第十二話 眷属-1

 カンナの一振りで斬喰炉の体がかき消えたかと思うと、数十メートル先の岩壁に凄惨な亀裂が走った。


 ヒビの入った岩壁に突き刺さった斬喰炉を一瞥し、剣を斬り払った体勢のまま、カンナは素早くテトとマリアに指示を飛ばした。


「ありったけの傷薬ぶっかけて、少しでも傷口を圧迫して。あとは彼の再生力に賭けるしかない」


「は、はい……!」


「遅くなってごめんね。よくこらえてくれた」


 テトはその場でへたり込み、カンナの姿を見て大筋の涙を流した。


「ご、ごめん、カンナ、おれ、おれ、戦えなぐて……!」


「十分だよ。閃光で、私に位置と緊急事態を伝えてくれたでしょう」


 カンナがいた場所から、俺達はここまで一時間以上も歩いてきた。テトが最初に電撃を纏ってマリアを押さえつけてから、まだ数分しか経っていない。あれがテトの、遠く離れたカンナに向けた精一杯のSOSだったことにすら、俺は気づけなかったのに。


「カンナ、でも、だ、だめだ、戦っちゃだめだ。なんとか、みんなで逃げるしか……」


「そんな状態のシオン君を動かすわけにいかないよ。それに、とても逃してくれそうな雰囲気じゃない」


 カンナの視線の先で、岩壁が砕ける。


「あー……餌が次から次へと。面倒くせぇ」


 めり込んだ岩壁から脱出し、首をコキコキ鳴らしながらこちらへ歩いてくる斬喰炉に、なるほどね、とカンナは表情一つ変えずに呟いた。


「特一級は、彼の方だったか。人型のモンスター、しかも英語を話すなんて」


「モンスターだとォ……? おいおい、ひでぇ名前で呼んでくれるぜ。キミらが理解できねぇ生き物を、勝手にそう呼んでるだけだろ」


「確かにそうね。でもあなたこそ、私達のことを餌なんて呼んだばかりじゃない。理解してほしければ、名乗ってくださる?」


 カンナは微笑みながら切り返した。彼女は、時間を稼いでいるのだ。俺のために。マリアとテトが、カンナの背後で俺に一生懸命、瓶を逆さまにして傷薬をぶっかけている。


「名前なんざ、聞いてどうする。どーせすぐ死ぬのに――よォッ!!」


 言葉の途中から、急激に声が近くなった。一息で接近した斬喰炉の斬撃が、カンナの剣にいなされる。あまりに柔らかい受け流しに、斬喰炉は弾かれたことにさえ気づかなかったようだった。


「そうですか。それじゃ、引き続きモンスターさんと呼ばせてもらいますね」


 光の雨のような乱舞だった。


 数十の高速突きが斬喰炉の体を撃ち抜き、血を撒き散らす。トドメは、首。横に寝かせた細剣の一閃は、間一髪、斬喰炉の肩口から突き出した刃に阻まれ、激しい火花を散らした。


 構わず力任せに斬り抜き、吹き飛ばす。斬喰炉はたたらを踏み、口から血を吐きながら――裂けた口角をこれでもかと吊り上げて、恍惚こうこつの表情になった。


「クハ、クハハ……マジかよォ」


 身悶えする斬喰炉の体を赤黒いオーラが包み込み、全身の傷を瞬く間に塞いでいく。


「ニンゲンが!? ニンゲンの身で!? こんなに強くなれるもんなのかァ!? 一体どれだけの修練……どれだけの苦悩を積めばこんな……おいおい、ちょっと泣けてきたなァ……」


 本当に目尻に滲み始めた涙を指ですくって、斬喰炉は狂気的な笑みをカンナに向けた。


「オレは斬喰炉だ。君の名前は?」


「答えたくありません。だってあなた、なんだか上から目線だもの」


「いやいや、マジで認めてるんだよ! その強さ、並のアビスを凌駕りょうがする。貧弱な種族に生まれながら、決して諦めなかったんだな! しかも君、その髪色、《第一世代》だろ。普通わけも分からず食われて終わるか、巣に引きこもっちまうのに、それでいてこれほどの領域に達するなんて……あぁ、すげえよ、感動する」


