第19話 再出発-3

 ハルが置いていった荷車には、俺の衣類や武具、貯金の入った袋など、あの家に置いていた荷物が丁寧に袋詰めされて積んであった。


 何やら重い麻袋には、ずっしり金貨が50枚。恐らく新人大会の賞金だ。あんなことがあったのに、きちんと払われたのは意外である。


 城の一室で生活していたらしい白皇の荷物もあったが、二人合わせても大した量ではなかった。お互い、あまり物を持たない主義らしい。


 そんなわけで、一番重宝したのはまさかの荷車本体であった。たくさんの買い出しが一度で済む。荷車を引いて街に繰り出し、木材、野菜や穀物の種、食料品、調理器具、灯油ともしあぶら……そそくさと必要なものを買い込んだ。


 俺に対してなにか噂するような視線は感じたが、白皇が隣にいることがよほど安心したのか、思ったより怖がられなかった。


 家に帰ると、早速作業に取り掛かった。まずは床を全面張り替える。大仕事である。持ち前の運動能力で馬車馬のように働いた。壁の埃や蜘蛛の巣も全て拭き取り、半日かけて、俺達の家はどうにか住める環境を取り戻した。


「少し休んだら?」


「こんぐらいじゃ疲れねーよ」


「お昼ご飯は……」


「これでいい」


 買ってきたリンゴをかじって昼飯にすると、俺は今度は畑を耕す作業に没頭した。空気中の煉素を含ませるように、繰り返し土にくわを振るっていく。汗まみれになって、水分補給も兼ねて食べるリンゴの数が三つ四つと増えていく。残った芯の部分は土に捨てて耕し、肥料代わりにした。


 白皇は、何かから逃げるように遮二無二しゃにむに働き続ける俺を、屋根の上で呆れたように観察していた。


「おわったー!」


 俺が鍬を投げ捨て地べたに寝転がったときには、もう夕方だった。俺の耕した畑の広さは実に、二十五メートルプールがすっぽり入るほどの面積にも及んだ。


「お疲れ様」


 種を植えて回ってくれていた白皇も、作業が終わったのか、労いの声をかけてくれる。


「夜ご飯にしようか」


「そうだな、さすがに腹減って死にそうだ。……ちなみに、ハクって料理できんのか?」


「馬鹿にしないでくれよ。実はもう作ってあるんだ」


「おっ、マジ? 気が利くな」


 良いところもあるじゃないかと見直しつつ、我が家に入る。天井に吊るした手製の大きな提灯ちょうちんが、シックなウッドカラーの室内をオレンジ色に照らしていて、見違えるほど居心地のいい家になっていた。


 中央のダイニングテーブルには、確かに料理が用意されて並んでいた。「うひょー」と歓声を上げて席についた俺は、目の前の料理が放つ冷気に眉を寄せる。


「ん?」


 色とりどりの肉、魚、野菜、果物。それらが、特に切ったり焼いたりという調理の痕跡もなく……カチンコチンに凍りついていた。


「……ハクさん? これは一体……」


「人間の文化にはないかもしれないけど、凍らせたらなんでも100倍美味しくなるんだよね」


「バカじたとかいう次元じゃねえ!」


 戦慄する俺をよそに、「えー美味しいのに」と肩をすくめ、白皇は凍った生肉をひょいっとつまみ上げると、美味そうにバリバリ噛み砕いて食べ始めた。


「マジか、お前……」


 なまじ美青年なだけに絵面が猟奇的すぎる。白皇は「食べないの?」と不思議そうだ。


「頼むから火を通させてくれ……」


「悪いけど、僕は火を取り扱うことができないんだ。まとう氷の力のせいで、焚き火も近づいただけで消えてしまう」


「よし明日から飯は完全分業制にしよう。お互い自分のぶんだけ作る、いいな? あと照明には近づくな」


「美味しく作ったのになぁ」


 なぜかしゅんとしてしまった白皇だが、さすがに俺も腹は壊したくない。果物なら凍っていてもありかもしれない、と机の上を物色した俺は、初めて、机に置かれた巨大な四角形の風呂敷包みに気がついた。枕ほどものサイズだ。こんな大きなものに気がつかないなんて、よほど白皇の氷漬け料理のインパクトが強かったのだろう。


「なんだこれ?」


「気づいてなかったの? ハルク君が持ってきてくれた積荷の中にあったよ。昼ごはんのときも声をかけたのに、いらないって言うんだから」


 見覚えのある緑色の風呂敷だった。ほどく過程で中身に見当がついた俺は、胸をザクッと刃物でえぐられたような痛みで、少しの間動けなくなった。


 弁当だった。二段重ねの巨大な弁当箱に、俺の好物ばかりがぎゅうぎゅうに詰め込まれている。盛り付けの仕方だけで、ハルの作ったものだと分かる。俺が、飲食店を利用できなくなることを知って――


 クソ。お前の泣き虫が移ったじゃねえか。


 一口食べると、昨日まで食べていたのに、ひどく懐かしく感じるあの味が、口いっぱいに広がった。どんどん口に運ぶのに、涙で飲み込めず、ほおがバンパンに膨らんでいく。


 時間をかけて、俺は弁当を米粒一つ残らず完食した。白皇は一言も口を挟まず待ってくれていた。二人で手を合わせ、ご馳走様をして、俺は弁当箱を綺麗に洗って棚にしまった。


「やることは全部終わった。修行、始めようぜ」


 寝床で本を読んでいた白皇は渋い顔をした。


「もう夜になるよ」


「暗くなるまででいい。じっとしてられないんだ」


 微笑んで、分かったよ、と白皇はうなずいた。二人で家の外に出て、向かい合う。持ってこいと言われて、刀も持って出た。


「気になってたんだけど、どんな修行をするんだ? 俺、自分ではアカネの力なんて全く分かんないんだけど」


「前提として、僕にもアカネウォーカーが力を制御する方法なんて、見当もついていない。色々試してみるしかない。で、現在アカネウォーカーについて分かっていることを整理しよう」


