第12話 決勝戦-2

『――んんん皆様ぁっ! しばしの休憩を挟みまして、いよいよこのときがやって参りましたぁっ! 白薔薇が誇るルーキーの頂点を決める新人大会、数々のドラマを生んだ今大会も、いよいよ、いよいよ決勝戦ですっ!』


 リーフィアの実況にも、一層の熱がこもる。俺とハルは、闘技場の中央で互いに向き合い、無言で精神を整えていた。


『勝ち残ったのはこの二人! シオン選手、ハルク・アルフォード選手! 奇しくも彼らは親友同士。ひとつ屋根の下で共同生活を送る彼らは、ギルドでは言わずと知れた仲良しコンビでございます! 我々受付嬢の間でも二人は付き合っているのではなんて噂があるくらいで』


 誰かあいつを引きずり下ろせ。


『彼らの学生時代をよく知るロイドさんにお話をうかがいましょう!』


『ハルクに剣を教えたのはシオンだ。初めてシオンの戦いを見たときは、正直痺れた。アカネに来るために生まれたような、とんでもないヤツがいたもんだってな。だが、ハルクの成長もまた、信じがたい速度だった』


『なんと! これは親友対決であり、師弟対決でもあるということですね!?』


 俺たちの関係やパーソナルな情報を知るたび、外野は勝手に盛り上がる。俺も、ハルも、そんなものはもう意識になかった。ただ、お互いだけを目に映す。ハルの規則的な呼吸で僅かに動く胸の動きさえ、鎧の上からこの上なく鮮明に見てとれるほどに。


『優勝者には、白皇さまがなんでも願いをひとつ叶えてくださるとのことですが、そこのところ白皇さまどうでしょう?』


『いやぁ、もちろん僕にできること限定だけどね。神様じゃあるまいし。二人が僕に何を望むのか。僕は、今からそれが楽しみだよ』


わたくしもでございますっ! それでは、運命の一戦の火蓋を、僭越ながら私が切らせていただきます。両者、構えて――』


 同時に、抜刀。ハルがその場に盾を捨て、最初から二本の剣を構えたことに、客席からどよめきが生まれる。俺の口角が、自然に少しだけ上がった。


 俺の攻撃速度は必ず盾の防御を追い越してみせる。ハルが俺に勝つには、彼の目を最大限に生かす、二刀流に賭けるしかない。よく分かっているじゃないか。そのつもりで、俺も対策を考えてきた。