 やっぱり上から目線だわ、と、カンナは不愉快げに切り捨てた。


「岩窟の頂上にあった人骨の山は、あなたの?」


「そうだよ。ここら一帯はオレの狩場なんだ。その拠点に使ってる。見晴らしがよくて、ふもとの高原によくニンゲンの集団が通りかかるからな。アグニちゃんの背に乗って、簡単にさらってこれる」


「アグニちゃん? それって赤い飛竜のこと?」


「あぁ、そうそう。元々アグニちゃんのナワバリだったんだよ。利害の一致で一緒に住んでた。トモダチだったんだけどなぁ、君らが殺しちゃったんだろ?」


「それは、ごめんなさい」


「いやぁ、いいよ、負ける方が悪いんだもん。この三匹にアグニちゃんがやられたのはちょっと解せなかったんだが、なるほど、君が親玉だったのね」


 納得顔の斬喰炉に、カンナはやや語気を強めた。


「あの竜を倒したのはこの三人ですよ。私は何もしてない」


「優しいねぇ。身も心も強く、そして若い。君はこれから先も、もっと強くなるだろう。食べるためだけに殺してしまうのは惜しい。……なぁ、君、俺のペットにならない?」


「はぁ?」


「あれ、ニンゲンは愛玩動物ペットとか持たないのか? 腹を満たすためじゃなくて、心を満たすために下等種族を飼うんだよ。君は強く、美しい。ニンゲンを美しいと思ったのは初めてなんだぜ。その静謐せいひつな眼差し、強靭な精神……こんなに気高い君がオレに屈服するのを想像するだけで、どんな美味い肉を食うより満たされる。酷いことなんてしない。好きなものを好きなだけ食べさせてやるし、体も毎日綺麗に洗ってあげるし、散歩だって、世界中のどこにでも、行きたいところに連れて行ってやる! 君が望むなら、そこの三匹もついでにペットにして、一緒のカゴに入れてあげるよ。なぁ? 悪くない提案だろ?」


 黒い歯を剥き出しにして、両手を広げて、斬喰炉は笑う。それは全て、まるで子どものように、素直な言葉に聞こえた。斬喰炉は本当に酷いことをするつもりなどないらしい。少なくとも、彼が思う限りの「酷いこと」は。


「残念だけど、根本的なことが分かってらっしゃらないみたい。ペットはね、その子に愛される人しか飼ってはダメなの。私は一生かかってもあなたを好きになることはなさそうだから、ごめんなさい」


 斬喰炉の口角が、ストンと落ちる。


「人間は自分の心を満たすためにペットを飼ったりしない。ただ仲良くなりたくて、その種族のことを勉強して、理解して、その子が喜ぶには、楽しく生活するにはどうしたらいいかってそればかり考えて、ようやく愛してもらえたとき、自然に心が満たされるの。あなたが言っているのは、ただの奴隷だわ」


「……そっかァ。やっぱりやめた。せっかく誘ってあげたのに、あーあ、食べたくなかったのに」


 斬喰炉の全身の細胞が、音を立てて戦闘モードに切り替わる。斬喰炉の傷を完治させたあとで俺のもとにやってきていた煉素たちが、カンナの稼いでくれた時間で、俺の欠けた肉体を再生させ始めていた。


「シオン! 目を閉じちゃダメ!! 意識を保ち続けて!! 治るから、治っていってるから!!」


 マリアとテトが、ずっと俺に大きな声で呼びかけ続けてくれている。おかげで、どうにか、意識があの世に飛んでいかずに済んでいる。体の感覚は、未だまるでない。


「君から殺そう。君のカラダは、美味いだろうなァ」


 腰を落としたカンナに、斬喰炉が再び踊りかかった。

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