第十二話 眷属-3

 真冬のような寒さの中を、火山灰が降りしきる。


「クハハ、マジかよ。ニンゲンを眷属けんぞくにするなんて、奇特な精霊もいたもんだ」


 笑う斬喰炉の目の前で、ズタズタだったカンナの左腕が、淡い光に包まれて見る見る治癒されていく。モンスターやアカネウォーカーの再生とは、雰囲気が違う。


「【加護グラシア】」


 完治した左手を一度握って感触を確かめ、カンナはその手を真っ直ぐ斬喰炉に向けた。あの姿、そしてあの奇跡のような力。間違いない。今、カンナに宿っている途方もない力の持ち主は――白皇だ。


「【フィンブル】」


 決定的だった。カンナの腕の一振りで発生した冷気の塊が大地を抉り、巨大な氷塊の津波となって斬喰炉に殺到する。歓声を上げた斬喰炉を飲み込み、なおも氷の津波は凍結と崩壊を繰り返しながら膨張し、斬喰炉を遥か彼方まで押し流す。


 吐息が白くなるほど冷えた、蒼一色の視界の向こうで、甲高い快哉かいさいと共に氷塊の一部が粉々に切り刻まれた。


「クハハハハハハッ!! カンナァ、君はどこまで、最高なんだァッ!!」


 高速で生成されていく氷塊の波濤はとうを、両手から生やした刀を無茶苦茶に振り回してガリガリ掘り進める。轟く凄惨な粉砕音と、空へ舞う氷の残骸が、一歩一歩近づいてくる。この世の戦いとは思えなかった。


「は、はやく、ここから逃げねぇと……おれがシオンを背負うから、お前も」


「まだ動かせるわけないでしょ!? あたしたちは流れ弾からシオンを死守! それに……カンナさんなら、きっと勝つわ」


 左手を振って【フィンブル】を打ち止めると同時、カンナは右足を一歩踏み出した。舞踏靴が踏みしめた大地が蒼く凍りつき、そこから氷の華が咲く。


「【氷華サスーリカ】」


 大地から突き出した太い氷の矛が、空中で無数に枝分かれしながら咲き誇り、斬喰炉目がけて殺到する。歯を見せて凶悪に笑い、斬喰炉は両手の刀を交差して跳躍した。


 斬って斬って斬りまくる。襲いくる氷の槍を豆腐のように斬り捨て、それらを足場に高速で距離を詰めてくる。カンナの頭上で跳躍するや、身をよじって氷の弾幕を掻い潜り、斬喰炉は錐揉きりもみ回転しながら真っ逆さまにカンナの元へ降ってきた。


 斬喰炉の刀と氷細工の長剣が、真っ向から激突する。凍った大地が、おびただしい亀裂を走らせて陥没する。


 砕けた氷がひょうのように降りしきる中、壮絶な斬り合いにもつれ込む。全開の斬喰炉に、今度はカンナも対処が追いついている。完全な互角。斬喰炉はうっとりと口角を上げた。


「精霊って特殊な種族だよなァ。煉素マナを知覚できるのに、煉素マナと干渉しない。傷を癒やすのも術の行使も、体内で精製した独自の魔力でまかなうんだろう?」


「喋る余裕があるのね」


 斬喰炉の双剣を弾き、カンナの長剣が閃いた。ほとんど反射で斬喰炉の全身から無数の刃が突き出す。斬喰炉の絶対防御。


 その時、カンナの剣が柳の如くしなったかと思うと、刃の防御すべてをすり抜けて、斬喰炉の右腕を両断した。


「おォ?」


 肩口から斬り落とされた右腕が宙を舞う。断面から大量の血が吹き出し、蒼い大地を赤く染める。


 まさか、通したというのか。刃同士の、針の穴ほどの隙間を。


「再生が遅ぇ……断面が一瞬で壊死えしするほどの低温……絶対零度の剣かァ」


 二の太刀をかわして後退した斬喰炉の右腕の再生が、通常より遥かに手こずっている。断面は霜で覆われ、露出した肉がその場でボコボコうごめくのみだ。


「あァ……なんだこれ、ヤベェ。生まれて初めての感覚だ。頭が高速で回ってやがる。全身の細胞が、ギャーギャーやかましい。これが……恐怖か? 死の予感か? 生存本能、ってやつなのかァ!?」


