第八話 飛竜狩り二日目-1

 それまで見当もつかなかった、カンナをこんなになるまで傷つけた者の正体を知って、俺はようやく殺意のやり場を得た。


 ルミエール王はカンナを寵愛している。踊りの達人である彼女に、自分のために舞ってくれと再三言い寄り、カンナは断り難い王の誘いから逃れるために、激務の中に身を置くことでほとんどルミエールに帰らない生活を続けてきた。


 ところが、王からの求婚、となれば、それは事実上の勅命ちょくめい。逆らうことなどできるはずがない。


「私、一昨日十六歳になったんだ。ルミエールでは成人、結婚ができる歳なの。それで、呼び出されて。すぐにでもって話だった。……でも、最後に、なるべく長くて、これまでの集大成のような、難しい任務に出たかったの。できれば、シオン君と。私が助けた新客の中で、唯一私と同じウォーカーになってくれた、君と」


 俺はどんな顔をして彼女の話を聞いていただろうか。俺は、カンナにとってなんら特別な人間ではないと思っていた。カンナは誰でも同じように助け、誰にでも同じ距離で笑う。俺はたまたまカンナに助けられたことで、そうでない者よりほんの少し、カンナとの接点を持つことができた、ただそれだけの人間なのだと。


「今まで、一度も一緒に働いたことなかったよね。王に嫁げば、もう壁の外に出ることもできなくなるだろうから。こんな日が来るの、ずっと楽しみにしてたんだよ」


「……俺は、夢だったんだよ」


 うん、嬉しい、とカンナは泣いた。俺の監視役代理は、カンナが選んだ最後の仕事だったのだ。


「今日は、朝から本当に楽しかった。責任持ってやりきろうって、ちょっと緊張もしてた。見上げた空をあのジフリートが泳いでいたとき、運命だと思った。神様が、最後にあの竜に挑めって言ってるんだと思った。歩いて、戦って、水浴びして、ご飯作って、みんなで食べて……本当に……」


 くしゃっ、とカンナの顔が歪んだ。まなじりを真っ赤に腫らしてボロボロ泣く今のカンナは、俺より年下の女の子みたいに見えた。


 未熟者を三人も引率して、全力で仕事を楽しんで、夜、暗く静かなテントの中に横たわったとき、全ての糸が切れたカンナは、ただの十六歳の少女に戻ってしまった彼女は、耐えられなかったに違いない。耐えられる、はずがない。


「ごめん……私、怖くて…………国に帰った後、どうなるのか考えたら、怖くて、仕方なくて…………でも、外で、シオン君がまだ起きてるって思ったら、少しだけ気持ちが穏やかになって。それで……」


「いいよ、もう」


 悲壮な顔で口を押さえるカンナに、ゆっくり首を横に振った。


「もう、いいから」


 初めての相手として、あの王よりは俺の方がマシだった。カンナが俺に迫った理由は、それ以上でも以下でもないのだろう。俺は自分で思うより傷ついていなかった。こんな選ばれ方ですら、幸せなんて、我ながらどうかしている。


「俺の秘めに秘めてた恋心がまさかバレバレだったってのだけちょっぴりショックだけどな。満を持して、夜景の見えるレストランで伝えようと思ってたのに」


 カンナはますますいっぱいの涙を目にためて、声を押し殺して泣き崩れた。どうしてこの人は泣いているのだろう。彼女が自分を責めるいわれなんて、あるわけがないじゃないか。


「逃がしてやるよ」


 俺の言葉に、カンナは泣き腫らした顔で俺を見上げた。


「俺がお前を逃がしてやる。ハクと二人で逃げろ。お前らほどの二人なら、どこでだって生きていける。ハクも、事情を知ればお前を王になんかやるもんか」


「な、何言ってるの。ていうか、なんでそこでハク兄ちゃんが……」


 冗談だろう、と思った。まさか自分だけバレていないとでも思っていたのだろうか。まぁ、俺もだったけど。


「ついでだから俺もルミエールを出るよ。テトと出会って、国は他にもあるんだよなって当たり前のことに気づいたし。アカネウォーカーってことがバレなけりゃ、どこか俺を拾ってくれる国もあるだろ。ハクみたいに世界を転々とする旅も悪くねえな。お、ちょっと楽しみかも」


