ることもできず、俺はどうにか首を振った。


「あ、あぁ……」


 王はしわがれた声で呻き、目を見開いたまま枯れ木のように沈黙した。


「陛下。お渡ししたいものがございます」


 かすかに目を動かした抜け殻の王に見えるよう、アルテミスは一封いっぷうの封筒を両手で丁重に掲げた。見覚えのあるその封書に、心臓がバクンと高鳴った。


「ヒイラギから、陛下に宛てた手紙です」


 死んだ魚のようだった王の目に、僅かに活力が戻る。


「なん、だと」


 それは、カンナを残して俺たち三人が帰還するというとき、俺がカンナから受け取っていたもの。「任務の報告をするとき、一緒に受付に渡してね」と言って持たせてくれたものだった。気球の積荷と一緒にしていたが、着陸して早々包囲されたせいで、すっかり頭から抜けていた。


「正確には、中身が二種類ございました。一つは任務の中間報告。未確認の飛竜をこの場にいる三名が協力して討伐したこと等が、ヒイラギ本人はなんの助力もしていないことを強調して報告されております。飛竜の死体を本国へ持ち帰るため、ヒイラギは単身で火山に留まり、三名を一時帰還させる――報告はここで終わっています。確かにヒイラギの筆跡です、《月剣》の印もあります。そして、もう一つが陛下宛と思われる封筒ふうとう。こちらは、私も目を通しておりません」


「……こちらへ持って参れ」


 アルテミスはユーシスとテトの間を通って、王に封筒を献上した。王はうやうやしく受け取って、何か神聖なものを目に入れるような顔で、ゆっくりとその封を切った。中身は羊皮紙が三枚。王はじっと手紙の内容に目を通した。五分、十分と時が流れる。同じところを何度も読み返していると思われる時間もあった。


 やがて、王は静かに涙を流しながら、みなに命じた。あの王が泣く姿なんて、想像すらつかなかった。


「その者らに……手出しは許さぬ。アルテミス、三名を解放せよ」


 ユーシスは目を剥き、呆然とその場に立ち尽くした。アルテミスとその部下たちによって、俺たちの拘束が解かれていく間も、ユーシスは剣を鞘に納めぬまま、固く拳を握りしめていた。

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