第十話 斬喰炉-2


 マリア・シンクレアがアカネに召喚されたのは、十歳になる年の夏だった。


 スコットランドの小さな町で暮らす、ごく普通の女の子だったマリアは、ソファで両親に挟まれてテレビを見ていたところを突然さらわれたのだった。


 荒野に一人投げ出されたマリアは、赤色の空の下で震えながら泣いた。幼い鳴き声に誘われて、ハイエナ型のモンスターが群れをなしてマリアを取り囲んだ。その名もなき荒野は強風の吹き付ける不毛の乾燥地帯で、付近に国などさかえるはずもなく、ウォーカーが通りがかる可能性は皆無――地球人が召喚されるには最悪の場所だった。


 マリアが幸運だったのは、そういった"見捨てられた地"をこそ選んで通りがかる、物好きな一団がいたことである。


 何も分からず、何一つ納得がいかないまま食い殺される寸前だったマリアの前に、馬のいななきと共に三人の戦士が躍り出た。彼らは剣や棍棒で、あっという間にハイエナを蹴散らし、呆然とするマリアの体をひょいと米俵のように担いで、オンボロの馬車に飛び乗ると颯爽と馬を走らせた。


「怖かったなぁお嬢ちゃん。もう大丈夫だぜ。悪いやつは全部オレがやっつけたから」


 悪路あくろを走る大型の馬車の中は、ガタゴト激しく揺れていた。軋む木の床に座らされて、マリアは混乱のあまり声の一つも出せないでいた。自分を助けてくれた男にそう言われても、全く安心できなかった。


「めっちゃ怯えてるじゃないすか。団長の顔が怖いから」


 誰かが呆れたようにそう言った。彼の言う通り、マリアを助けた「団長」と呼ばれる男は、ハイエナ型モンスターが可愛く見えるほど凶悪な人相をしていた。


 焦げたパンのように黒い肌というだけで、見慣れないマリアはもう怖いのに、二メートル近い巨体、ギロリと光る三白眼、耳の付け根から頬を伝って顎まで走る刀傷――極めつけにマリアの身長を上回る巨剣を背に吊るしており、たとえ百人殺したと聞いても納得の風体ふうていであった。


「え、えぇ、オレそんなに怖い?」


 団長は顔に似合わず、モモという可愛い名前と繊細な性格の持ち主だった。怯えて目に涙を溜めるマリアに「ど、どうしよう、泣いちゃうよ」とあたふたし、顔を隠したり裏声を使ったりと散々試すも余計に怖がらせてしまう。


「お、お嬢ちゃん! 泣くなって、ほら、見て!」


 追い詰められたモモの最後の策が、変顔だった。唇を突き出し、鼻の穴を限界まで広げて両目を中央にギュッと寄らせたその顔は、夜道で出くわせば大人でも泣いて財布を差し出すほどの迫力があったが、


「…………プッ」


 今にも涙が零れそうなほど目に溜まっていたマリアは、しばらくきょとんとモモの変顔を見つめたあと、思わず吹き出して鈴を転がすような声で笑った。モモはホッと安堵して、周りに「しつこい」と止められるまで何度でもその顔を披露した。



 モモが率いる行商旅団《星の座》は、三頭の"無印"の馬型モンスター《ホーク》が引く三台の大きな馬車と、十五名もの老若男女で構成されていた。六十を越える高齢の紳士もいた。


「ここにいるやつは、ほとんどはオレが拾った新客だよ。外界フィールドで売れそうなモノを仕入れて、立ち寄った国でそいつを売って、また出発する。気まぐれな旅さ。星と星を結んで好きに星座を作るみたいにな。到着した国が気に入れば、自由にそこで降りていいルールだ。マリアも、いつでも降りていいんだぜ」


 マリアが十分落ち着いてから、モモはこの世界の仕組みやマリアの境遇についてゆっくり説明したあとに、そう教えてくれた。「増えたり減ったり増えたりして、いつの間にかこんな大所帯になっちまったよ」と、モモは迷惑そうなフリをして笑った。


 百万人の新客が招かれる《歓迎祭》の日は、各ギルド所属の冒険者ウォーカーの救助の手が届かないようなこういう辺境を回るのだという。


「おじさんは、いつから旅をしてるの?」


「オレが二十歳のときからだ。ちょっと悪いことしちゃって、国にいられなくなってなぁ。もう十年になるか。それから、オレのことは団長と呼びな」


「……だんちょーは、この世界がこわくないの?」


 再び涙が滲んできてしまったマリアに、モモは泣く子も黙る凶悪な笑顔で言った。


「こわくねぇな」


 ぽん、とマリアの頭を大きな手で撫でる。


「家族が一緒だから、ぜんっぜんこわくねぇ」


 その言葉に、周りの団員も照れくさそうに笑った。家族。もう永遠に会えないと知ってしまった両親の顔を思い浮かべ、温かさと寂しさに号泣してしまったマリアに「あー、泣かせたー!」と団員が大合唱。慌てふためくモモは必死で変顔を繰り返していた。


 国を持たず、ギルドにも所属しない野良の冒険者ウォーカー集団、《星の座》。とはいえまともに戦えるのはモモを含めた三人だけで、その代わり、危険な外界フィールドを奔放に旅できるだけあって、その三人は信じられないほど強かった。その中でもモモの強さは抜きん出ており、彼の存在そのものが、団員が壁の外を安心して旅できる一番の理由だった。


 マリアは、《星の座》最年少の団員となった。団員には去年の新客もいれば、もう九年もずっとモモと行動を共にしているという古株までいた。モモに助けられた新客だけでなく、立ち寄った国でモモと意気投合し、旅団に加わったという剣士もいた。


《星の座》のメンバーは、モモの言葉どおり、皆家族のように温かかった。疾走する馬車の窓から見る景色は、マリアのこの世界に対する評価を少しずつ変えていった。


 戦えないかわりに、古株のココというおばさんに弟子入りして、全員分の洗濯や馬車の掃除を手伝った。ココはマリアを一番可愛がったが、指導は厳しかった。物干し竿に洗濯物を干し、飛ばないように固定して、馬車の二階から外へ伸ばす。馬車に揺られながら、窓から風にたなびく洗濯物を見るのがマリアは好きになった。


 夜は、眠くなるまで、モモが毎晩旅の話を聞かせてくれた。それは全て、どんな空想より刺激的だった。気がつけば、マリアはこの世界を恐れなくなっていた。


 巨大なモンスターに追われたり、馬車が脱輪して崖から落ちかけたり、嵐で馬車がひっくり返ったり。冗談みたいな事件が毎日のように起こったが、モモと皆がいれば、怖くなくなった。それどころか、次第にそんな日常が、楽しくて仕方なくなった。


 マリアは、新しい家族のおかげで、幸せだった。


 四ヶ月近くが過ぎた。マリアの故郷では、もう雪が降る季節になっていた。《星の座》は東の温暖湿潤な国、アイルー王国に立ち寄った。

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