第六話 火竜ジフリート-2

 カルデラ――火山の活動によって形成された巨大なおう地のことである。そこに水が溜まって湖となったものを、カルデラ湖と呼ぶらしい。


 それは、ここが火山地帯であることを忘れるほど美しい湖だった。透き通った薄紅色の水面みなもは、空さえ青ければさぞ綺麗な青色を映したに違いない。


 喉がカラカラに乾いていた俺は、湖畔に膝をつくと両手で水をすくい、そっと口をつけた。大地に冷やされたその水は、信じられないほど美味くて、飲んだ瞬間に細胞が生まれ変わったみたいだった。


「う、めぇ……」


 豊潤な煉素に浄化された湖の水は、天然のミネラルウォーターと化していた。貪るように飲み始めた俺につられ、テトとマリアも両脇にやってくる。三人揃って犬みたいに水を味わうさまを、カンナが遠くから笑顔で見守っていた。


 涼しい水場で生きた心地を取り戻した俺達は、近くの平地に簡易テントを立て、その前で輪になり腰を下ろした。


「ここなら見晴らしもいいし、戦闘になっても立ち回りやすいね。ここから空を見張ってあの竜を探そう」


「賛成」


「なぁ、あの竜って名前とかあんのかな? あの竜あの竜って呼ぶのもめんどくせぇし」


「竜は存在自体が伝説みたいなものだからねぇ。個体ごとに名前はつけられてないと思うな。そもそもモンスター図鑑に載ってない種は、同じモンスターでも地域によって好き勝手に呼んでたりするし」


「なるほど。でも呼び名は欲しいな、便宜上」


「じゃあ私達でつけちゃおうか。名前」


 いたずらっぽく笑うカンナに、俺達は無邪気に賛同した。すぐさま挙手したテトの「アルティメットドラゴン!」はマリアに「ださい」と一蹴された。


「そう言うならあんたも案出してみろよ!」


「そ……そんなにポンポン浮かばないわよ」


「ならアルティメットドラゴンに決まりだな!」


「じゃ、じゃあX《エックス》でいいんじゃない、とりあえず。未知の生物だし」


「とりあえずじゃダメだろ、今後おれたちのつけた名前がモンスター図鑑に載るかもしれないんだぜ!」


 まずい、俺がなんとしてでもマトモな案をひねり出さなければ、このままではアルティメットドラゴンが世界に轟いてしまう。


 ゴブリン、ライカンスロープ、トロール……――モンスターの中には、地球が生んだ空想や神話から名前を輸入されたものが数多くいる。それは、ナチュラルでも地球人でも、名前から即座にモンスターの外観や特徴を連想しやすくするためだ。


「上空を飛んでたから姿をちゃんと見てないけど、なんせ火山の竜だから、火に関係する名前がいいよな。……イフリート、とかどうだ?」


「おおっ、かっけー!」


「アルティメットよりはマシね。でも他のモンスターとかぶってたりして」


 マリアがもっともなことを言い出した。


「じゃあ、《未知》の《IFRIT火竜》ってことで」


 カンナは指で地面の砂に大きくアルファベットを並べて書いた。


「どう?」


 XIFRIT――火竜ジフリート。それが妙な程しっくりきたものだから、満場一致で可決となった。


「ここまでほとんどモンスターと遭遇してないことからも、ジフリートが影響を及ぼしているナワバリの広さがよく分かる。もしかしたら、この火山全域がヤツのナワバリなのかもしれない」


 モンスターの形成するナワバリの広さは、群れの頭数と一頭ごとの強さに比例する。単体でありながらこの莫大なフィールドのほとんどを独占してしまえるということは、それだけ他のモンスターにとってジフリートが脅威であるということなのだ。


「カンナの経験を踏まえて、こんな広さのナワバリを単独で保持できるジフリートの危険度は、いくらくらいだ」


「一級最上位」


 即答するカンナに、恐怖とは別種の鳥肌が立った。俺がこれまで討伐したモンスターで最高の危険度は三級中位。例のグレントロールだ。いったい、今の俺の力がどれほど通用するのか――早く、早く試してみたい。


「おっしゃぁ、燃えてきた! 絶対やってやろうぜ、ジフリート討伐!」


 テトが高く空へ突き上げた拳の先で、紅蓮の雲海がドロリと溶けた。


 そう見えたのは、雲を上から突き破りながら、巨大な何かがゆっくりこの湖へ降りてきたからである。


 最初に見たときより、一層ハッキリと、大きく、鮮明に、目の当たりにする。生態系の王の姿。


 片翼だけで十メートルを越える剛翼を一つ羽ばたかせるたび、水面が泡立ち、強風が吹き降ろす。地上に近づいてくるにつれ、風圧が加速度的に増していく。


 頭から翼、背、五メートル以上の尾の先に至るまでびっしり覆う赤褐色の龍鱗。口の端から迸る噴炎。ヤギのような、悪魔を連想させる湾曲した黒い立派な角が二本、竜のこめかみから伸びて天を突いている。


 姿を隠す隙も、余裕もなかった。

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