 身悶えする斬喰炉へ、カンナが更に突貫する。応戦する斬喰炉の刃を神速の太刀捌きで弾き、首を斬り落としにかかる。両手の刀を重ねて受け止めた斬喰炉に、なおも渾身の力を込めて、剣を首筋スレスレまで押し返す。


 その時、つーっ、と、カンナの鼻から赤い線が降りた。


「やっぱりなァ」


 心から残念そうに、斬喰炉は至近距離からカンナを見つめる。


「眷属を持てるのは精霊の中でも最高位のエリートだけ。それも眷属に選ばれるのは、中級以下の精霊や一部の神獣クラスって相場は決まってる。ニンゲンの身じゃ、大精霊の力は持て余すだろォ。カラダん中、ぶっちゃけもうグチャグチャでしょ?」


 言葉通り、カンナの口から吹きこぼれた血の塊が、美しい白装束を赤く汚す。


「カン……ナ……」


 貫かれたはずの喉から、絞りカスのような声が出た。体の感覚が、ほんの僅かに戻りかける。身じろぎした俺に、テトとマリアが声を上げた。


 カンナの体から、青白い光が薄れていく。精霊の圧力が、身もすくむようなエネルギーが、消えかけのロウソクのように揺らぐ。



「……私の、限界を、お前が――決めるなァッ!!!」


 蒼い花火のような光が、爆発した。


「ぬォ……ッ!?」


 再び斬喰炉の刀を押し戻し、あらん限りの力で押さえつけるカンナの目から、鼻から、口から、大量の血が噴き出す。決死の形相で歯を食いしばるカンナに、斬喰炉の目が揺らぎ、口角が痙攣けいれんする。


「あ……あァ……やっぱり最っ高だぜ、カンナ……! テトよォ、今ならお前のおふくろの気持ちが分かるぜェ……ニンゲンと交わりたいなんていう、狂った情動がァ……ッ!」


 黒ずんだ肌を上気させ、奇声を上げて繰り出す斬喰炉の無数の斬撃を死物狂いでさばくや、カンナの喉から悲鳴にも似た絶叫が轟く。


「私は、生きる!! 生きてみせる!! 人間に生まれたことを、後悔したことなんて、私は一度もない!!!」


 凍てつく斬撃三連発が斬喰炉の肉体に刻み込まれた。白目を剥いて血を吐く斬喰炉を睨み、水平に振りかぶった剣に、ありったけの蒼い光が集結していく。氷細工の剣が輝き、周囲の水分が幾重にも氷結して、荘厳な音を奏でながら剣を巨大化させていく。


 あまりの低温に、剣の周辺の大気が歪んで、魔物のような唸り声を上げていた。



「――【冰聖剣ジェラシオン】ッ!!!」



 水平に振り抜かれた氷剣の余波で、前方の空間が丸ごと凍りついた。氷塊が粉々に吹き飛び、冷気の波がその上を走って、氷細工の棚をひっくり返したような音を響かせる。


 剣を振り抜いた先は、この世の終わりのような光景になっていた。見渡す限り白銀に凍りついた後、岩も、大地も、あらゆる事象が粉々に砕け散って、あたかも蒼氷そうひょうの砂漠のようだった。風がきめ細かい氷の欠片をまきあげて、白い煙のように吹き上がる。


 カンナの正面で、真っ白に凍りついた斬喰炉の体は、無数の亀裂を走らせたかと思うと、目前で粉々に砕け散った。


 静寂に包まれた氷雪地帯で、立ち尽くすカンナの体から光が消え失せる。元の姿に戻ったカンナは、自分の血と斬喰炉の返り血で血みどろの顔で、こちらを振り返った。



「えへへ……ぶい」



 気の抜けた笑顔でそう言ってピースした彼女の体を、いくつもの刃が貫通した。

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