第18話 ハクとクロ-2
*
白皇は俺たちに、過去を多くは語らなかった。ただ、後悔していると言った。アカネウォーカーに
「ナツメ君のことを信じることはできません。心から信頼していた友でさえ、世界の意志に屈服した。あの日のおぞましい記憶がある限り、今でも、アカネウォーカーは殺さなければならないものだと思います」
「ならば、なぜ生かした」
「信じたく、なったからです」
薄く笑った白皇の体から、白い煙のような
白皇は穏やかな顔をしていたが、指先が震えていた。不安や恐怖を締め出すように、彼は目を閉じる。
パキ、パキ、と、氷の砕けるような音が響いた。白皇の美しい顔に、亀裂が走っていく。ますます室温は低下し、白皇が立つ場所を中心に、レッドカーペットが真っ白に凍りついていく。白皇の肌は、氷が剥がれるようにしてボロボロに砕け、彼の中から身も凍る冷気が噴き出した。
玉座の間に、吹雪が吹き荒れる。誰もが声も出せない中、やがて雪の竜巻の中から、白皇は姿を現した。
悲鳴が上がった。
血の通わない、水晶のように透き通った蒼色の肌。黒い
ため息が出るほど美しい、バケモノだった。
白皇がちらりとウォーカーたちの方を向いただけで、悲鳴が連鎖する。本能による恐怖。自分の常識に当てはまらない存在に対する畏怖と拒絶。同じ空間にいるだけで、寿命が縮まり続けているような、落ち着かない、異物感。これが――人間と、バケモノの壁。
「貴様、なんのつもりだ!?」
異物を見る目で王が
「ただ、本当の姿を
「精霊……!? つまり貴様は、モンスターだというのか!?」
「はい。黙っていて申し訳ありません」
にっこり笑った白皇に、王は震える腕を振り払った。
「誰か、このバケモノを捕らえろ!
「そう言われてものォ……精霊なんぞ危険度特一級のバケモンじゃぞ」
レザードが半笑いで呟く。誰一人、即座に白皇へ突撃できる者はいなかった。
「危害を加えるつもりはありません。この姿を見せたのは、ただ、卑怯なままでいたくなかっただけです。私の夢は変わりました。私は――アカネウォーカーと共に生きる世界を作りたい」
「何を……世迷い言を抜かすな!」
吠える王に、白皇は微笑む。
「私はこの通り、バケモノです。これまで
「貴様の正体を知っていたら、そんな愚かなことはしなかった!」
「愚かでしょうか。貴方は私を国の英雄に祭り上げ、戦争の抑止力とした。
話が見えた俺は、息を呑んだ。白皇はそのために、そんなことのためだけに、ずっと隠し続けていた自分の素顔を晒したのか。王は乗り出していた身を、僅かに引いた。
「王、貴方はこのアカネウォーカーをも利用すべきです」
「なにぃ……!?」
吹雪が止んだ。空気が、変わった。
「ご安心を、彼を貴方には近づけさせません。目障りな私
玉座の間がざわめきに包まれる。次に王が何を問い、白皇がどう答えるか、俺にはありありと見えた。恐らくそれで、この交渉は成立する。王にはメリットしかない。だが……なぜ、そこまで。
「訓練とやらが失敗し、アカネウォーカーが暴走したらどう責任を取る」
「彼を殺し、私も死にましょう」
一切の曇りない目で、白皇は言い切った。彼は元の姿に戻っていた。王は、しばし沈黙し、玉座に座りなおした。
国の英雄である白皇には、差し出せるものがなかった。白皇の時間も、命も、王には惜しい。国を滅ぼす俺なんかのために使わせられない。
白皇は、己の命を差し出すために、正体を明かしたのだ。
「……なぜ、そこまでする」
王の口調も落ち着いてきていた。白皇が、自分に危害を加えるために魔物の姿になったのではないと分かったからだろう。
「言った通りです。彼と……私のようなバケモノでも、人と共に暮らせる世界を作りたい。私は、人が大好きですから」
王は、短く唸り、命じた。
「よかろう。すぐに念書を用意させる。プレスリー」
「はっ!」
王の指示で、侍従長が足早に退場していった。王も立ち上がり、階段を下りてくる。
「王審は終わりだ。《荊》の三名は白皇とナツメを執務室まで連れてこい。その他の者は帰ってよいぞ。ただし、この場にいる全員に
解散と言われても、動く者はいなかった。王は俺たちを追い越し、ガウンを引きずって広間の外へ向かう。アルテミスはようやく俺の頭から手を離すと、白皇に近づき「行きましょう」と言った。
「よくそんな平常心でいられるのぉ、アルテミス」
「王の命令を遂行しているだけのこと。私の感情は関係がない」
「ビビっとるのは認めるんじゃの」
「臆してなどいない。少し、混乱しているだけだ。……白皇殿、前を歩いてください」
「うん。ごめんねアルテ、驚かせてしまって」
「いえ……」
アルテミスに連れられて、白皇は王に続いて去っていく。「ワシらも行くか」と、レザードが俺の襟首を掴んで立たせた。
「にしても、思った以上にヤバいヤツだったのぉ、お前は。アカネウォーカー、じゃったか。この件で居場所が
「こっちからお断りだよ……」
肩を振ってレザードの手をはね除け、白皇たちについていこうと振り返った俺は、ふと、カンナと目が合った。
鳶色の瞳が揺れ、俺を見つめる。胸がずきりと疼いた。好きな人がモンスターだなんて知って、カンナはきっと、すごくショックを受けたはずだ。
だから、抱きつかれて、激しく混乱した。
「えっ」
「よかった……シオン君、命があって、本当に……!」
レザードが口笛を吹く。俺は顔を真っ赤にしてカンナを押し戻そうとしたが、両腕を後ろ手に縛られているこの状態では、抵抗のしようがない。
「次暴走すりゃ殺されるのは確定したけどな……まぁ、白皇に感謝するよ」
こんなことになったのもアイツが原因だが、遅かれ早かれ、白皇のいないところで暴走して誰かを殺してしまっていたかもしれない。だから、きっとこれでよかった。
「カンナは大丈夫か?」
「私なんて……もう、人の心配してる場合じゃないでしょ」
カンナに叩かれ、優しく鎖を引かれる。王たちの後を追おうとした俺は、最後に後ろを振り返った。ユーシス、マリア、ハル、ロイド。四人が、俺を見つめていた。ハルに至っては涙目で身を乗り出し、不安でたまらなそうな顔で俺に叫んだ。
「シオン……また会えるよね!? 僕、家で待ってるから! 絶対に帰ってきてよ!?」
「皆……ありがとな。ハル、遅くなるかもしれねえから、先寝とけよ」
「シオン!」
「はよいかんと王にどやされるで」と鎖を引くレザードと、カンナに連れられ、俺はハルたちから背を向けた。
すぐに帰れるとは思っていなかった。でも結局、俺が、俺たち二人の家に帰ることは、二度とできなかった。
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