第十四話 半魔-3

「おい、貴様!」


 ハルクとレンを連れて入退場口で待ち構えていたユーシスは、コトハが姿を現すなり指をさして噛みついた。コトハは三人の姿を見つけると、その無表情を肉眼では分からないほど微かに緩めた。


「来てくださったのですね」


「コトハぁ……! 心配したよ、もう!」


 しがみついたレンの頭をよしよししながらコトハはユーシスとハルクに一礼する。言葉は分からないが、その余裕たっぷりな雰囲気がユーシスは気に入らなかった。


「わざわざ俺を呼び出して、なんだ貴様! 自慢か!?」


 シオンとそっくりの剣術まで使って、おかげで余計なトラウマを思い出した。さすがにアカネに来て日が浅いのもあって身体能力は発展途上だが、単純な剣の腕だけなら、自分やハルクはおろか、シオンさえ上回る。ユーシスは憤懣ふんまんやるかたなかった。


 去年まで、ユーシスは煉術抜きの剣術でも自分に並ぶものはいないと確信していたのに、次から次へと地球からバケモノがやってくる。


 言葉の分からないコトハに、ハルクが通訳する。「どうして自分を誘ったのか、だって」と言われて、コトハは黒曜石の瞳を真っ直ぐユーシスに向けた。


「面識のある方の中で、貴方あなたが最も矜持きょうじある剣士だと思ったからです」


 ハルクのよどみない通訳に、ユーシスは言葉に詰まった。


「私の知らないこの世界の剣術の他に、貴方にはもう一つ、炎を操る奇術がある。それでも新人大会の日、ハルクさんと剣術同士の試合にこだわった瞬間があったように見えました。あの大会で、貴方は誰より誇り高い剣士でした。あの日から、私の目標は貴方なのです」


 思わず、腰の剣に触れた。


 有り余る煉術の才能を持っていながら、ユーシスは幼少より剣術と煉術の両輪を極める道を求めた。ナチュラルのウォーカーにとって、剣術は戦闘手段というよりもたしなみの意味合いが強く、ほとんどが煉術の個性と威力を磨いて主戦法とする。


 ましてやレッドバーン家は代々優秀な煉術師を輩出する名門。煉術訓練と同等以上の時間を剣術訓練に費やすユーシスに、様々な者が「もったいない」と嘆いた。


 ユーシスは「黙れ」と一蹴し、意にも介さなかった。ユーシスはむしろ、自分に剣術の才能が煉術ほどないことを許せなかったのだ。単に煉術の才能が有りすぎたのだが、ユーシスのプライドは看過しなかった。大人を含めて自分にかなう者がいなくなっても、己の才能を凌駕するまで、ユーシスは遮二無二しゃにむに剣を振るい続けた。


 剣にこだわりがあったわけではない。己という存在の価値を高める手段の一つに剣があったまでのこと。それでも、ユーシスはいつの間にか誰より誇り高い剣士となっていたらしい。だからこそ、あの敗北はこたえた。


 迷い込んできたばかりの地球人に剣術では手も足も出ず、煉術を使っても勝てなかった。これほどレベルの違う剣士がこの世にいたのかと、しばらく悪い夢を見たくらいだ。


 ついには一年程度シオンに師事しただけのハルクにも負け、ちょうど剣士としてのプライドは粉々に砕かれたところだった。だから、剣の腕ではなく誇りを褒められたのは、不覚だった。


「……ふん、この俺を目標にするとは身の程知らずな女だ」


「嬉しいってさ」


「おいアルフォード、貴様の通訳短くないか」


 疑心暗鬼になるユーシスを、コトハは無垢な顔で見上げた。


「あい らいく ゆー」


 ユーシスの真顔が、一瞬石化した。たどたどしく稚拙この上ない発音だったが、この地球人の少女は今、確かにこちらの世界の言葉を話した。


 これにはレンとハルクまでギョッとする始末で、レンは顔を真っ赤にしてコトハを揺さぶった。


「ち、違うでしょコトハ!? せっかく練習したのに、あいだがめちゃくちゃ抜けちゃってるよ!! I want to like you.(貴方のようになりたいです)でしょ!?」


