第十三話 生きた証-2


 助けてもらった瞬間から、九歳のひいらぎ 環那かんなは恋に落ちた。純白の王子に、完膚かんぷなきまでに。


 東京の下町で、面白い父親と優しい母親にめいっぱい愛されて育った。踊ることが大好きで、ダンススクールに通っていた。弾けるような笑顔で踊る彼女の、溢れんばかりの才能とその可憐さに、誰もが非凡さを見出していた。将来を嘱望しょくぼうされていた彼女の名は、存在は、その日地球から綺麗サッパリ消え去った。


 モンスターから助けてくれた青年は、白馬に乗ってこそいなかったが、紛うことなき王子様に見えた。白皇という名前が、少女の夢想に拍車をかけた。


 ルミエールに保護されたカンナは、子どもだてらに、自分を迎えてくれた国民の温かさに感嘆した。幼すぎる自分を、マーズという若干十四歳の受付嬢が心配して、ニュービータウンに一緒に住んでくれた。


 地球に残してきた人々を想い、三日三晩枯れるまで泣いたカンナは、やがて目標に向けて顔を上げた。それは、冒険者ウォーカーになること。なんの力もない自分を無条件に歓迎してくれた、大好きな国民のため。新客を守る制度が整えられた、素晴らしいこの国のため。そして、彼と肩を並べるため。


 カンナは白皇に弟子入りした。何度断られても諦めないカンナに、とうとう白皇が折れた。修行は、地獄だった。


 修行初日でいきなり、シンリンゴブリンの出没する壁外の森に一人、裸同然で放り出された。「近くで見ている、本当に危なくなったら助けるよ」と言っておいて、本当に助けてくれたのはゴブリンに組み伏せられ、いよいよ殺される寸前となった一回きりだった。


 それがほんの序の口だったと言えるほど、本当に酷い目に遭ってきた。段階や加減を全く考えない白皇のスパルタに泣きじゃくりながら食らいついて、三年後、カンナは十二歳にして冒険者資格を得た。


 それから一年少しして、白皇が旅に出ると言い出したときは大泣きして暴れた。別れ際、白皇は「留守の間、僕の代わりを頼んだよ」と微笑んで、カンナの頭をなでた。


 月日が経っても、カンナの初恋は色褪せるどころか、一層鮮やかに、熱く、苦しく、燃え上がっていた。優しくて、強くて、少し抜けたところのある白皇が、狂おしいほどに大好きだった。


 白皇のいなくなったルミエールを守るべく、カンナは奮起した。数々の功績を積み重ね、その強さ、聡明さ、精神力、そして美しさが王の目に留まり、カンナは王下七剣――国家最高戦力、《荊》の一振りに選ばれた。


 その年の歓迎祭で、カンナは一人の少年を助けた。一つ年下の、日本人の少年。勝手に親近感を感じて嬉しくなった。それ以上に、シオンという少年は出会った初日から、あまりに鮮烈な印象をカンナに与えた。


 素の能力が既に化け物じみており、仕留め損ねたゴルダルムから逆に助けられたぐらいだった。何より。


 ――ウォーカーになりたいって言ったら、笑うか?


 保護した新客とは決まって食事をともにするのがカンナのポリシーだったが、そんなことを言われるのは、もちろん初めてのことだった。ただでさえ、彼がアカネに召喚された初日のことである。


 この瞬間、カンナは、あやうく泣くところだった。


 自分の助けた新客が、自分に憧れてくれた。あの日白皇に憧れた自分のように。色々なことを思い出したし、ようやく自分もここまで来たのだと思えたし、何より、この少年がどんなふうに成長するのか、成長した彼と肩を並べて働く日が、楽しみでならなかった。その時から、カンナはシオンが可愛くて可愛くて仕方がなくなった。


 王のしつこい求愛から逃れるためにほとんど国へは帰れなかったが、シオンのランク戦初陣は任務を爆速で消化してまでお忍びで観戦に行ったし、マーズやロイドから彼の近況は頻繁に聞いていた。シオンは異例のハイペースで卒業する勢いで、ロイドから「一刻も早くウォーカーになって、嬢ちゃんに追いつきたいんだとよ」なんて言われたときには、あまりのあいらしさに身悶えした。もう、お姉さんがなんでも買ってあげちゃうんだからと暴走して、親友のサヤに最高級品の刀まで打ってもらう始末。


