第十二話 眷属-2

 轟く金属音。今度は受け流せず、あまりの衝撃にカンナの上体がふらつく。斬喰炉はもう、笑っていない。目で追えない斬撃をひたすらカンナに叩き込む。鉄の雨に打たれ、カンナの体が激しく左右に揺さぶられる。


 数段ギアを上げた斬喰炉の動きに、カンナでさえ対応が追いつかない。全身から刃を突き出す能力が付属品に思えるほどの、その純然たる戦闘能力。理解の枠を超えた、速く、重い攻撃。


「ハァ……ッ」


 猛攻の最中さなか、僅かに呼吸を乱しながら、カンナがぐっと前へ踏み出した。斬喰炉の刀を真っ向からひたいで受けるようにして。自ら当たりにきたカンナの奇行に、斬喰炉が目を見張る。


 瞬間、カンナの首に下げられた最後の守護石が、結界を発動させた。カンナのひたいに直撃した刀が、強烈な斥力せきりょくに弾かれる。


「うへぇ、きも据わってんなぁ」


 防御を百パーセント守護石に委ね、カンナは既に攻撃の挙動に移っていた。裂帛れっぱくの気合一閃、渾身の力で斬喰炉の胴を薙ぎ払う。


「おっと」


 鈍い金属音が炸裂。肘先から伸ばした刃で攻撃を防いだ斬喰炉の頭上に、既にカンナが舞っていた。


 脳天に振り下ろされた剣は、またも斬喰炉の頭から突き出した二本の刃に阻まれる。それさえ予期していたように、カンナは蝶のように身をひるがえして反撃をかわし着地するなり、今度は姿勢を低くして突進。足首を狙った斬撃は、やはりそこから飛び出す刃にあっさり受け止められた。


「――らぁッ!!」


 カンナは、構わず力いっぱい剣を振り抜いた。間抜けな声を上げ、斬喰炉の体がくるりと円転する。空中で無防備な斬喰炉の首を左手で引っ掴み、地面に叩き落とすや、カンナは剣先を斬喰炉の顔へ向け天高く振り上げた。


「ダメだカンナ、そいつに触ったら!!」


 テトの叫びに斬喰炉が笑う。その剣が振り下ろされるより早く、斬喰炉の首を掴んでいたカンナの白く滑らかな手は、無数の刀に突き破られて穴だらけになった。


「残念、左手もらうね」


「どうぞ」


 表情一つ変えず、カンナはそのまま、斬喰炉の開いた口の中に剣を叩きつけた。


 グシャリ、と肉の潰れる音がした。首を絞められたニワトリのような声を出して、斬喰炉は四肢をビクンと跳ね上げ、僅かに痙攣けいれんしたのち、動かなくなった。


 嘘のような静寂。


 カンナは喉を貫通して大地に突き立った剣を引き抜き、吐きそうなほどの赤色に染まった刃を茜色の光に晒して、再び斬喰炉に突き刺した。微動だにしないしかばねに、何度も、何度も、念入りに。鋭く剣を振り下ろすたび、返り血が美しい髪や肌を汚すのにも、カンナは一向に構う素振りを見せなかった。


 やがてカンナは、いくつもの刃に貫かれ磔にされた左手をゆっくりと斬喰炉の首から引き抜いて、立ち上がった。白魚のようだった手は、踏み潰されたトマトのようにグチャグチャで、見る影もなかった。思い出したように少しだけ痛がる素振りを見せてから、カンナは深く息を吐いた。斬喰炉の一撃を受けたひたいはパックリ裂けて、したたる血が右目に流れ込んでいた。目を拭うカンナの体が、少しだけ震えている。



「……悲しいねぇ」


 カンナの足元で、斬喰炉のしわがれた声がうごめいた。小動物のように跳ねて距離をとったカンナの前で、斬喰炉はゆっくりと、ズタズタの顔面を起こした。その顔が、排水溝のような音を立てて渦巻きながら、元の形に再生していく。


