第十一話 生存本能-1

 そこから、マリアの記憶は一度途絶える。


 目を覚ましたとき、残されていたのは血まみれになった三台の馬車と賢馬ホークの死骸だけで、モモやココたち、十五人の団員の亡骸なきがらは影も形もなくなっていた。全て、あのバケモノに骨も残さず食べられてしまったのだろうか。空っぽになってしまった心は、もうこれ以上悲しむこともできないようだった。


 父親代わりだったモモの形見は、彼が愛用していた大剣が一本だけだったが、マリアの腕力では引きずることさえできなかった。マリアは死んだ目で必要なものを背嚢リュックに詰め、《星の座》が辿るはずだった道をとぼとぼと歩いた。死んでも一向に構わないと思っているときに限って、モンスターには出くわさなかった。


 マリアは、次の目的地だったルミエール王国に辿り着いた。そこは小さくも、今までのどれより立派な国だった。


 その国の豊かさに触れれば触れるほど、ここに一緒に来るはずだった家族の笑顔が目の前に浮かんで、死にたくなった。


 マリアは、純白の城の地下一階にある酒場で、長い緋色の髪をしたギルド職員に「仕事をくれ」とだけ頼んだ。マーズという名の受付嬢は親切で、「学園に入るといい」と提案した。


 マーズは、季節外れの新客としてマリアを国民登録してくれた。そのおかげでニュービータウンの住居も手配され、学園の学費も次の八月まで免除されることになった。初めての《剣術基礎》で武器を選ぶとなったとき、マリアは身の丈に全く釣り合わない大剣を選んで、皆に笑われた。


 どんなにバカにされても、ランク戦で十連敗しても、マリアは武器を変えようとしなかった。朝から晩まで、自分より大きな剣を振った。狂ったように戦いに明け暮れる彼女は、やがて首席の座に君臨するとともに、狂戦士と呼ばれるようになった。


 少しだけ予定外だったのは、友達ができたことだ。圧倒的な強さを持つ少年と、弱いくせに戦おうとする少年だった。マリアは最初、二人とも気に入らなかった。


 特にハルクの方は見ているだけでイライラした。壁の外に出たら一瞬で死にそうな弱虫だったからだ。戦う覚悟もないくせに《星の座》に残り、結局守られてばかりの挙げ句、一人だけ生き残ってしまった自分と重なって虫唾が走った。弱虫には、戦う資格なんてないのだ。



『だったら……弱いやつは、いつ強くなればいいんだよ!!』



 頬を張られたような一言だった。思えば、この時から、マリアは彼のことを意識するようになったのかもしれない。


 作るつもりのなかった友達は、マリアに久しい安らぎを与えた。片時も忘れなかった憎悪が、時折薄まってしまうほどに。


 五年ぶりに斬喰炉の顔を見る、その寸前まで、マリアは本当にあともう少しで、昔の自分に戻りつつあった。




 その裂けた口と歪な目を見た瞬間、容易に時が戻った。家族が目の前で殺されていく映像、色、音、臭い、痛みの全て、あの日の自分に成り代わったように鮮明によみがえった。


「畜生……畜生畜生畜生畜生畜生畜生ッ!!」


 斬喰炉の背後で這いつくばりながら、マリアは発狂した。肩口から反対の腰骨までパックリと割れた傷口が、焼けるように痛む。太刀筋が速すぎて、刃がマリアの皮膚に触れてから守護石の結界が発動するまでの刹那に、ここまで深く斬られた。


 五年間、ひたすら強くなり続けたからこそ分かる、圧倒的な力の差。屈辱と苛立ちと無力感で気が狂いそうになる。その場で芋虫のように這い、喚き散らすマリアの尋常でない様子に、斬喰炉はポリポリ頭をかいて言った。


「オレに誰かを殺されたのかい。そりゃ、悪かったよ」


 その一言で、マリアの荒れ狂う心が一瞬にして凪いだ。プチン、と何かが切れた音がした。


「……かぞ、く」


「そうかぁ。そりゃ辛い。でも、キミはオレに見つからずに済んだわけか。ラッキーだったなぁ」


 言葉も、出ない。気持ち悪すぎて吐き気がした。まるで、天災で家族を失った子どもを慰めるような口ぶりではないか。


「ふ――ふざけんなッ!! お前が殺したんだ!! あたしの大好きな家族、みんな!! お前は何がしたいんだ、なんでお前みたいなやつが生きてるんだ!! おい、思い出せよ……五年前だぞ、十五人も殺してるんだぞ!!!」


