第一話 傾国-1

「おかえりー!」


 帰国した足でギルドの酒場に顔を出すなり、受付から俺に向かって手を振ってきたのは看板受付嬢のリーフィアだった。若草色の鮮やかなショートボブから伸びたアホ毛が一本、アンテナのようにピコピコ揺れている。


 案の定、彼女に釣られて俺の方を見たウォーカーたちの目が露骨に怯えて逸らされていく。


「だから、あんまり大きい声出すなって何度も……」


 リーフィアの待つカウンターに近づき小声でいさめるも、彼女はどこ吹く風だ。


「だぁって、皆が君を変な目で見るのイヤなんだもん!」


「見るだろ、そりゃ」


「もうっ、何度も言ってるけど、君はただの剣士だよシオたん! ハルきゅんと演じた名勝負、今でもアタシのメモリーに焼き付いてるんだから! ねえねえ、まだハルきゅんと仲直りしないの? 早くより戻してよぉ、アタシの最推しカップルだったのにぃ!」


 受付係のほとんどから恐れられている中で、俺がクエスト等の手続きを頼めるのは変わり者の二人だけ。一人がこの女で、もう一人は姿を最近見ていない。


「ところでマーズさんはどうした、数日前から見ないけど」


「わーお華麗なスルー。んふふ、シオたんは口硬そうだから特別に教えたげる。どうせしゃべる友達もいないだろうし」


 本当に一言多い女だ。リーフィアは小さな顔を俺の耳に近づけた。


「お・め・で・た、だって!」


「えぇ!?」


 思わず大きな声が出て、遠巻きに見ていたウォーカーたちがビクリと更に距離を取る。


「あ、相手は!?」


「いやいや、そんなの一人しかいないじゃーん」


 言われて熟考するもまるで思い当たる人物がいない。


「鈍いなぁ相変わらずぅ。ロイド教官だよ!」


「は……はぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 酒場のウォーカーたちがいよいよ蜘蛛の子を散らすように引き上げていく。またリーフィアの悪い冗談かと思ったが、どうやらマジみたいだった。


「美女と野獣にもほどがあるだろ……」


「あぁ見えて、最初はマーズの方から猛アタックしてたんだから! まだ十五歳かそこらの小娘だったから、全然相手にされてなかったけどねぇ」


「想像できねー……」


 言いながら、卒業試験から帰還した夜、二人が迎えに来てくれたときのことを思い出した。そう言われてみれば、あのときから確かに仲が良さそうな感じはあった。


「まぁ、でも、めでたいことだよな」


「そんなこと言って、ちょっと寂しそうじゃん?」


「そんなわけないだろ」


 少しだけ、出会った日のことを思い出していただけだ。彼女は、右も左も分からない俺に丁寧に現実を教えてくれた、最初の原住人ナチュラルだった。


「そういえば、そっちこそ白皇サマは? いつも一緒なのに」


「城で《いばら》の会議があるんだと。あれから一度も暴走は起きてないし、煉術も一つだけマスターしたからな。酒場から家までくらいは、もう一人でも大丈夫だろうって」


 雑談しながらクエストの達成報告を行う。写真技術のないこの世界では達成の証拠を持ち帰れない場合がままある。《濃霧の湿地》特有のモンスター《リザードコア》の素材をいくつか提示して見せ、残りは俺と白皇の実績から信用してもらった。この仕事は、半分は信用商売だ。


「はい、じゃあ報酬の現金分。残りのお金と経験値は記録しておくから、また確認してみてねん。お疲れ様ー!」


 硬貨の入った麻袋を受け取って、俺は足早に酒場を後にした。空はすっかり消灯していた。クエストの報酬はモノによって、全て持ち歩くには少々高額な場合がある。そのため多くのウォーカーが、報酬の内一部だけを現金で受け取り、残りはギルドバンクに貯蓄するシステムを採用している。


 ギルドバンクは世界樹が管理するウォーカーのための銀行だ。国税もそこから自動で引き落とされる。世界樹製の身分証明証に呼びかければ、ウォーカー階級と同様にいつでも残高の確認ができる。


 とはいえ、今回の三日に及ぶ遠征で俺が得た報酬はたったの銀貨十枚分。そのうちの三割、日本円にしてたった三千円が今受けとった麻袋の中身だ。


 一度はかなりの額を貯め込んでいた俺だが、先月ありったけをとあるファミリーに寄付してしまったため、今ではほとんど一文無し。改めて稼ごうにも、俺と白皇が受けるクエストの全ては報酬金の八割を国に納める契約だ。二人でめいっぱい働いても、ギリギリ野垂れ死なずに持ちこたえるのがやっと。最後に腹いっぱい肉を食ったのはもういつになるのだろうか。


 思い出したように腹の虫が鳴り、胃のあたりをさすりながら家の近くまで歩いてきた俺は、ふと目を見張った。


 三日も空けていた家の灯りが、ついている。白皇が城から帰ってくるには流石にまだ早いはずだ。


 屋根と外壁の塗装を塗り直し、どうにか見れる建物になった我が家のドアノブに恐る恐る手をかける。軋む音を立てて扉が開く。俺の予感は、的中した。


「おかえりなさい、シオンさん!」


 記憶にないほど整頓され、隅々まで磨き抜かれて明るく輝く我が家に、エプロン姿の少女が一人、笑顔で俺を出迎えた。


「長旅お疲れ様でした! ご飯にしますか? お風呂にしますか?」


「……なんでいるんだよ」


 少女はとぼけるように小首をかしげた。短い金髪がさらりと揺れる。レン――俺が初めて助けた新客の女の子。ほとんどの人間が俺と白皇を気味悪がってここに近寄りもしない中、家の鍵が朽ちているのをいいことに、たびたび勝手に侵入するなど付きまとってくる物好きな女だ。


「何度も言ってるだろ、俺に近づくなって。危ねえんだから」


「おっ、また中二病発言ですか?」


「ちがっ……!」


 追い返してはまたやってくるの繰り返しで早一ヶ月、気がつけば出会った当初より随分軽口を叩き合う間柄になってしまった。


「とにかく帰れって」


「ひどい! 週に二回、日本語を教えてくれるって約束は嘘だったんですか! シオン・ナツメは簡単に約束を破る男なんですか!」


 眉を寄せ、唇を尖らせるレンに思わず口ごもる。これはレンの常套句じょうとうくだ。確かにそんな約束はした。でもあの時とはまるで状況が違う。


 反撃の糸口を探していた俺の鼻孔びこうを、ふと芳しい肉の香りがくすぐった。途端に抗いがたい食欲が産声を上げる。


 見れば、テーブルの上には湯気を立てる大量の肉料理が所狭しと並んでいた。濃厚なタレと焼けた肉の匂い。レンは俺の好物を知り尽くしている。


「せっかく作ったんだから、とりあえず食べませんか?」


 長い時間をかけて欲望に打ち負かされ、かすかに頷くと、レンは満足げに笑って背後に回り、俺の背をテーブルまでずいずい押していった。

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