魔人アビスはさぁ、こんなんじゃ死なないんだよ。寿命以外の死に方を、こっちが教えてほしいくらいなんだぜ。それに引き換え……悲しいねぇ、ホント悲しい生き物だ。その左手、もう使い物にならないんだろ」


 斬喰炉は哀れむような顔で、カンナの左手に目を落とした。カンナはそれを後ろ手に隠し、右手一本で剣を構えて気丈に背筋を伸ばす。


「カンナって言うのか、君。カンナ、オレだって虚しいんだぜ。片方の命しか懸かってない決闘なんざ、茶番じゃねえか。……でもさぁ、仕方ないんだよ。オレはアビスに、カンナはニンゲンに生まれちまった。生まれた種族が悪かったなぁ」


 心から同情するように、斬喰炉は低く言った。


「分かっただろ。オレは上から目線なんじゃない。オレと君とじゃ明確に位置が違うんだ。……なぁ、これはそこのメスに言われた言葉を返すんだけど、ニンゲンはなんで生きてるんだ? 弱く、脆く、一丁前なのは尊厳ばかりじゃないか。どう考えたって淘汰とうたされる運命なのに、なんでそんなに、自分が世界の中心みたいな顔で生きてられんの?」


「生きる理由なんて、どうでもいい」


 カンナは血まみれの顔を上げ、唇を引き結び、威風堂々と言い切った。その顔に、一瞬、痛くて、怖くて、今すぐにでも泣き出してしまいそうな、ただの十六歳の女の子の顔が表出ひょうしゅつし、消えた。


「理由なんてなくたって、私は生きたい。大好きな人たちと、許される限り長い時間を、一緒に生きたい。だからずっと戦ってきた。あなたに教えてもらわなくたって、自分の弱さなんて、何百回と痛感した。――弱いから、脆いから、心だけは強く持たなきゃしょうがないじゃない!!」


 剣をその場に突き刺したカンナの、胡桃色の髪が、ぶわりと重力に逆らって舞い上がり始めた。異様な圧力と、どこか底冷えする冷気を放つ彼女に、斬喰炉の表情が変わる。


「私は《いばら》が一振り、《月剣げっけん》のカンナ・ヒイラギ。華を、たみを守護するつるぎの壁。私が生きている限り、ここにいる者には指一本触れさせない」


 普段のカンナらしからぬ尊大な物言いは、まるで今にも折れそうな心を、強い言霊で必死に奮い立たせようとしているようだった。どこからか発生した淡い純白の光が、カンナの体を柔らかく包み込む。


 次の瞬間、カンナの立つ場所を中心として、大地に巨大な光の紋様が浮かんだ。


「あァ……?」


 複雑な幾何学模様が刻まれた、白い光の真円しんえん。輝く雪の結晶のような、美しい、魔法陣だった。噴き上がるような眩い光に照らされて、今度はカンナの体そのものが白く発光する。


 小さな唇が、動いた。



「【眷属霊装リトアール】」



 白い光が爆発し、きらびやかな飛礫つぶてが降り注ぐ中で、カンナがいた場所に立っているのは、雪の妖精だった。


 神々しい白銀はくぎんの髪、氷の結晶のような蒼い瞳。布地そのものが淡く輝く白い装束は、肩や背中をなまめかしく露出し、同じ意匠の長手袋ドレスグローブで肘から先を覆うなど、騎士装束のようでありながら、踊り子の舞踏着ドレスを模したものに見えた。


 氷細工のような長剣を大地から引き抜き、妖精が顔を上げる。カンナの面影を強く残しながらも、その容貌に、かつての彼女が持っていた、弾けるように豊かな感情は感じ取れない。


 誰かに、似ている。



なんじが眷属に、力をお貸しください。氷雪と夢幻の精霊――《ハクム》」



 カンナの纏う冷気が、爆発的に膨張した。

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