 白皇は剣で、地面にデフォルメした人間の絵を描いた。髪型を見る感じ、どうやらモデルは俺らしい。


「アカネウォーカーが暴走する原因は、世界の意志である煉素が、体の中に殺到し続けることによる自我の喪失だ。煉素は一つ一つが知的生命体かつ、高エネルギー存在。そんなものが無限に体の中に流れ込んできては、どんなに強靭な精神の持ち主でも一分と耐えられない」


「暴走した俺がやけに強いのは、その煉素でパワーアップしてるからだよな。傷も再生するし」


「そうだ。興味深いのは、十年前に暴走した僕の親友と、昨日の君に共通点があったこと。茜色のエネルギー体が、尾や爪のような形状に変化して、攻防一体の役割を担っていたんだ。あれは煉術だよ」


 頭になかった単語が飛び出して、少々驚く。


「二人が同じ煉術を使ったってことは、あの煉術は二人の意志で発動したものじゃない。予想するに、君たちアカネウォーカーは、"自動で煉術を連発している"んじゃないか?」


「自動で……つまり、煉素が命令なしに、勝手に煉術を行使してるってことか?」


「そう。それって異質なことだよ。煉素にそんな明確な自我があるなら、人間はとっくに煉素に滅ぼされていると思わないか。煉術師の命令に素直に従っているのも違和感だ」


 言われてみれば、そうだ。人間が煉素の力を借りられている以上、煉素は知的生命体だとしても、単体でそれほど万能な生物ではないと考えるべきだ。


「僕の仮説に過ぎないが、聞いてくれ。あの煉術は、君の体に入りきらずに飽和ほうわした煉素が、締め出された結果発露したものなんじゃないだろうか」


「どういうことだ……?」


 白皇は俺の絵に、周辺から俺の体に伸びる矢印をいくつか書き足した。


「ありったけの煉素が君の体に殺到する。君の自我をふっ飛ばし、身体能力、再生力を限界まで引き上げる。それでもなお煉素は流れ込み続ける。どんなに大きな器だって水を注ぎ続ければ溢れるだろう。溢れた煉素は、君の体がパンクする前に、煉術として消費し続けるしかないんだよ」


 絵が描き足される。俺の体から外に向かって飛び出す矢印。煉素が体に流れ込み、煉術として消費し、空いた容量でまた煉素を呼び込む。循環――アカネの原理原則と一致する。


「体に流れ込む煉素が多すぎて自我が飛ぶなら、その量を調節すればいい」


「そんなの、どうやって……」


「君が、自分の意志で、煉術を使うんだ」


 白皇に真っ直ぐ見つめられ、俺はたじろいだ。


「俺、が……煉術を……? ユーシスやバルサみたいに……?」


「そう。煉素が向こうから殺到してくるのは止めようがない。体に流れ込んでくる煉素を、片っ端から消費し続けるんだ。それができれば、理論上、君は暴走しない」


「待て待て、地球人は煉術が使えないんだよ」


「それはどうかな。君、バルサ君との戦いで片鱗を見せたじゃないか」


 ハッ、と目を見開いた。バルサの硬い装甲をぶった斬った、棗流奥義【火之迦具土ひのかぐつち】――あの時、俺の斬撃から、"斬れる炎"が噴出した。


 あれが、まさか、煉術なのか。


「君はただの地球人ではない。なんせ、煉素に誰よりも愛されているんだ。煉術を使えるようになったって、おかしくないよ」


「でも、そんな……自信ねえよ。しかもずっと使い続けなきゃいけないんだろ……? 俺の体が煉素でいっぱいになっちまわないように、ひたすら」


「そうだ。逆に、あの"尾"が、君の体が煉素で染めつくされてしまった証拠になる。アカネウォーカーとして覚醒しながら、"尾"を出さないようにする。それが、修行のゴールだね」


 途方もない話に目まいがした。だが俺は、同時に、思い出した。初めて俺が暴走したときのこと。


 記憶はぶつ切りで、ぼんやりしている。だが、グレントロールと斬り合った。あの時、まだ尾は出ていなかった。辛うじて自我があったから、グレントロールだけを狙えたんだ。


 そして、最後。俺の放った居合は、数十メートル先を逃げるグレントロールの首を、あやまたず刎ね飛ばした。


 あれは――煉術ではないか。あの後俺が気を失ったのは、あの煉術で煉素を使い切ったから。


 煉術で煉素を使い切れば、暴走は止まる。


「昨日、君は自分の体を刺し続けることで、大量の煉素を傷の再生に費やした。何度も、何度も、消費が供給量を上回るまで。きっと、そのおかげで暴走から蘇ることができたんだよ」


「俺、が……煉術を」


 手のひらに目を落とす。ぐっ、と、拳を握る。


 本当に、できるのか。もし、できたら。俺は、もう一度、ハルと――


 顔を上げると、白皇が笑っていた。


「さぁ、修行を始めようか」

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