第九話 捕食者-3
マリアとテトが左右から
絶命の寸前が焼き付いたジフリートの顔は、筆舌に尽くしがたい絶望の形相をしていた。硬い鱗に覆われた
カンナが引っ張って伸ばすと、竜の舌は長さ一メートル以上にもなった。
息を詰め、ぐっと口の中に頭を入れると、中は焼却炉のように焦げ臭かった。まだぬらりと唾液でまみれたジフリートの長い舌を、根本から、剥ぎ取り用のナイフで少しずつ丁寧に切り裂いた。刃を入れるたび、俺たちと同じ真紅の血液が袋を
ようやく切り出すと、血まみれの舌を水筒の水で洗い、食べられるサイズにカットしていく。その間にマリアが火を起こした。ここからは最も腕のいいカンナに任せる。
植物油を敷いた鍋をフライパン代わりにして、両面じっくり焼き色をつけていく。ほどなくして、どんな焼肉店よりも
そして、竜タンのステーキは完成した。
小皿代わりのヤシの葉に乗せられた、一人八切れもある大ぶりのステーキ。塩と香辛料でシンプルに味付けされた竜の舌は、両面しっかりと焼けつつ、中にはまだほのかに赤みが残り、溢れんばかりの肉汁を溜め込んで照り輝いていた。
火を囲み、輪になった俺たちはそれぞれ、カンナから
その一切れにかぶりつき、ひとたび
「――ッ!?」
四人全員、一様に目を見開いて悶えた。タンらしい歯応えと、カルビのような肉々しい旨味の共存。噛めば噛むほどそれが溢れ出て、口の中に絡みつく。全身の疲労が一息に飛んだ。旨味で殴られたみたいな衝撃が、全部飲み込んでもまだ残っている。
放心していた。二切れ目にすぐに手が伸びない。あんなに空腹だったのに、たった一切れで心から満足してしまった。
「美味しい……こんなに美味しいお肉、食べたことない」
「うめえ! うめえ! これ、部位によってけっこう味違うな!」
「そんなに急いで食べなくたって、誰も取りゃしないわよ」
三つも一気に頬張るテトにマリアが呆れ顔で言った。テトの言う通り、タンは先から奥へかけて「タン先」「タン中」「タン元」、さらに根本の下半分、喉へ向けて垂れ下がった肉厚の部位「さがり」の四種類で区別される。意識して切り分けたし、カンナが均等になるように分配してくれたから、味や食感を食べ比べることができた。
根本の部位へ行くにつれて柔らかくなり、特に希少部位の「さがり」はタンとは思えないほどジューシーで柔らかかった。一つ噛むたびに血が、肉が、細胞が生まれ変わっていく感覚。疲労が消え、頭が冴え、全身に活力が漲ってくる。
全部食うのに、量の割に随分時間がかかった。完食すると、温かい湯に肩まで浸かっているような、えも言われぬ充足感に満ち溢れて、俺はため息混じりに四肢を投げ出した。
「……生きてて、よかった」
この充足感を表すのに、それ以上の言葉はなかった。赤い雲に覆われた茜色の空を見上げて、俺は本心から呟いた。マリアはそんな俺を隣で見下ろして、なぜか泣きそうな顔になった。
「気球の操作方法を伝えるから、覚えたら早いうちにここを出発してね。日没まであと四時間ちょっと。十分カルデラ湖のテントに戻れるはずだよ。今夜はそこでゆっくり休んで、明日ルミエールに帰還すること。下りの方が危険だから、走ったりしないこと。マリアちゃん、二人をよろしくね」
「はい」
「ジフリートの卵と尻尾くらいなら、気球に積めそうだね。戦利品として持って帰りなよ」
俺の方を見てカンナが言うので、そうだな、と曖昧に頷いた。どうやら、どう足掻いてもカンナを一人置いて帰る流れは変わりそうにない。
「シオン君、ちょっと来て」
手招きされて近づくと、カンナは身を屈め、自分のネックレスに装着された三つの守護石の内、二つをパチンと留め具から外して、空になっていた俺のネックレスに付け替えた。
「お、おい」
「いいから。頑張ったご褒美。ジフリートの首を斬るのはシオン君しかできなかったし、そのための必要経費だったでしょ」
カンナはいたずらっぽく笑った。初めて彼女に、少しだけ認められた気がして、俺は首に加わった僅かな重みにそっと触れた。
「それから、帰ったら報告と一緒にこれを受付に渡して」
カンナはそう言って、俺に一封の封書を手渡した。そういえば、食事を早めに切り上げて、カンナは何枚もの羊皮紙にスラスラとなにやら書き込んでいた。
「これは?」
「任務の報告書。尻尾と卵を持ち帰るから大丈夫だと思うけど、せっかく飛竜討伐したのに信じてもらえなかったら嫌じゃない。《月剣》の印鑑付き文書だから、けっこう信頼してもらえるはずだよ」
「おぉ、それは……ありがとう」
めちゃくちゃ大事なものではないか。俺は書類の管理とか苦手なので、マリアの背負った
それからカンナに気球の操作方法を教わり、ジフリートの卵を俺の
「楽しかったなぁ。こんなに楽しい任務は初めてだ」
「元気なやつ」
「気ぃ抜かないでよね。帰りだって何があるか分からないんだから」
「分かってるってー。でもさぁ、なんだかんだ言って、竜なんて倒せるもんなんだな。実質おれたち三人だけで立てた手柄だぜ。カンナが特一級なんて脅すから、どんなやばい相手かと思ったけど」
それは、確かにテトの言う通りだった。ジフリートの強さは本物で、倒せたのは相当運が良かったのも間違いない。先手で尻尾を切断し、卵を盗んだ俺にジフリートが激怒したおかげで、無警戒のテトとマリアが両翼を破壊することができた。
しかし、それを差し引いても、ジフリートに特一級は言い過ぎだ。特一級とは精霊級、つまり白皇と同等の危険度を意味する。白皇と比較したとき、ジフリートの危険度は、一級中位あたりが妥当ではないだろうか。
「ジフリートに何かさせる前に倒せたってことでしょ? 相手がベストを出せないまま殺せたんだから、狩りが上手くいった証拠じゃない」
「まーなー」
本当にそうだろうか。
ジフリートが危険度一級程度と仮定した場合、この火山地帯全域をジフリート単体が占有しているという前提が崩れる。もう少し、様々なモンスターがここに生息していてもいいはずだ。俺たちがこの遠征で出くわしたのは、ジフリートを除けば
――いや、待て。もう一つだけ、俺たちはモンスターの痕跡と出会っている。
溶岩洞窟の天井で見つけた、人骨の山。
背後に、音もなく死神が現れた。
三人一斉に動きを止めた。丸裸で獅子の檻に放り込まれたような、処刑台に乗せられたような、そんな、約束された死の臭い。気が狂うほど濃い、死の気配が、人の形をして俺の背後にいる。
俺たちは、ゆっくり振り返った。俺が担いでいたはずのジフリートの尻尾を掴んで眼の前に掲げ、しげしげと物色する、一人の男が立っていた。
男、という形容が果たして正しいのだろうか。
なにしろ"ソレ"は口角が耳のそばまで裂けており、肌はコンクリートのようにゴツゴツと黒ずんで、ギョロリとした両の
男は、じっと、ジフリートの尾を無表情で眺めていたが、やがて、ぐるりとこちらを向いた。
「オレのトモダチ、殺した?」
その見た目からは想像もつかないほど流暢な英語で問いかけると、ニタァ、と、耳まで裂けた口角を三日月型に吊り上げて笑った。
全身を、滝のように冷や汗が流れた。
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