第十話 斬喰炉-3

 今まで五つの小さな国を経由してきたが、アイルーはそれまでのどの国より、明らかに天候も穏やかで緑豊かな、心安らぐ国だった。


 それでも、「ここで降りる」という団員はいなかった。マリアも当然降りる気など全くなかったが、モモが馬車を降りていきなり、


「いいところだなぁ。冒険者の質も良さそうだ。ここなら、ギルドに言えばきちんと保護してもらえると思うぜ」


 なんて言い出すものだから、カッとなってつい「大っ嫌い!」と言い放ってしまった。「ガーン」と背景に文字が見えるほどショックを受けた顔のモモから逃げるように、マリアは街の方へ走り去った。


 アイルーには二日間滞在したが、店で食事をするときも、宿でも、マリアはモモと口をきいてやらなかった。出発の朝、普段必ずモモと同じ先頭の馬車に乗るマリアは、足早に最後尾の馬車に乗り込んだ。ココが見かねて追いかけてきて、言った。


「団長は、あんたのことずっと心配してたんだよ。外の世界を連れ回して、本当は怖いの我慢してるんじゃないかって。あんただけじゃない。団長は新客を助けたら、必ず大きくて安全な国を探して立ち寄るの。自分の生き方を選べないのはおかしいからって」


 マリアは、たとえ自分がアイルーの魅力に傾いたとしても、「一緒に来るだろ?」と当たり前みたいに言ってほしかった。そうしたら、マリアは「どうしようかなぁ」なんて少しだけ意地悪してから、あたふたするモモの胸に抱きついたのに。


 生き方なんて、選ばせないでほしかった。


「だんちょーは、あたしと離ればなれになってもいいんだ」


「そんなわけないだろ」


 びっくりして泣き顔を上げると、呆れた様子のモモがこちらの馬車に入ってきたところだった。


「一緒にいたいけど、それ以上に幸せになってもらいたいのが、家族だろうが」


 モモは、大きな体を屈めてマリアを抱きしめた。マリアは大声で泣いて、モモにしがみついた。


「あたしの幸せは、みんなと一緒にいることだもん……!!」


「そうか、そうか。ごめんな、オレもだよ。ずっと一緒だ」


 モモは愛おしそうにぎゅっと強くマリアを抱いた。ココが優しくマリアの頭を撫でた。


 《星の座》は一人も欠けることなく、明朝、アイルーを出発した。馬車は鬱蒼うっそうとした森林の、人の手によって整備された道を軽快に走った。《ハツカ》と呼ばれる木が織りなす魔除けの森なのだと、アイルーの人間が話していた。マリアは泣き腫らした顔で、そのくせ上機嫌で結局先頭の馬車に乗り、モモの膝の上に座って、たくましい胸板に背中を預けていた。


 半日ばかりも移動して、一団はとうとうハツカの森を抜けた。舗装された道が終わり、馬の脚と車輪がぬかるんだ泥路でいろに取られて減速する。見渡す限り、濃霧と枯木かれきに覆われた沼地だった。


「次はどこに行くの?」


「ルミエール王国ってとこだ。聞いた話、広さはアイルーの十分の一ぐらいなのに、アイルーよりもっとずっとさかえてるんだと。めちゃくちゃデカイ城があって、世界最強の男ってやつもいるらしい」


「……ふーん。そういうのはだんちょーと戦ってから名乗ってほしいよね」


 少しだけ面白くない気分になったマリアの頭を、モモは表情筋をゆるめまくってワシワシ撫でた。


 馬の金切り声が、弛緩しかんした空気をぶった斬った。


「今の……後ろの馬車!?」


 モモの反応が素早かった。マリアを抱き上げ、近くにいたココに託すと、自分は走行中の馬車の窓からひらりと飛び降りていった。


「なに!? 何が起きたの!?」


「分からない、多分後ろの馬車がモンスターに襲われたんだわ。一体どこから湧いたのかしら」


 後方で響くただならぬ喧騒が、遠ざかっていく。馬車が一台やられた。矢継ぎ早に、今度はさっきよりもっと近くで悲鳴が乱立した。二台目も。言いしれぬ悪寒がマリアを襲った。こんなことは今までなかった。三台の馬車には、それぞれ《星の座》が誇る三人の戦闘員が一人ずつ乗っている。これまで馬車になにか危険が迫るたび、彼らはそれが馬車を脅かす前に必ず斬って伏せてきた。


 窓から身を乗り出して後方を見たココは、戦慄した様子でマリアの手を引いた。気がつけばマリアは、背の高い衣装箪笥いしょうだんすの中に押し込まれていた。「ここにいなさい、絶対に出て来てはダメ」と怖い顔で睨まれて、叫びかけたマリアの視界は暗く閉ざされた。


