第11話 守られるより護りたい-3

 興奮冷めやらぬ闘技場を、ハルクは気絶したマリアを抱えて逃げるように退場口へ走った。


 白皇の術が解けても、マリアは目を覚まさなかった。体の傷や浮き出た血管は消え、穏やかな寝顔になりはしたが、精神的なものはリセットされない。マリアが気絶した原因を思い出せば、まだしばらくは気を失ったままかもしれない。


「目が覚めたとして、どんな顔して会えばいいんだよ……」


 今はむしろ気絶してくれていて助かったと言えた。とりあえず客席のカンナあたりに預けようと退場口を急ぐハルクは、行く手に立ち塞がる細長いシルエットに足を止めた。


「おォ金髪クン、準決勝お疲れさんじゃ」


 深紅の髪に黒スーツを着こなした、手足の長い糸目の青年だった。えらくなまりの強い英語。男が発する得体の知れないオーラに、警戒心が強まる。


「どちら様ですか」


「レザード、言うたら分かるかのォ。君が抱いてる嬢ちゃんの、まぁ上司みたいなもんじゃ」


 レザード!


 咄嗟に後退し目つきを鋭くしたハルクに、カカカカ、とレザードが笑う。


「そんなに怖がらんでもええ、別に取って喰おういうつもりじゃないわい。その娘は返してもらうけどの」


「マリアは渡さない!」


「見とったでぇさっきの試合、途中からじゃが。最後は傑作じゃったわ。お前マリアに惚れとるんか。本人にはいい迷惑じゃと思うがのォ」


 憫笑するレザードに、ハルクの顔が屈辱で火照ほてる。


「マリアは望んでレッドテイルに入ったんぞ? オノレの血中から煉素を煉器に流し込む、《煉血晶れんけっしょう》欲しさにワシに尻尾振ってな。お前が言うとるのはただのエゴじゃ、さっさと渡せ。お前が刀使いと一緒にウチの若いのボコした件は、それで水に流しちゃるけえ」


「ふざけるな……あんたんとこの部下は女性を襲っていたんだ! 先に手を出してきたのだって……」


「どっちが先とか証拠がないのォ。その女性ってのもウチの奴らに保護責任がある新客じゃろ? 仲良くじゃれてたのをお前が勝手に勘違いしたんじゃないんか?」


「下衆が……!」


 ユーシスを襲った件と同じだ。この男は決して一線を越えない。レッドテイルの一味にはその教育が徹底されている。だから検挙できない。ウォーカーなのに、裁けない。


「ワシは興味ないがのォ、知能が足りん猿共にはガス抜きがいるんじゃ。ワシらは別に法を犯しとるわけじゃない。まぁこの国の法律なんてガバガバじゃけどな。お前の物差しで気に入らんからって、指図するなや」


「ぐ……」


 でも、マリアは渡せない。あの力を使い続ければマリアの命はあっという間に燃え尽きてしまう。


 ハルクの心を読んだように、レザードはうんざりと続けた。


「だからァ、力を望んだのも、金稼ぐためにウチの幹部になったのも全部そいつの意思じゃ。そんなにそいつに死んで欲しくないなら、稼ぎ方変えるようにアドバイスしてやれや。そんなガキ臭い体でも、そいつとヤりたい奴はごまんとおる。なんならお前も一晩買ってやらんかい。上滑った口だけの愛の言葉なんかより、よっぽどマリアのためになるでェ?」


 屈辱と、無力感と、激怒で、こめかみの血管がぶち切れた。


「お前……ッ!」


「その舌斬るぞ、トカゲ野郎」


 退場口に響き渡った声が、怒りに震えるハルクの体を包むように落ち着かせた。


「なんじゃ、さっきの雑魚か」


 シオンだった。ハルクと挟むようにレザードの背後に、落ち着いた表情で立っている。戦意や殺気は感じられない。


「せっかく舞姫が助けてくれたっちゅーのに、わざわざ殺されにきたんか? それとも、まさかワシを殺す気でおる?」


「いや。今の俺じゃ、お前には勝てない」


 レザードは糸目を僅かに見開き、意外げにシオンを見つめた。


「けど、俺たち二人なら勝負になるぜ。すぐそこには白皇にロイド教官、カンナもいる。騒ぎ起こして損するのはそっちじゃないのか?」


「……面倒臭い餓鬼じゃのォ」


 開いた糸目から表れた深紅の瞳が、瞬間、キュッと収縮して――爬虫類を思わせる、ギラつく縦長の光彩を宿した。さながら、蜥蜴とかげや……竜の、瞳。


 爆風の如く殺気が放たれ、ハルクもシオンも同時に身構えた。肝が冷え、本能的に足がすくむ。蛇に睨まれた蛙の感覚とは、このことを言うのだと思った。


「お前ら二人ここで瞬殺すれば終わりじゃろうが」


「……やってみろよ」


 竜の目が順に、ハルクとシオンを貫く。張り詰めた緊張感をぶった切ったのは、レザード自身だった。


「やめとくわ。どうせマリアは目が覚めたら、ワシのところに帰って来るじゃろうからの」


 ほっ、と内心息を吐き、マリアを強く抱き締める。レザードはハルクに背を向け、シオンの横を素通りして去っていった。


「……ありがとうシオン、助かったよ」


「引いてくれて助かったな。決勝前にお互い怪我はしたくない」


 シオンがいつものように笑っていたので、ハルクは心から安堵した。


「さっきは……悪かったな」


 ハルクの前まで歩いてきて、腕の中のマリアに目を落とし一度微笑んでから、シオンは頭をかきながらぶっきらぼうに言った。


「イラついて、八つ当たりした。マリアに言ってたこと、客席まで聞こえたぜ。勝てない相手は、お前と二人で倒せばいい。最初から、そうだったよな」


 不覚にも目を潤ませ、ハルクは二度も三度も強くうなずいた。


「そうだよ、バカ野郎、一人で抱え込むやつばっかで嫌になるよ」


「悪かったって。二刀流、バッチリはまってたじゃん。俺の言った通りだったろ? お前には一番それが向いてんだって!」


 肘で胸を小突かれ、言葉にできないほど嬉しかった。だから、それを越えてくるのは不意打ちだった。


「強くなったな」


 視界がワントーン明るくなって、突き抜けるように解像度が上がった。世界が明らかに鮮やかになった。ハルクは苦労して唾をのみこんだ。言葉はでなかった。


「にしても、大衆の面前で愛の告白なんてやるねぇ色男サンは!」


「ちょっ!? バカ、大声で! マリア起きちゃったらどうするんだよ!?」


「ボロ小屋に住んでたときから、暇さえあれば「マリアってかわいいよね」「なんであんなにかわいいのかな」ってうるさかったもんなぁ。そういやバレンタインデーにお前からチョコ渡そうとして、結局渡せなくて俺に食わせたこともあったよなぁ」


 悲鳴を上げてマリアの小さな耳を塞ぐ。心なしかマリアの耳に顔を近づけて言いたい放題の親友と、今なら遠慮なく死闘を繰り広げられそうだった。


 マリアがその一部始終を、必死に寝たフリをしてやりすごしていたという事実を知るのは、随分先のことである。

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