第五話 飛竜狩り-3

 それから更に一時間ほども歩いた。必死に足を動かしても、カンナの歩むペースがどんどん上がっていくように感じた。俺たちの疲労などまるで考慮しないかのようでいて、決して置き去りにはしないギリギリの速度で先頭を歩くカンナに食らいつき、俺たち三人は、何度も互いに励まし合いながら灼熱地獄を進んだ。


「あちゃあ、行き止まりだね」


 ようやく足を止めたかと思うと、カンナは脳天気な声でそんなことを言い出した。ぶち当たった赤黒い絶壁を見上げ、「困ったなぁ」と他人事のように言っている。


 三人の心が同時に折れた。その場に崩れ落ち、悲鳴さえままならず喘ぐ。体の内側にずっと熱がこもりっぱなしで、熱湯で茹でられている気分だ。水分を失うからずっと死ぬ気でこらえていた吐き気が胃からせり上がってきて、危うく全部戻しそうになる。


「も……戻るのか……?」


「……いや、待って」


 おでこに張り付くぐっしょり濡れた前髪を払って、マリアが壁の上方を見上げた。


「この壁、天井とくっついていません。上に広いスペースがあります。登れば、先に進めるかも」


「いやいや、どうやって登るんだよ、こんな高い壁!」


 テトの言うとおり、目の前の壁は目算で高さ四十メートルを越える上、垂直にそそり立っていて登りようもない。


「いいから、ちょっと見てて。《ヴァジュラ》」


 腰から抜いた剣の名を呼ぶなり、マリアの愛剣は茜色に瞬いて、短剣サイズから見る見る膨れ上がり、マリアの身の丈を越える巨剣へと変貌した。「おぉっ!?」とテトが歓声を上げる。


「これを地面に突き刺して、一気に伸ばして上まで昇るわ」


「すげえええええ!」


「その手があったか」


「マリアちゃんナイスだよ!」


 希望が見えて、俺たちの疲労も少しだけ飛んだみたいだった。


「でも、それって確かお前の体から煉素を流すんだろ? 使って大丈夫なのか」


「心配いらないわ。新人大会のときは、まだ《煉結晶》を埋め込んで間がなかったの。今は完璧に適合したから」


 マリアの胸には、テニスボール大ほどの赤い石が刻み込まれている。その石がマリアの体に蓄積された煉素を《ヴァジュラ》に流すことで、マリアは地球人でありながら煉器を自在に繰り返し発動できる。


 実は闘いが好きでもないくせに、体を改造してまで強さを求めるものだから、ハルが心配するのも無理はない。


 ヴァジュラを地面に深々と突き刺すマリアの背中に、「よろしく」とカンナが密着して負ぶさった。俺とテトもヴァジュラの肥大したつばにしっかり両手の指を組んで引っ掛ける。


「落ちないでよね」


「その時は早めに刀身に抱きつくさ」


「顔面すり下ろされるわよ……?」


 マリアの合図で、ヴァジュラに組み込まれた煉術【如意剣】が発動された。爆発的に伸びる刀身と共に、俺たちの体も地上から放たれ、勢いよく真上へ登っていく。想像を超えた速さに思わず内臓が冷える。


 十分な高さまで伸びたところで、マリアが重心を傾け、ヴァジュラをゆっくり壁側に倒す。ここまで来ればもう大丈夫だ。剣の長さをコントロールしながらゆっくり降りていくマリアの元から飛び降りて、俺とテトは一足早く岸に着地した。


「はぁっ、楽しかっ……」


 汗びっしょりの顔で言いかけたテトの笑顔が、途中で凍った。俺の鼻はテトより早く、強烈に反応していた。


 死臭――肉が、腐った臭いだ。


 遅れて着地し、ヴァジュラを手元に巻き取ったマリアと、その背から降りたカンナが俺たちに追いつく。


「……この臭い、尋常じゃないね」


「あぁ……おぇっ」


 むせ返るような悪臭にたまらず嗚咽が漏れる。普通、少々の死骸なら煉素の分解によって数日中に跡形もなくなり、異臭も残らない。これほど濃密な死臭は初めてだ。


「みんな、鼻をつまんじゃ駄目。ゆっくり、慣れるまで鼻で呼吸して」


 カンナに言われて、全員涙目になりながら鼻呼吸を繰り返す。一ヶ月置いた生ゴミのような臭いが鼻に突き刺さり、とうとう胃の中身が口まで上がってきた。酸っぱい味を吐き出して、水で飲み込み、ドンドンと胸を叩く。


「シオン君は辛そうだね。人より鼻が効くから」


「い……いや、平気だ、こんぐらい」


 どうにか数分で、慣れた、というより麻痺したのだろうか、悪臭が少しずつ気にならなくなってきた。臭いのする方向は段々と両側の壁が近づいて狭くなっている。このあたりは溶岩が流れておらず、下より随分涼しかった。


 俺たちは武器を抜いて、カンナを先頭にゆっくり進んだ。どんどん幅が狭まり、ついに一人ずつしか歩けないほどになった道を進むたび、臭いが強くなる。


 そして――道が開けた先で、俺たちは異臭の正体と対面した。


「イィ……ッ!?」


「うそ……」


 人の、骨。百人分は下らない、人骨の山である。


 貝塚を思わせる大きな穴に、それらがリンゴの芯みたいな気楽さで投げ捨てられて山になっていた。まるで意地汚くねぶられた手羽先の骨みたいに、どの骨も綺麗に肉が剥がされている。山の上の骨は、血やあぶらに唾液で黒ずんでおり、まだ比較的新しい。


 よく見れば、穴の底には剣や鎧の残骸が大量に転がっている。ルミエールのものとは微妙に趣向が違うが、紛れもなく冒険者の装備。

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