第八話 飛竜狩り二日目-3

 意識が一瞬ぶっ飛んで、着地もままならなかった。不格好に片手をついて着地したところで、ジフリートの悲鳴が頭上で響く。


 教訓を生かし、濡らした布切れを裂いたものを耳に詰めているため、鼓膜がやられることはなかった。宙を舞った尾の片割れが、鮮血を撒き散らしながらドシャリと俺の背後に落ちる。長さ半分以下となってしまったジフリート本体の尾の断面からは、赤黒い血液が蛇口を捻ったみたいに流れ出ていた。


「斬れた……」


 カンナの剣技でも浅い切り傷しかつけられなかった堅牢な尾を、ぶった斬れた。やはり【火之迦具土】は最強の煉術だ。当たりさえすれば遥か格上にも通用する必殺の剣。これがあれば、俺はまだまだ先へ行ける。


 全能感に溺れかけたその時、ぐわりと、体感したことのないレベルの目まいが襲った。


「うっ……!?」


 全身の虚脱感に、たまらず膝をついてこめかみを押さえる。強力な煉術を使った代償か。今まで連続で【火之迦具土】を発動したことなんてなかったから、こんな重いのは初めてだった。


 それが致命的な隙となった。怒り狂うジフリートの大顎おおあごから紅蓮の光が溢れたかと思うと、マグマのような液状の炎が噴きこぼれた。ワニの如く開いた顎が真っ直ぐ俺に突きつけられる。この狭い穴の中に、逃げ場などあろうはずもない。


 火炎ブレスが俺を焼き焦がす寸前、天空から一人の少女が割って入った。ジフリートの顎から一直線に放たれた極太の熱線は、俺の前に盾になるように立ちはだかったカンナもろとも、飲み込み、焼き尽くした。


 おぞましい爆音が轟く。守護石が更に一つ割れるのを覚悟した俺だったが、大量の白い煙が立ち込める中、俺とカンナはどういうわけか無傷でいた。辺りは火口の中にいるような灼熱に包まれたが、一瞬、俺の体を真冬めいた冷気が撫でて消えた。へたり込む俺を見下ろし、カンナは笑顔で手を差し伸べた。


「大手柄だよ、シオン君!」


 何が起きた。カンナが、あのブレスを相殺したのか。どうやって。いや、今はそんなことより撤退だ。


「シオン!」


 傍らに飛び降りてきたマリアが俺に向かって手を伸ばす。俺は背後に落ちていた大きな石のようなものを手土産に拾い上げるや、マリアの手に飛びついた。


「マリアちゃん、シオン君をよろしく!」


「はい!」


 地面に刺したヴァジュラを勢い良く伸ばし、俺とマリアは一息に地上へ飛び出した。バチン、と剣を空中で巻き取り、穴の縁へ着地する。


「あんた、それ何持ってきたの!?」


 マリアは俺が脇に抱えた、柔らかく緋色に光る殻に覆われた、直径四十センチほどの球体に眉をひそめる。


「たぶん、アイツの卵だ」


「うそ!」


 こんなくり抜いたような穴が自然にできるはずがないし、この穴はジフリートの巣で間違いない。そこに落ちていた、妙な存在感を放つこの塊。万が一卵じゃないにしても貴重なものには違いない。


「絶対割ったらダメよ! 早く安全なところに隠して――」


 言われるまでもなく遠くの岩陰に隠そうと走り出したその時、ゴァァァァァァァッ!――と聞いたことのないほど取り乱した悲鳴を上げて、大穴から翼を開いた火竜が勢い良く飛び出した。憤怒の形相で俺を睨み、俺が抱えているものを見るなりその怒りが頂点に達する。


「ちょっ、早く! あいつブチキレてるわよ!?」


「そりゃキレるよな……」


「走って! あたしが迎え撃つ!」


 了解し、卵を抱えて全力で岩陰まで走る。ジフリートは空中で旋回して俺に狙いを定めるや、咆哮を上げ急降下。俺に激突するまで数秒もかからないだろう。


「こんなにデカけりゃ、いいまとね!」


 迎撃すべく、小さな体をめいっぱい駆動してマリアが振り下ろしたヴァジュラは、まるで天空を斬り裂くように振り途中で猛烈に肥大化した。十メートルもの巨剣が、ジフリートの広げた翼に激突する――寸前、ヤツは巨体にそぐわぬ体捌たいさばきでくるりと九十度回転し、ヴァジュラの猛威を掻い潜った。


 次の瞬間。


「――【棘斧ソーン・アックス】!」


 竜の悲鳴と鮮血が茜空にぶち撒けられた。巨大化したヴァジュラがジフリートの横を掠めた瞬間に、その刀身から無数の"トゲ"を生やしたのだ。堅牢な鱗にこそ弾かれたものの、勢いよく突き出した棘のいくつかが分厚い翼膜を貫き、ジフリートの飛行姿勢を大きく崩した。


「おおっ、すげえ!」


 長さや大きさだけでなく、刃の形状まで自在に変化させられるのか。初見ではまず避けられないだろう。


 翼膜を引き裂きながら大地に着弾したヴァジュラが地響きを上げ、反動でマリアの体は宙に浮いた。さっきのはかなり体内の煉素を食うようで、険しいマリアの顔には大量の玉の汗が浮かんでいる。


「マリア! カンナを頼む!」


 俺が卵を盗んでしまったせいで、ジフリートがカンナに目もくれず俺を追いかけてきてしまった。今頃穴底でどうしようもなく佇んでいるはずだ。マリアは苦しげに応答し、ヴァジュラを小さくし始めた。


 一度地表にかすりかけたジフリートは寸前で持ち直し、凄まじい風圧を伴って二、三度羽ばたくや、マリアさえ無視して一直線に俺の背中を追いかける。低空を翔ける恐ろしい殺気の塊。死神の鎌がずっとうなじに触れているような感覚だ。生きた心地がしないまま、懸命に走る。


 岩場を駆け抜けながら、ふと、視界の右端に白い稲光がぎった。


 目だけを動かして視認する。小高い岩壁の頂上、そこだけが地球の晴れた昼間のように青白く明るかった。猛烈な蒼い電気エネルギーを纏い、白い髪がツンツンに浮き上がるほど帯電したテトが、山猫のような青い目をかっぴらいて立っている。


 左手の人差し指を伸ばし、親指を立てて、まるで手を拳銃に見立てたように、その銃口をぴったりジフリートへ向けて。


 バチッ、バチッ、と派手な放電音が炸裂する。テトが戦闘時に纏う通常の電気とは、もう桁外れに輝きも密度も膨れ上がっていた。人差し指の爪先に、空気を灼くような怪音を上げてプラズマめいた閃光が灯る。


 一瞬、臨界まで膨張した電気が凪いだ。



「――【電磁砲レールガン】」



 至近距離で雷鳴を聞いたことがあるだろうか。


 テト本人が後方に勢いよく吹き飛ぶほどの威力で、白雷はくらいの槍が瞬く間にくうを駆け抜けた。耳栓の上からでも、心臓を直接殴られるような爆音が届いた。円環状の波紋を広げながら飛翔した蒼いレーザーは、まさしく稲妻の速度でジフリートの無事な左側の翼を貫いた。レーザーの口径そのものは十センチ程度だったが、貫通した箇所を中心に翼膜が半径一メートルも弾け飛ぶ。


 低空を飛翔していたジフリートは今度こそ腹から墜落し、大地をガリガリ削りながら巨体を滑らせた。

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