 凄まじい速度で成長してくるシオンに負けじと、仕事にも熱が入った。白皇がいなくなってから、いや、白皇と修行していた頃を含めても、これほど活力に満ち溢れていた日々は記憶になかった。


 シオンはウォーカーとなり、デビューと同時に派手な活躍を始めた。カンナも勝手に鼻が高かった。同時期、白皇が帰ってきた。二人に仲良くして欲しかったが、シオンが白皇を嫌っている風なのが残念だった。


 そして、新人大会。


 カンナは、かつてないほど狼狽うろたえた。初恋の人は精霊というモンスターで、可愛い弟分は世界を滅ぼすバケモノだったことに。それ以上に――


 一週間あまりして、心を決めたカンナは、シオンと暮らし始めた白皇に会いに行った。二人だけで話したいというカンナに、白皇はシオンに自由時間を与えて、二人きりになれる日を作ってくれた。


 穏やかに穂を揺らす小麦畑で、カンナは勇気を振り絞って、白皇に伝えた。



 ずっと、好きでした――



 白皇は、カンナの告白を受け止めて、あまりに優しくカンナを振った。カンナはその夜、少しだけ泣いた。手のひらに落ちた雪がゆっくり溶けて消えるような、痛みのない、一瞬冷たくて、じんわり温かい失恋だった。


 きちんと仕事を頑張ろうと思った。危うい立場に置かれてしまった二人を守るためにも。王から求婚を受けたのは、その矢先である。


 カンナは、王のことは決して嫌いではない。頑強で前時代的なきらいはあるが、新客が路頭に迷わないよう考えられたこの国の手厚い新客支援制度は、王の手腕によるところが大きい。大好きなこの国を維持している王を、尊敬している。


 それでも、どうしても嫌だった。ウォーカーではいられなくなる。身も心も、王に捧げなければならない。怖くて涙が止まらない夜もあった。アカネに来たばかりの自分に、すっかり戻ってしまったみたいで、情けなくて仕方なかった。



 ――好きな人には、幸せになって欲しいだろうが!!



 シオンに怒鳴られて、全部理解した。途端に、怖くて震えていたのが、嘘みたいになった。暗鬱あんうつもやが鮮やかに切り払われた。彼がいてくれるなら、なんだってやれるし、誰とでも戦える。王でも、魔人でも。



 あの日、カンナはかつてないほど狼狽うろたえた。初恋の人は精霊というモンスターで、可愛い弟分は世界を滅ぼすバケモノだったことに。それ以上に――



 大好きな白皇に剣を向けてでも、シオンを守ろうとした自分に。



 いったいいつから、そうだったのだろう。九歳から惚れ続けた、かっこよくて、完璧で、輝いていて、憧れで……そんな白皇に向ける感情とは、あまりに種類の違うものだったから。


 可愛くて、危なっかしくて、不器用で、放っておけない人。それなのに、誰よりも勇気をくれる人。自分を強くしてくれる人。気づけたのに、これからなのに、自分はもう死んでしまう。


 せめて、最後に、会えてよかった。


「ありがとう。今まで、いっぱいいっぱい、本当にたくさん、私に力をくれてありがとう。私……」


 いざ言葉にしようとして、胸がしめつけられる。喉が詰まる。もう死ぬのに、消えてしまうのに、彼の隣にはいられないのに、こんなことを言ってしまったら、彼はもっともっと悲しんでしまうに違いないのに。


 言うべきではない。この気持ちは、伝えてはならない。


 最後の力で創った幻の世界で、シオンは涙を流しながら、じっとこちらを見つめていた。カンナの言葉を待っていた。聞いてくれ、とカンナが言ったから、律儀に、決して口を挟むまいと、カンナの言葉を待っている。


 あぁ、そういうところだ。そういうところが、本当に。


 シオン君、と名前を呼んで、小首をかしげて笑ったカンナの眼尻まなじりから、透明な液体が一筋流れた。




「大好きです」

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