第18話 ハクとクロ-3

 案内された執務室で、俺と白皇は、カンナたち三人の《荊》に見守られながら、王といくつかの取り決めを交わした。侍従長のプレスリーが念書を作成し、俺たち二人で血印を押した。



 一つ、ルミエール最北部、農耕エリアの壁際に居住すること。かつて衛士の駐屯所だったき小屋が、俺たちの新しい家として手配される。北区は国営の小麦畑が一面に広がる、住むには不便極まりない土地だが、文句を言っては処刑されかねないので黙っていた。


 一つ、国のあらゆる施設の利用を制限すること。やむを得ない買い出しは最低限とし、飲食店や銭湯、風俗店は利用厳禁。用のない限り市街地への立ち入りを禁じる。唯一制限を緩めてもらえたのはギルドの酒場のみで、そこについても入り浸ることのないようにとたっしが出た。


 一つ、俺と白皇の正体は他言無用とすること。表向き、俺は暴れた懲罰ちょうばつで辺境暮らしを言い渡されたということにして、引き続きウォーカーの肩書きを継続する。


 一つ、俺がウォーカーの任務にあたる場合、ソロで遂行するか、もしくは必ず白皇ないし《荊》の一名以上が同行すること。これに関しては、白皇は制限を免れた。


 最後の一つ。俺が再び暴走し、王、または《荊》の誰かが「制御不能」と判断した場合、直ちに俺の討伐任務が全ウォーカーに課せられる。白皇は討伐隊の最前線で戦い、俺を確実に抹殺した後、翌日以内に処刑とする。



「寛大なご処分、感謝致します」


 血印を押したあと、白皇は王に頭を下げた。俺もそれにならった。


「分かったらさっさと下がれ。……其奴そやつの首輪、キツく着けてゆめゆめ外すなよ」


「心得ております」


 俺の鎖はほどかれた。ようやく解放された。だが、もっと重たく頑丈な見えない鎖が、足や首やらに巻きついている気がしてならなかった。もう俺に自由はない。早速この足で、俺たちは国の北端まで歩いて、割り当てられた新しい家に今夜から寝泊まりしなければならない。


 なんだろう。色々と大変なことになったのに、俺は落ち着いている。冷静とは違う。なんだか、感情が動くのを、無意識に抑えているような気がする。


「没収していた武器は入り口で返還する。前の家に置いている荷物は明朝ウォーカーらに運ばせるから、寄り道せず、一刻も早く街から出ろ。《火剣》と《水剣》も下がってよい。予は少し《月剣》と話がある」


「御意に」


 アルテミスが短く一礼し、一番に去っていく。レザードも軽薄に笑い、「失礼しますぅ」とアルテミスに続いた。「僕らもいこう」と白皇に言われ、俺はカンナの顔を少し名残惜しく見てから、執務室を後にした。


 扉を閉めても、外から中の会話が聞こえるくらい、俺の聴覚は鋭敏に生まれ変わっていたようだった。


「久しいな、カンナ」


 厳粛な口調がなりを潜めた、王の甘い声に、背筋が凍って思わず足を止めた。


「はい、王様」


「一年近くぶりか。立て続けの遠征任務は、君の若さではこたえたのではないかね。また一段と……見違えて……美しくなった……」


 舐め回すような声に、全身の毛が逆立つ。今すぐ執務室の扉をぶち破って、カンナの手を引いて連れ出してやりたくなる。


「お上手ですね、王様」


 さらりとかわすように、カンナが笑う。


「また、君の舞いが見たい。今夜私の部屋で見せてくれないか。《舞姫》の躍りを。なぁ、以前のように」


 ついにぶちギレて扉を破壊する寸前だった俺の腕を、白皇が掴んで止めた。険しい顔で、首を微かに横に振る。


「とんでもない。私なんて、お見せできるほどの腕じゃありません」


「何を言うか。君の舞いは素晴らしい。一度見たあの日から、忘れられないのだ」


 せっつく王に、カンナはなまめかしい声を出した。


「幸せです、王様。……でも……申し訳ありません、実はこの後すぐにまた任務なんです」


「なんと、すぐにか」


 俺は、呆然と立ち尽くした。学園時代、カンナが一度も会いにきてくれなかったことに、拗ねていた自分をぶっ飛ばしてやりたくなった。


 カンナが、ほとんど国に帰らないほど忙しくしていた理由は……――


「もう夜だぞ」


「夜に出発しなければならない任務なのです」


「おぉ、《舞姫》……なぜ君はそれほど働き者なのだ。求めるものがあるなら言ってみなさい。金なら、冒険者なぞやらなくとも、私に舞いを見せてくれるだけでいくらでも出そう。君のような女性に冒険者は似合わない」


「ありがとうございます、王様。ですが、私は好きでやっていますので。また、お会いできる日を楽しみに。いつになるか不透明ですが、次に帰るときは、必ず王様のために踊ります」


「そうか、そうか」


「では失礼致します。おやすみなさい、王様」


 慌ててその場を去ろうとしたが遅かった。執務室から出てきたカンナは――泣いていた。


「えっ、えっ!? なんで二人とも、まだいたの!?」


 慌てて目を拭い、からっとした笑顔を作ったカンナに、俺はなにも言葉が見つからなかった。


「じゃ、私、今から行ける任務探してこなきゃだから! シオン君、また会いに行くからね。ハク兄ちゃん、シオン君のことよろしくね」


「うん」


「……あのね。ハク兄ちゃんが誰だろうと、私にとってはハク兄ちゃんだよ。次会ったときは、兄ちゃんの昔話、今度こそ聞かせてくれるよね」


 白皇は、白銀の目を見張った。そして、心から嬉しそうに笑った。


「ありがとう」


 カンナは少し頬を染めて、恋する少女の目になって、頷いた。


「じゃあね! シオン君、修行頑張るんだよ!」


「あ……」


 走り去っていくカンナに、俺は最後までなにも言えなかった。長い螺旋階段を下りながら、白皇が俺に言った。


「カンナは、踊るのが大好きな子でね。三歳の頃から打ち込んでいたらしくて、この世界にきてからも、踊りは彼女の心の支えだった。歓楽街の踊り子に懐いて、踊りを教えてもらって、ついには一緒に混ざって踊るようになった」


