第六話 火竜ジフリート-3
大粒のエメラルドのような瞳。爬虫類特有の
高度二十メートルほどまで降下してきたジフリートは、俺たち四人の姿を見つけても警戒しない。ただ、じっと、値踏みするように遥か高みから
「離れるよ!」
冷静だったのはカンナ一人。素早く後ろに下がったリーダーに対して、俺たち三人は動けなかった。
臆したわけではない。むしろ、恐怖してはならないという切迫した暗示が俺たちを
あまりに強すぎる剣士と
気合一閃、俺たちはジフリートの降下地点めがけて走り出した。剛翼の羽ばたきが巻き起こす爆風に抗い、踏ん張って、突貫する。ジフリートは地響きを立てて湖のほとりに着地した。
跳躍したマリアが頭上から、俺とテトが左右からジフリートの頭部に狙いを定める。誰から対処したとしても、ヴァジュラか、電撃か、俺の刃か、いずれかが必ずヤツに到達する――
竜が、
俺たち三人がほぼ同時に間合いへ侵入した瞬間、ジフリートの喉から放たれた音の塊が鼓膜を貫いた。咆哮。両耳に張り手を食らったような衝撃で、為す術なく硬直する。直後。
ジフリートの
俺を地獄から救ったのは、ガラスの砕けるような音だった。熱が、痛みが途端に消える。俺たち三人は、気がつけばジフリートからそれぞれ五メートルも吹き飛ばされた地点に横たわっていた。散乱する赤い鉱石の欠片。首に吊るした三連守護石の一つが、割れていた。
声を出そうとして、気管に鋭い痛みが走る。熱を吸い込み、気管支を火傷してしまったらしい。守護石の発動がもう少し遅ければ、俺は声を失っていたかもしれない。
「ぉ……おまえら、へいきか」
自分の声の聞こえ方が変だが、どうにか鼓膜までは破れていないようだ。掠れた声を絞り出して起き上がると、テトとマリアもふらつく足で立ち上がった。二人の首の守護石も一つずつなくなっている。
これほど離れてもなお、ジフリートの躰から溢れる熱気を感じるというのに、背筋だけが氷を落とされたように冷えていく。
三人まとめて、瞬殺されたというのか。ジフリートはまだ、着地したまま一歩も動いていないんだぞ。
ジフリートは長い首を曲げると、殺気立って俺を睨んだ。俺を警戒しているのではない。焼き殺したはずなのに、俺たち三人がまだ生きている不可思議を警戒しているに過ぎない。それなのに、臨戦態勢に入ったジフリートを前に、足が竦む。
「それっ」
べシャッ、と、音を立てて。ジフリートの頭部に、横から何かが投げつけられた。黄と緑と灰を混ぜたような色の汚い粘液が滴り、神聖な竜の顔を汚していく。ツン、と卵が腐ったような凄まじい悪臭がここまで届いた。
ものが飛んできた方向を見れば、まさに今なにかを投げた体勢でいるカンナが、ちょいちょい、と人差し指を曲げて挑発する。
「こっちだよ、ジフリートちゃん」
怒りの咆哮が轟いた。火山まるごと揺らすかのような大音響に、カンナ以外の三人は耳を抑えて顔を歪める。
「両手をみすみす
カンナはやれやれと何か俺たちに言ってから、無駄のない所作で抜剣した。雪のように刀身が白く染まった、細身の片手剣。あんなものが竜の鱗に通用するのか。
刃物のような風が吹いた。"尾"だ。先端が剣の如く尖ったジフリートの尾は、意のままに空中を舞ったかと思うと目にも留まらぬ速さでカンナに襲いかかった。
火花を散らして大地が抉れる。剣を一振りしたカンナを掠めて、尾は地面に突き刺さっていた。巨人が操る槍のような尾の刺突を、あんな細っこい剣一本でいなした。
震えた。なんて……なんて柔らかい剣術なんだ。
「硬いね、君」
顔をしかめて剣の無事を確かめるようにするカンナがそう言った瞬間、ジフリートが引っこ抜いた尾の先端付近から幾筋もの鮮血が噴き出した。二、三、四……――尾に刻み込まれた刀傷を数えて驚愕する。あの一瞬で、一体いくつ斬撃を入れたのだ。
「君を解体するのは骨が折れそう。大人しく首を差し出してくれる気はないかな?」
にこりと微笑むカンナに対し、ジフリートの顔つきが明確に変化した。その目に初めて見せる警戒の色。剣呑な殺気が、熱気となってヤツの躰から滲み出る。顔にまとわりつく液体の悪臭も相まって、相当苛立っているのが伝わる。
ジフリートは翼を広げると、四本の太い足で地を蹴ってくるりと身を翻した。凄まじい風圧を巻き起こし、何を思ったか巨体の舵を切って湖へ飛び込む。激しく波を立てながら深い湖底まで潜っていき、なおも水中でぐるぐる身を
「水で流したぐらいじゃ、その臭いは落とせないよー」
カンナは笑ってテトを見た。
「テト君、やっちゃって」
テトはもう動き出していた。湖に向かって跳躍し、"水面に着地"。湖の底で暴れる竜のせいで激しく荒れる波を乗りこなし、その両手を水の中に浸した。
「【
湖の水が全部弾け飛んだのではないかと思うほどの爆発が、炸裂した。
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