第十四話 半魔-1

 昼日中ひるひなかの茜空を、白い気球が飛んでいる。行きよりも荷物が増え、人数は一人減っていた。


 マリアは、バスケットの隅で自分の膝を抱き、真っ赤に腫れた目で虚空を睨んでいた。テトは対角に座り込み、地蔵のように項垂うなだれていた。俺は気球の世話を中断し、バスケットのふちに肘をついて、外の景色をぼんやり眺めていた。


 斬喰炉が去ってから、カルデラ湖のベースキャンプまで死んだように降りて、そこで一泊し、明朝から下山を再開して麓の気球を回収して飛び立った俺達は、そのかん全く口を利かないでいた。通夜でも、もう少し明るい話題が咲く瞬間があるだろうに。


「……ごめん」


 テトが、聞こえるか聞こえないかギリギリの声で、たった一言呟いた。


「何が」


「何が、って……色々だよ。おれはビビって、全く戦えなかったし。それに、その……色々、隠してたから」


「何を隠してたかは言わないで、謝られても。分かんねえだろ」


 流れ行く景色を眺めながら低く言う俺に、テトは生唾を飲み込んだ。打ちひしがれ、憔悴しょうすいしきったその顔は、以前の彼からは想像もつかない。


「……おれは、人間じゃない。魔人アビスでもない。人間と魔人の間に生まれた、半魔ハーフアビスだ。たぶん、世界で唯一の」


 俺は無感動に「あぁ」とだけ返した。驚きはない。斬喰炉が既にあらかた暴露ばくろしていたようなものだ。


「……実際、こんなことがなけりゃ、一生隠していこうと思ってたことだ。今更仲間面なかまづらするつもりはない。おれを好きにいたぶっても、殺してくれても構わない」


「しねえよ、そんなこと」


「……そっか」


 壊れた人形のような顔のまま呟いたテトに、マリアが虚空を見つめたままいた。


「あの斬喰炉は、あんたの仲間なの」


「んな、まさか。ハハ……あの人の態度を見ただろ。斬喰炉さんだけじゃない、おれは、みんなからキモがられてたんだよ。気の触れた誰かが猿とセックスして生まれた奇形児を、人間は仲間に入れるのか?」


 自嘲気味に笑ったテトは、すぐに口角を落として首を振った。


「いや……悪い。戦えなかったんだから、向こうに味方したようなもんだな。……結局そうなんだ。おれはどっちにもなれない。群れから逃げて、人間のフリして生きようとしたけど、バレてからは牢に繋がれて、危ねえ任務ばっかりやらされて。……カンナ、だけだったんだ」


 初めて、テトの目に生気らしさが宿った。


「カンナは、国の奴らから聞いて、俺がバケモノだって知ってた。それなのに、合同任務の相棒におれを指名して、牢までやってきて、まるで普通の人間みたいに、おれを扱ってくれた。おれは……アビスの味方にも人間の味方にもなれなくても、せめて、カンナの味方になろうって、思った。……思ったのに……!」


 ビロードのような蒼い瞳が、ウルウル揺らいで大粒の涙を落とす。


「ごべんなざい……! 動げながっだ……体が全く動かながった! 死ぬべぎは、おれだっだのにぃ……!!」


「勝手に、謝らないでよ」


 怒鳴ったマリアの目にも、枯れたと思われていた涙が滲んだ。


「あたしたちに謝られる資格なんてない。三人揃って何もできずに、カンナさんの亡骸なきがらと引き換えにのうのうと生き延びた……。この中の誰が代わりに死んでたって、カンナさんが戦いをめたはずがない。だから、あたしは……あたしは、あんたが、カンナさんのためにそんな風に泣けるんだって、知れただけでもういいわ」


 テトは、落涙らくるいする目を見開いたまま固まった。俺は空を見上げて、顔を見られないようにしながら言った。


「好きだったんだな、お前も」


「……うん」


「俺もだよ」


 涙が引いてから、俺は振り返って、二人に向けて笑った。


「復讐、しようか。この三人で」


 マリアは薄く笑って応じた。


「思ってもないこと、言わないでよ」


 あっさり看破された俺は、「悪い」と一言謝って、バスケットのすみに腰を下ろした。


 カンナの亡骸を引き渡して生き長らえた俺たちを、以前までの自分が見たら散々ののしり、軽蔑することだろう。俺もマリアも変わってしまった。これを成長と言っていいのか分からない。ただ、あの斬喰炉を憎むという方向には、どうしても感情がかじを切らない。


 俺たちは生きるために殺す。毎日、何かを殺す。それなのに、自分の周りの人だけは、何者にも殺されるはずがないと無根拠に思っていた。全く甚だしい思い違いだった。いつから俺は、人類は狩られる側から狩る側へ飛翔したものと、おめでたい錯覚をしていたのだろう。


 アビスとは、生きるために俺たちを捕食する天敵だ。天空を飛び回るたかに親を食い殺されたからといって、芋虫は鷹への復讐を考えない。


 斬喰炉の姿を、思い出す。ヤツが同じ空間にいた時の、異質な空気感、圧迫感が、今でも鮮明に思い出されて、身震いした。


 "アレ"は、異常だ。決して関わってはならない存在だった。アレに刀を向け数合打ち合ったことが、今にして恐ろしくなった。


 カンナはそんな斬喰炉さえ追い詰めた。そして、死んでしまった。弱すぎる俺たちを守り切り、俺の知る限り最も強い人間だった彼女は、生きたいと泣きながら死んだ。最期に、俺に生きろと言い残して。


 ならば、生きるしかない。何を捨ててでも。


「ギルドには、紅雲大火山開拓の永久中止を進言する。ジフリートの亡骸も回収には帰らない。マリアも、それでいいか」


「えぇ」


 マリアは打ちひしがれた顔で頷いた。俺たちの唯一の失敗は、斬喰炉に出会ってしまったことだ。ヤツの言うとおり、運が悪かった。天災に巻き込まれた。


 だから、もうあそこへ行ってはならない。いや、もう極力、冒険者も外に出てはならない。ヤツらに見つからないように、つつましく生きていくほかない。


 最初からそうしていればよかったのだ。そうすれば、カンナはずっと生きていられた。


 帰って今回のことを報告すれば、国は大混乱になるだろう。


 並外れた戦闘能力と知能を持った天敵、魔人の存在。《月剣》の殉職が、その恐るべきを何より国民の眼前に叩きつける。それでいい。カンナの犠牲によって、全国民が思い上がりを自覚するに違いない。そうして、カンナの愛した彼らの命は守られる。


 俺は、せめてそんな彼らの盾となろう。



 ――ふざけるな。



 腹の底から、一瞬、爆ぜるような熱が噴き上がった。俺は素知そしらぬフリをした。北極風に押され、気球は吸い込まれるようにルミエールへと運ばれていく。


「今、何がしたい?」


 単純な興味で、俺はマリアに尋ねた。彼女はさして間を空けず答えた。


「そうね。……ハルに、会いたい」


「奇遇だな。俺もだよ」


 ところが俺たちは、帰還した瞬間、待ち構えていた《いばら》二名がひきいる武装兵団に包囲・捕縛された。

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