「あ」


「全然意味違っちゃうよ!? て、あぁっ! もうこんな時間! すみません、私たち次の授業があるので! ユーシスさん、失礼しました、この子ちょっとおバカなんです……!」


 失礼しました、本当に! 来てくださってありがとうございましたぁぁぁぁ! と真っ赤な顔でコトハの背中を押して退散していった。だんだん遠ざかっていきながら、コトハは不思議そうな顔でユーシスの方を振り返った。


「次お会いするときは、必ずや私もウォーカーに」


 嵐のように去っていった二人を見送って、ハルクはほんのり赤らめた頬をかいた。


「次会うときは私もウォーカーに、だってさ。あの調子だと本当に一瞬で卒業しちゃうかも。でも、座学があるからなぁ……」


 ユーシスは石化したまま動かない。あの言葉が言い間違えなのは分かっている。言われた内容など重要ではない。慣れないこちらの言語を使い、あまりに真っ直ぐ放たれた言霊ことだまが、ユーシスの人生に記憶がないたぐいの衝撃を浴びせた。


 体の内側を脈打つような活力を不思議がって、ユーシスはふと拳を握った。かつては見下し、侮蔑ぶべつしていた種族に対し、今、自分は、妙なことを考えている。


 ――俺は、アレが憧れる俺で、あり続けなければならない。


 そう長く待たずウォーカーとして目の前に現れるであろうあの女が、次に会ったとき失望しないような男であらなければならない。またもう一度、いや、何度でも、会うたびにあの曇りない目で「目標だ」と言われたい。


 尊敬されることが生き甲斐のユーシスは、誰かに真っ直ぐ褒められたのが久しぶりだったのだった。


「おい、アルフォード。このあと少し付き合え」


「え? なんで」


「俺に剣術を教えるがいい」


「どう生きてきたらそんな頼み方になるんだよ」


 呆れ果てながら、ハルクはユーシスの心の内を見透かしたように笑った。


「いいよ、僕で良ければ。でも、君は煉術のために片手を空けるスタンスだから、ナツメ流をそのまま教えるとバランスが崩れるんじゃないかな」


「だから貴様に頼んでいるのだ。貴様は盾持ち剣士だろう。本来のナツメ流とやらを、盾で片手を塞いでも使えるように改良したのではないのか」


 ハルクは感心したように目を丸くした。


「あぁ、そういうことか。よく分かったね。盾を持ちたいってワガママ言った僕のために、シオンが考えてくれたんだよ。最終的には二刀流まで。だから、確かに片手剣術なら僕が一番力になれるかも」


「そういうことだ。さっさと行くぞ。我が邸宅ていたくの庭に稽古場けいこばがある」


「えっ、ユーシスのおうち? わぁ、楽しみだなぁ」


 さっさと歩き出したユーシスに、ハルクが胸を躍らせてついていく。しかし、二人の足はすぐに止まることとなった。


「れ、レッドバーンきょう!」


 ガチャガチャ鎧を鳴らせて疾走してきた騎士装束の男が、何やら血相を変えてユーシスを呼び止めた。よほど急いできたらしく、息が荒い。白い薔薇の刻印された特徴的な騎士鎧――王族につかえ身辺警護等を担う"騎士冒険者ナイトウォーカー"の証である。冒険者ウォーカーでありながら、ナイトウォーカーが壁の外に出ることはない。


「どうした、俺は今から忙しい」


「至急お伝えしたいことが……」


 ちらりと背後のハルクを見た騎士に、ユーシスは鼻を鳴らした。


「コイツは構わん、俺の連れだ。申せ」


「は、はい、失礼をいたしました。それが……マックス殿どのとヘーゼル殿が――ご殉職を」


 見開かれたユーシスの目が、かすかに揺れた。それらは、ユーシスの左右にぴったりくっついて離れなかった馴染みの同輩の名だった。二人とも下級貴族の男子だんじで、幼少期から付き合いがあった。学園でも親衛隊のようにつきまとい、大した武の才もなかったのに、ついにはユーシスを追って冒険者にまでなってしまった。