 立ち上がり、目を真っ赤に腫らして怒鳴り散らすマリアを冷めた目で見て、斬喰炉は言った。


「キミ、今まで殺したモンスターの顔、全部覚えてんの?」


 マリアの威勢が死んだ。斬喰炉も少し、苛立っているようだった。手に持っていたジフリートの尾をそこらに投げ捨て、肩をすくめる。


「生まれてから食った肉の枚数も、踏み潰した虫の数と種類も、覚えてるんだろうな。殺すのも、仕方ねえだろ、オレたち《魔人アビス》はニンゲンしか喰えねぇんだから」


 マリアは、胸から大量の血を流しながら、呆然と立ち尽くした。


「生きるために散々喰っておいて、いざ自分が同じ目にあったらキレ散らかす。そりゃ通らねぇだろ、いくらなんでも。……まぁ、でも、十五人って人数はさすがに覚えてる。普通一度にそんなたくさん喰えねぇからな。五年前って言ったら間違いなくあれだ。――オレの嫁さんが、ちょうど出産寸前だったんだよなぁ、あの日」


 斬喰炉は遠い目をして、記憶を手繰るように語った。


「ニンゲンがどうかしらねぇけど、魔人アビスの出産には大量の栄養が要るんだよ。それを獲ってくるのが旦那の仕事ってワケ。けど、ニンゲンって基本オレたちの手の出せないとこに巣を作ってるだろ? その時オレたちがいた地域も、鼻が曲がりそうな臭いの森がニンゲンの巣の周り囲んでて、全然狩りがはかどらなかった。どうすっかなと途方に暮れてたときだよ……その森から、馬が引く乗り物に乗った大勢のニンゲンが現れた。神の恵みだと思ったね」


 マリアの手足から、力が抜けていく。もう、怒鳴る気力も湧かなくなっていた。


「キミたちはさぁ、まだ良いだろ? 食い物の言葉が分かんねえんだから。オレらなんてさぁ、なまじこうして意思疎通できるもんだから、むしろ残酷よ? 心痛まないわけねぇじゃん。もうさすがに慣れたけどさ」


 なぜ、家族が殺されなければならなかったのか、マリアはずっと考えていた。五年越しに得た答えは、最悪だった。相手が快楽殺人者なら、どんなに良かっただろう。


「あ、アレだからね、別にオレたちのこと理解して欲しいってわけじゃないからね。思いっきり憎んでくれていいぜ。そりゃいきなり殺されるんだからな。でもごめん、こっちも腹減るんだわ。生まれ変わったら、なるべくオレらに見つかんないように生きろな」


 じゃ、殺すね――立ちすくむマリアに向かって、斬喰炉は笑顔で一歩踏み込んだ。ハッ、と反応したときには、もう斬喰炉の刃が首筋に食い込もうとしていた。


「――【風車かざぐるま】!」


 マリアの首を刎ねるところだった斬喰炉の刃を、車輪のように高速で縦回転するシオンの刀が弾き返した。空中で逆さまになって刀を握るシオンの身のこなしに、斬喰炉がひゅうっと口笛を吹く。


「ぼうっとすんな、マリア! 死んだらハルに会えなくなるんだぞ!」


 シオンに怒鳴られて、マリアはハッと我に返った。


「死んだ人のためじゃなくたって、今生きてるお前のために、お前は戦っていいんだ!!」


 シオンは、油断なく斬喰炉を睨みながら、なおも声を嗄らして言った。


「今まで殺してきたモンスターを思い出せ! ゴブリンも竜も、全員死ぬ寸前まで、すげえ形相で、逆にこっちが殺されそうになるぐらい、必死に生きようとしてただろうが!! 戦っていいんだよ……自分が生き物食ってきたからって、自分の番がきたときに、大人しく食われてやることないんだよ! 歯ァ食い縛って、命を燃やして――戦え!!!」


 胸の内側から、明るく熱い、炎のような力が、膨れ上がっていくみたいだった。


「……ニンゲンの長話、ちゃんと聞いちゃったの初めてだわ。名前は?」


 斬喰炉に低く問われて、シオンは冷や汗まみれの顔に精一杯の笑顔を浮かべ、刀を真っ直ぐ青眼に構えた。


「シオン。ここをどうにか生きて帰りたいだけの、ただの人間だよ。――かかって来いよ天敵。【餌】の根性見せてやっから」

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