「シオン」


 病室を出て、初めてハルが俺に口をきいた。勝負を前に、集中を切ってはいない。この上なく穏やかで、醒めきった目で、ハルが俺を見つめる。


「ありがとう」


「なにがだ?」


「僕に剣を教えてくれて」


 それは不意打ちだった。せっかく練り上げた集中が、あわや崩れかける。


「僕は今、高揚して仕方ない。君と戦えることが。こんな日が来るなんて、思わなかった」


「……」


 歓声が凪ぎ、訪れた静寂のなかで、俺とハルの体から余分な力が蒸発していく。静まり返った闘技場に、リーフィアが息を深く吸い込む音が、かすかに響いた。



『――始めっ!!!』



 その絶叫が響き終わらぬうちに、電光石火の突きが眼前に迫った。打ち落とす、火花、コンマ遅れて襲う二刀目。弾き返しつつ、想像を越える速さと練度れんどに総毛立つ。


 至近距離に迫った青い目に睨まれて、血が沸くような高揚を覚えた。猛虎の如き眼光。訓練では一度たりとも見せなかった――戦士の、目だ。


 俺が刀一本に対してハルは二本。覆しようのない手数の差に、数合で捌ききれず後退する。ハルは俺の重心が後ろ向く瞬間を捉え、間髪入れず踏み込んだ。


 右手の剣先で地面を削りながら、低い体勢で突っ込んでくる。距離二メートル、迎撃の用意を整えようというとき、ハルは右手の剣を盛大にかち上げた。


 剣先で土をえぐり、巻き上げた砂礫すなつぶてが散弾の如く顔に飛んでくる。目に鋭い痛みが走り、異物感が巣くう。砂が目に入った。視界が暗く染まり、殺気が肉薄する。


 あの聖人君子が砂かけなんて、成長に泣けてくる。どこからどんな攻撃が来るか、ロイドでもあるまいし、視界を奪われた俺には全く感知できない。


 だからといって、打つ手がないわけではないが。


「――【湖月こげつ】ッ!」


 全身を捻り、タメを解放した俺の体がその場で独楽こまの如く回転した。真横に倒した刀が素早く周囲360度を斬り払い、切っ先の白い光が、さながら夜の湖に浮かぶ満月のような真円しんえんを描く。


「ぐっ!?」


 ハルの声、鈍い手応えと金属音。ハルの追撃をなんとか弾き返せたようだ。涙が目を洗い流し、ようやく視界が戻る。


 今度は俺から仕掛ける。数メートルの距離をものともせず一息に飛びかかると、刀を大上段に振りかぶった。大振りの一撃をハルは難なく後退してかわし、刀は地面に突き刺さる。


 今のは、当てるつもりのない攻撃だ。


「おらぁっ!」


 地面に刺さった刀をしならせ、空中で身をひるがえした俺の足が、ハルの脳天目掛けて薙刀なぎなたの如く落ちる。棗流体術【火脚ひきゃく】。


 虚をついた鋭い攻撃にも関わらず、ハルは余裕の反応を見せた。両手の剣を頭上で交差し、刃を上に向けて防御の構え。俺の脚を逆にぶった斬ってやろうというつもりだ。


 構わず振り抜いた蹴りが、ギャリンと硬質の悲鳴を上げて二本の剣を貫通し、ハルのひたいを痛烈に打った。


「がっ……!?」


 脳が揺れる衝撃にたたらを踏み、ハルが二、三歩後退する。着地した俺の、剣に斬り裂かれたズボンのすその隙間から、黒い鋼鉄の脛当すねあてが音を立てて砕け、剥がれ落ちる。


 げっ、もう壊れたのかよ。安物はダメだな。


「驚いた……君が防具をつけるなんて、どういう風の吹きまわしだよ」


「盾を捨てたお前ほどじゃないだろ。ただの二刀流対策だよ」


 手痛い一撃をもらったにも関わらず、ハルは一層楽しげに笑った。左右の剣を水平に広げ、猛然と地を蹴り飛ばす。


「【双星ソウセイ】!」


 ハルが繰り出したのは、右と左、それぞれ目いっぱい広げた状態から同時に両側面を攻撃する、防御不能の剣技。


 巨大なはさみの如く両翼から俺を挟み込む左右の剣が迫るのを、俺はどちらにかたよって観察するのでもなく、周辺視野で捉えた。


 凶刃を阻む、金属音。


 客席からどよめきが起こる。ハルの剣は、どちらも俺に到達しなかった。俺が横に倒した刀の"切っ先"と"つか"にそれぞれ受け止められ、ギチギチ軋む音を立てるのみ。


『かっ、神業かみわざ!!』


『ハハハッ! 避けりゃいいものを、相当ノッてんなアイツ』


 リーフィアの驚嘆もロイドの愉快そうな笑い声も、観衆のざわめきも、全て遠い世界の声のように聞こえる。【双星】を受け止められ、ハルは驚愕に目を見開きながらも、どこかそれさえ予想していたように苦笑した。


 無防備に晒した腹を蹴り飛ばすと、鎧がベコッと陥没する手応えがあった。吹き飛ぼうとするハルの襟首を空いた手で掴んで引き戻し、その鼻っ面に全力の頭突きを叩き込む。


 今度こそ吹き飛び、ごろごろ転がって砂まみれになったハルは、すぐさまダメージなどないみたいに跳ね起きた。高い鼻から血がぼたぼた垂れるのを、無造作に袖で拭って目を輝かせる。