「え……でも、この世界の踊り子って」


 一度、夜間パトロールの任務で見かけたことがある。夜の歓楽街であでやかに腰を振る踊り子たちの姿。ステージの上で舞う女たちは、男の指名を受けると二人で個室に消えていく。


「踊り子がどんな仕事かも知らないぐらい純粋だった。まだ十歳だよ」


「止めなかったのかよ!?」


「別に店で働くわけじゃなかった。ただ、弟子入りのような感じで、昼に躍りを教えてもらいに行ってただけだ。保護者のマーズも許してた。実際、カンナは踊り子たちにとっても可愛がられて、すごく明るさを取り戻した」


 九歳でこんな世界に来て……なんてたくましい女の子なのだろう。


「でも、去年の春だったか、踊り子たちが余興のため城に招待されたとき、カンナは躍りの発表会くらいの感覚でついていってしまった。そこから王はカンナに御執心だ。僕が国にいれば、止められただろうに」


「はぁ!? 去年って、アイツはまだ十五になる年だろ!? キモ、クサッ、死ねよ王!」


「声が大きいな君は」


 白皇が冷や汗を垂らす。


「地球の文化とはかなり乖離かいりしていると思うが、王にとっては、自分が美しい女をただ選ぶ立場であることに疑いがない。城の上階には王の側室たちが暮らす後宮こうきゅうの間があるよ。カンナより幼い子もいる」


「狂ってる……」


「後宮にいる女性たちの中には、王に見初みそめられることが悲願だった人もいる。あそこは破格の待遇だからね。君が当たり前に信じている常識も、普遍ふへんではないよ。色んな国を見てきたけど、命令するでもなくただ口説こうとしている王の姿勢は、他に比べれば紳士の部類とも言える」


 白皇の言っていることは、理解できる。でも納得できない。


「お、俺は……アイツが泣くのは見たくない」


 足を止め、白皇の胸ぐらを掴んで、俺は感情のままに叫んだ。


「自分は限界のくせに、王を傷つけねえように逃げてかわして笑顔作って……アイツだって、好きなやつがいるんだよ! そいつと一緒にいたいはずだ! 俺は、カンナには幸せに笑っててほしいんだよ! お前はそうじゃないのかよ!?」


 ――……カンナは、お前が好きなんだぞ。


 白皇は目を丸くして、下から睨みつける俺を見つめていたが、やがて、今までの他人行儀ではない、悪戯イタズラの共犯者に向けるような笑顔を浮かべた。


「そんなに彼女を思ってくれている君を、薄っぺらな正論で煙に巻くのは失礼だったね。悪かった。本音を言うと、僕はあの王をぶっ殺してやりたいと思ってる」


 さらりととんでもないことを笑顔のまま言ってのけた白皇に、体が凍る。


「王が誰を好きになろうと自由だ。だがカンナを泣かせるやつは許さない。カンナは幸せで、笑顔でなくてはいけない」


「き……気が合うじゃねえか」


「少し見ない間に、カンナもまた大きくなった。彼女の成長と幸せが、僕の一番の喜びだよ」


 カンナについて愛おしそうに語る白皇の顔は、なんというか、恋をしている風とは違う気がした。言わば……父や兄の顔。完全なる保護者の目線。


 どうやらカンナの思いは一方通行のようだ。ホッとしたような、カンナの気持ちを思うと苦しいような。


「ところで、さっき言ってたカンナの好きな人って、君のこと?」


「はぁっ!?」


 予想だにしない発言に、思わず飛び上がった。バカか、こいつ。


「そんなわけないだろ。相手にもされてねえ」


「なんだ、よかった。カンナにはもっと落ち着いた紳士がいい」


「喧嘩売ってんのかお前!」


「あはは、でもまぁ」


 白皇は再び歩き出しながら、どこか嬉しそうに声を弾ませた。


「君ぐらい彼女を思ってくれる人じゃないと、カンナはお嫁に出せない。片想い、応援してるよ」


「……やっぱり俺は、お前が嫌いだ」


「確かに相性は良くないみたいだ」


「こんなやつと共同生活なんて」


「楽しみだね」


 いけ好かない。そりが合わない。でもこいつは、俺のために命を捨てやがった。それは感謝するほかに仕方がない。どうやら俺の大切な人たちのことを大切に思ってくれているみたいだから、その点は信用できる。


 とにかく、これからの生活を上手くやっていくしかない。この、殺されかけた、命の恩人と。


「ハク」


 呼び止めた俺に、白皇はピタリと足を止めて振り返った。その顔は傑作だった。まるで子どもみたいな顔だ。そんな顔ができるなら、これから仲よくやれそうな気もしてくる。


「白皇って名前、偉そうで嫌いなんだよ。だからこう呼ぶ。いいか?」


 白皇は、丸くなった目を細めて、頷いた。


「じゃあ僕も、シオンって呼ぶよ」


「俺を殺そうとしたことは水に流すし、救ってくれたことに礼も言わねえぞ。俺たちは運命共同体だ」


「あぁ。よろしくね、シオン」


 一階で警吏けいりから武器を返してもらい外に出ると、もう夜だった。俺たちはそれ以降ほとんど会話もなく北区までの長い道のりを歩いたが、白皇はずっと上機嫌だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る