 次の瞬間、前から懸命に車を引いていた馬が悲痛な声で叫んだかと思うと、車体を下から突き上げるような衝撃が襲った。


「きゃあぁぁっ!!?」


 ガガガガガガ、と激しく揺れた車体がようやく止まった。先頭馬車に乗っていた、ココを含めた三人の団員はたまらず倒れ込み、壁にしたたか体を打ちつけたが、マリアが隠れていた衣装箪笥いしょうだんすは壁に固定されていたおかげで倒れなかった。衝撃も箪笥たんすの中のたくさんの衣服が和らげてくれた。


 何が起きた。この馬車までやられたのか。不安と恐怖で飛び出してしまいそうなのを堪えて、息を殺す。ちょうど顔の位置に扉のれ目があるのを見つけて、マリアはぐっとそこから外を覗き込んだ。


「――あぁ、オレはツいてるなぁ。外をニンゲンが、こんなにたくさん出歩いてるなんて」


 寒気のする声でそう言いながら、馬車の中に上がってきたのは、ズタズタの赤い着物を着た口裂けの怪物だった。乱れた黒い髪やコンクリートのような皮膚まで、べったりと返り血で赤く染めて、嬉しそうに車内にいた三人の人間を見回す。


 そいつの顔を見たとき、マリアは吐き気が止まらなかった。必死で口を抑え、声と呼吸をむりやり押し殺す。ココたち三人の悲鳴を心地良さそうに聞いてから、バケモノ、斬喰炉ざくろはマリアの家族を一人ずつ殺していった。


 あっという間に二人の首が床に転がり、血の噴水が車内に噴き上がる。楽しい思い出がいっぱい詰まった馬車の中が、むせ返るような鉄の臭いに汚されていく。


「〜〜〜ッ!!!」


 瞳孔を開いて涙を流し、失禁しながらも、マリアは自分の手首を服ごと口の中に突っ込んで噛み、叫び声をこらえていた。惨劇の映像は、そこで一度途切れた。一人残ったココの背中で、覗き穴が塞がれたからだ。


「あれ? キミは逃げないの?」


 ココは衣装箪笥の前から動こうとしなかった。逃げて、と心の中でマリアは絶叫した。マリアが母のように慕っていたココは、彼女の目の前で、体を縦に真っ二つに割られて絶命した。


「さて、これで全員か」


 ココだった肉塊が崩れ落ちて、再び開けた視界の中で、一人血の海に立つ斬喰炉は、手のひらから突き出した刃に付着した血をべろりと舐めてそう言った。死神。悪魔。そうとしか思えなかった。なぜ自分の家族が殺されなければならないのか、全く、何一つ、理解できなかった。


 その時、斬喰炉の胸を、背後から巨大な剣が貫いた。


「……アレ? 生きてたの」


 自分の胸から突き出た刃をきょとんと見つめてから、斬喰炉は背後に向けて首を傾げた。


 そこには、顔も首も胸も腕も足も滅多刺しにされ、本来の肌の色が分からないほど全身血まみれとなったモモが立っていた。吹けば飛びそうなほどよろめきながら、修羅しゅらの如き眼光で斬喰炉を睨み、口から大量の血を吐く。


「こりゃ驚いた。キミの肉は百人分の栄養がありそうだな」


「コ……ロ、ス……」


 モモの姿は、まるで赤鬼だった。斬喰炉に突き刺さったままの大剣を強引に引き抜き、咆哮を上げ大上段に振りかぶった。斬喰炉は、口角を異常なほど吊り上げて、笑った。


「その命に、感謝を」


 目にも留まらぬ斬撃の嵐がモモを切り刻んだ。血飛沫を上げ、痙攣し、振り上げた大剣を取り落として、それでも、モモは倒れなかった。


 目が合った。


 滂沱ぼうだの涙を流しながら、もう砕けそうなほど自分の手首を噛んで声を殺していたマリアは、もう叫びださんばかりだった。モモが、こちらを見ている。


 衣装箪笥いしょうだんすを庇うようにして事切れているココに目を落とし、何かを悟った様子のモモは、真っ赤に染まった顔でかすかに笑った。


 泣くな、と言われた気がした。大丈夫だから、怖くないから、泣かないでくれ――彼の言葉が届いてもなお、マリアの涙は止まらなかった。感情の爆発が、もう抑えられそうになかった。無理だ。叫ぶ。もう耐えられない。ここから飛び出して、団長に抱きついて、あたしも一緒に死ぬ。


 今にもマリアの喉から声が飛び出しかけたその瞬間、モモは、マリアにだけ見えるように、血まみれの顔をにゅっと歪めた。


 初めて会った日、マリアを初めて笑顔にした、あの変な顔だった。


 叫びだす寸前だった心が、力強く包み込まれた。大好きな団長は、次の瞬間、胴と首を永遠に切り離された。

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