「バカな……あいつらはアイルー国内の駐屯基地に派遣されていたはずだろう。壁外に出るような任務など……」


 壁外に出てモンスターを狩ることだけが冒険者の仕事ではない。本人の希望や適性によっては、この男のように騎士となったり、研究部に配属されたり、同盟国に駐在して外交の任にいたりする。あの二人は戦闘能力が低かったために、同盟国アイルーの駐屯兵となっていたはずだった。


「お二人をあやめたのは、モンスターではありませぬ。人間です……それも、アイルーの手の者と思われます」


 ユーシスとハルクは揃って耳を疑った。


「ふざけるな、アイルーは我が同盟国であろう!」


「重傷を負いながら逃げ延びた駐屯兵が一人、八十キロの悪路あくろを飲まず食わずで走り帰って参りました。彼が事切れるまでに語れたことは多くなく……それもつい今しがたの話です。ただ、アイルー駐屯基地はアイルーの軍勢によって壊滅したと。わたくしにも、これ以上のことは」


 命をして国に凶報を持ち帰ったその者を胸中でたたえつつ、ユーシスは煮えるような頭を右手で覆った。


「戦争を……しようというのか」


 その単語に、ハルクが青い顔で息を呑んだ。


 駐屯基地への襲撃が意味することは、それ以外に存在しない。しかし、なぜ今になって。アイルー王国は国土・人口においてはルミエールの五倍を越える大国だが、それでも軍事力でルミエールには及ばない。ゆえに、同盟国という体裁でありながら、実際はルミエールの属国に等しかった。アイルーでは、ルミエールには勝てない。


 第一に、ルミエールは守護石の採掘地を独占している。戦争において、あれがどれほど圧倒的な存在となるかは自明である。仮に一人の兵士が死ぬまでに無力化できる敵兵を一人だとすると、守護石を一つ装備させるだけでそれが二体に増えるのだ。


 第二に、冒険者ウォーカーの質が違う。世界樹ワイズエントがもたらした数え切れない恩恵の一つに、教育の充実と効率化がある。世界樹の高い演算能力と莫大な記憶容量ストレージキャパシティによって、ルミエールの学園は低コスト少人数による大量の冒険者候補生の管理・育成を可能にした。


 世界樹の管理によって適切に評価された候補生は、卒業に必要なポイントをランク戦によって奪い合い、切磋琢磨する。守護石を独占しているルミエールは候補生の訓練にすら惜しみなく守護石を投入できる。この結果質の高い冒険者が育ち、彼らが壁外任務で有益な資源を持ち帰り、それがまた国力増強に繋がる、といった好循環が生まれた。


 そして、第三に。ルミエールにこれほどの高度成長をもたらした張本人。世界最強の男――白皇がこの国の守り神として君臨している。このルミエールに戦争を仕掛けるなど、少し考える頭があれば愚の骨頂と分かるはずだ。かの大国ダバルでさえ二の足を踏んでいるというのに。


 そこまで考えてから、ユーシスの呼吸が止まった。


「……待て、白皇は今どこにいる」


 騎士の弱った表情を見た瞬間、血の気が引いた。


「それが……《日剣》様は現在ダバル王国への遠征任務へ。上層部で止まっていた情報ですが、どうやら先日ダバル側からの宣戦布告があったようで、昨日明朝にここを発たれたばかりだとか……」


 瞬時に理解した。――ハメられた。


 白皇が出払った、この示し合わせたようなタイミングで。偶然なはずがない。


 敵は、アイルーだけではない。揺らぐ視界に、亡き友との思い出が矢継ぎ早に明滅する。


「敵は――ダバルとアイルーの、合従がっしょう軍か」

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