「ま、待ってよ!」


 一人で勝手に喋り続ける俺の腕を掴んで、カンナは揺れる瞳を向けた。冷静になれと言わんばかりに。分かっている。俺自身のことも、国に残す人たちのことも、全く考えられていない。今の俺は冷静じゃない。だから声が荒くなった。


「好きな人には、幸せになってほしいだろうが!」


 カンナは目を見開いて、硬直した。


「これからずっとそうやって泣いて過ごすのかよ? そんなの、俺が嫌なんだよ!」


 白皇がルミエールを去れば、あの国はたちまち隣の大国、ダバルに蹂躙じゅうりんされてしまうだろう。俺やカンナと親しくしていた者も、共謀罪と言いがかりをつけられればタダでは済まない。分かっている。俺が言っているのはメチャクチャな話だ。それでも、このときばかりは本気で言っていたのだった。


「全部俺がなんとかしてやる。ハクと逃げろ。つーか、さっさと想い伝えろ! アイツはお前のこと妹みてーなもんだと思ってるっぽいが、アイツはあぁ見えてムッツリなんだ、多分な。さっきみたいに迫ればイチコロだぜ。そもそもお前ほどの美人が――」


 気持ちを知られたことで、俺はむしろカンナの前で開き直ることができた。カンナがいかに可愛くて、綺麗で、エロくて、いい子であるということを熱く語り、お前が本気を出してなびかない男なんていない、たとえそれが二十四時間賢者モードの精霊だろうとワンチャンあるという話が半ばまで差し掛かったところで、「ぷっ」とカンナが吹き出した。


「ありがとう、シオン君」


 カンナは、なにか憑き物が落ちたような顔で、笑ってまなじりを指で拭った。


「私には、シオン君も幸せになってくれなきゃ意味ないんだよ。だから逃げるなんてできない。……でも、なんだろう、すっごく力が湧いてきた。まだ私、全然王様と戦ってなかったね。一回、試しに断ってみようかな。どうなるんだろ。生きてるかな、私」


 ふふ、とカンナは口元を押さえた。


「おう、その意気だ。王の溺愛っぷりからして、傷つけられることはないだろうよ。国の連中は大半が王に逆らわねえけど、ハクやロイド教官なんかは例外だ。ちゃんと相談しろ、絶対力になってくれる。俺もマリアも、ハルだって」


 うん、うん、とカンナは何度でもうなずいた。


「もし、どうしてもダメで、無理そうなら。みんなで逃げよう? シオン君も。マリアちゃんもハル君もユーシス君も、レンちゃんもコトハちゃんも、ロイド教官もマーズさんもサヤもリーフィアも……みーんなで。それで、私たちだけの国を作るの」


「いいな、それ」


 どれだけ彼女が本気で言っているのかは分からなかった。それでも俺は、その夢想に本気で憧れた。それが現実になればいいのにと思った。


「その国の王様は、私はシオン君がいいと思うな」


「人選のセンスが絶望的だな。三日で滅ぶぜ、そんな国」


「ううん。シオン君なら作れるよ。争いのない、皆が幸せになる優しい国」


 そうかな。カンナに言われると、不思議と本当にそんな気がしてくるから駄目だ。俺はこの女に弱すぎる。


 俺たちはしばらく、黙って二人でそこにいた。肩も触れ合わない距離。今更になって、さっきのカンナの体温が無性に恋しくなったけれど、ぐっと飲み込んだ。俺もカンナも動こうとしなかった。少なくとも俺は、ずっとこうしていたかったが、次第に眠気が訪れて、すぐに真っ直ぐ座っていられなくなった。カンナは、このまま火の番を自分が代わるから、俺にテントで眠るよう言った。


 俺たちは立ち上がり、茂みを歩いて元の場所に戻った。道中、一度だけ、もし今俺が気を変えて、そこの茂みにカンナを押し倒したらどうなるだろうと考えてしまった。きっとカンナは拒まない。自分から誘った後ろめたさがあるから。その確信は否応なく俺をたかぶらせたけれど、悶々としているうちにさっさとテントまで帰ってきてしまった。結局俺は、カンナの言うとおりヘタレなのだろう。


 テントに潜ると、テトが毛布を蹴飛ばし、布団の上半分で腹を出して「くかー」と斜めに転がっていた。仕方なく毛布で腹だけ隠してやって、俺もその隣に横たわる。


 ……あぁ、そうか俺。失恋、したんだ。


 眠りに落ちる前に、少しだけ泣いた。ぐっすり眠れるほど疲れていたことに感謝しなければならない。

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