 俺たちはいよいよ二人だけの世界にいた。ハルは両手の剣を砕けんばかりに握り混むと、全身全霊の気を放ち、大地を蹴り砕きながらジグザグに俺のもとへ驀進ばくしんする。


「――【嵐舞ランブ】ッ!!」


 まさしく、剣の嵐。


 右、左、上、下。俺の命を刈り取るはがねが縦横無尽に飛び込んでくる。秒間十にも思える斬撃の驟雨しゅううに全力で応じるも、ガードを追い越し、皮膚や軍服にいくつもの裂傷が刻まれていく。


 想像を遥かに越えていた。速さも、重さも、殺意も。今のハルに、甘さや優しさなど一ミリも入り込む余地がない。皮膚を斬る寸前に辛うじて叩き落としている剣の全てが、意図を持っている。計算された狙い、軌道。全てが明確な、俺を殺すという意図を持つ。闇雲に振り回された剣ならこの倍速でも対応できるつもりだが。


 頬に、額に、腕に、足に、走る傷跡が少しずつ深くなっていく。順手に、逆手に、目まぐるしく剣を持ち換え、攻撃の意図が千変万化する。時に左右さえ空中で持ち替えて、予測不能の攻撃を最短最速で繋げ、繰り出してくる――まるで美しい舞を見ているようだ。


 肺が潰れるほどの苦しさであろうに、ハルの乱舞は刻々こくこくと壮絶さを増していく。こんなにすごいなつめの技は、父にだってぶつけられたことがない。


 心臓が、熱い。裂けるほど腕を振るっているからではない。ずっと無呼吸でいるからでもない。


 幸せで、たまらないからだ。俺が無意識に笑っているのを、ハルも気づいたようだった。


 毎日死ぬような思いをして殺人剣なんて極めて、俺はいったいこの平和な日本で何者になろうというのだろう――普通になれない中学生をやっていた頃の、誰も答えてくれなかった疑問。


 孤独を忘れるように剣を振るい、余計に孤独になって、無気力に生きていた俺が、初めてできた友達。外国人で、性格は正反対で、それなのに、ハルはいつも隣にいてくれた。


 それだけで、俺は十分幸せだったのに、お前は俺の唯一の取り柄に、憧れてくれた。そして今、俺の人生を、丸ごと肯定してくれた。俺から完璧に受け継いだ棗流を、その透き通った殺意と共に俺に向けて、お前は「楽しい」と、「ありがとう」と言うのだ。


「……礼を言うのは、俺の方さ」


 胸に溢れる熱い液体が全身に広がる勢いに任せ、俺は未だかつて入った覚えのない境地に踏み入った。全身が燃えるように熱く、心は幸福に溺れ、頭だけが氷の如く冴え渡っている。


「っ!?」


 本能の命ずるがままに乱打へ転じた俺の剣圧に、ハルが目を大きく見張る。加速度的にギアを上げる刀の猛攻が、二本の剣による連撃を、上回り始めた。嵐と嵐がぶつかり、俺の刀は黒い嵐となって、ハルの双剣を飲み込んでいく。


 ハルの目に、溢れんばかりの高揚が宿る。俺たち二人は互いに歯を見せて笑った。無数に重なる金属音が、俺たち以外の全てを遠ざけ、置き去りにする。渾身の力が、凝縮された技が、焦げるような殺意が、一合ごとに衝突して火花となり、俺たち二人にしか分からない言語となって脳に届く。


「……君はやっぱり、僕の憧れだよ」


 永遠に続いても構わなかった嵐は、ついにかき消えた。二刀を追い越し、俺の刀がハルの胸を貫いたとき。俺の腕のなかで、ハルはいつものハルに戻ってそう言った。



 ありがとう。俺に友を教えてくれて。

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