第11話 守られるより護りたい-2

 お前に盾は向いてない――師事して数日、盾持ち片手剣というスタイルを選んだハルクに、師匠シオンはそう触れていた。


『お前は目がいい。修行を続けていけば、ほとんどの攻撃は回避か、剣で捌けるようになってくるはずだ。盾は重いし、視界をふさぐ。ハルの長所を潰しちまう。なんなら、二刀流なんか向いてると思うんだけどな』


 ハルクには当初、そのアドバイスが的確だとは思えなかった。目がいいと言われてもハルクはド近眼で、地球にいた頃はビン底メガネが手離せないガリ勉の風貌だったのだ。アカネに来てから視力は健康的と言えるくらいに回復したものの、シオンのように数キロ先の時計の針が読めるような、決して飛び抜けた性能ではなかった。


 僕はこれでいいよ、とハルクは苦笑いで言った。盾がないと怖かった。それに、ハルクはモンスターを倒すためではなく、シオンを守るためにウォーカーを目指すのだから、盾だけは必須だった。


 シオンは諦めきれなかったのか、二刀流もハルクへ伝授したが、使う機会はないだろうと思っていた。明確にハルクの意識が変わったのは、グレントロールとの死線を越え、目を覚ましてからだ。


 守るためには、殺さなければならない時がある。いつか来るその日のために、ハルクは熱心に、シオンから二刀の極意を学んだ――



 一つ息を吐き、迷いを身体中から締め出すと、ハルクは盾を捨てて随分身軽になった体を舞わせた。青い目が、突き刺すような眼光を放つ。


 一息に距離を詰め、剣を握った左右の腕を胸の前でクロスする。


「らぁっ!」


 両の剣をそれぞれ斜め下へ、バツ印を描く斬撃が、マリアを防御の上から押し込んだ。火花が躍る。尚も力強く踏み込み、手首を返すと、今しがたの剣の軌跡を逆再生でなぞるように斬り上げる。


「ぐっ!?」


 棗二刀流【天地あめつち】――一本の剣では防ぐのも至難の二刀技。マリアが剣での防御を諦め、後退して避けたのは正解だ。だが、二刀の極意は息もつかせぬ連続攻撃にある。


 頭の上で交差した剣からすかさず両手を離し、一瞬にして逆の剣へ持ち直す。


「【双雷ソウライ】!」


 垂直に落ちる二本の剣が、なんとか頭上に掲げたマリアの剣を叩き落とした。弾ける金属音。たたらを踏むマリアへ、ハルクは更にギアを上げる。


 右、左、右――目まぐるしく駆動する両の剣は尚も加速を続け、烈火の如くマリアへ襲いかかる。乱立する金属音は、全ての剣戟をマリアが捌いている証。


 誰にも師事せず、独力で、磨き続けてきたマリアの剣術。彼女は今全てを振り絞って、ハルクの猛攻を凌いでいた。


「ヴァジュラァッ!!」


 絶叫したマリアの胸が、目も眩む深紅の閃光を放つ。激痛を伴うのか、激しく喘ぎながら、それでもマリアは力任せに、命さえなげうつように、喉を嗄らし肥大化させたヴァジュラを薙ぎ払う。


 爆発的に膨れ上がったヴァジュラに剣をされ、ハルクの体は弾き飛ばされた。


「ォォラァッ!!!」


 もはや顔中に血管を浮かせ、え、マリアは死に物狂いで跳躍した。空中で二度も旋回し、勢いを乗せた重剣を叩き下ろす。ごうっ、と風が唸り、頭上で交差した二本の剣が、あまりの威力に悲鳴を上げる。


「ぐ……あァッ!!」


 両腕の骨が軋むのに構わず、強引に剣を左右へ斬り払い、弾き返す。マリアもまた空中で一回転し、鋭い側頭蹴り。間一髪しゃがんで回避、頭上で身の毛もよだつような風圧が薙ぐ。無防備な着地地点を狙い、ハルクはもつれる足をかき回す。


「ヴァジュラッ!!!」


 マリアの綺麗な鼻梁びりょうの下を、赤黒い筋が垂れる。下へ伸びたヴァジュラは地面に突き刺さり、マリアの着地を中断、上空へ舞わせる。


「ガァッ!!!」


 もはや、追い詰められた獣のようだった。上空で剣を巻き取ったマリアが、目を血走らせて落ちてくる。振り上げられたヴァジュラのサイズは、大剣。受け止めきれるか。


「死ねッ!!!」


 土壇場、ハルクの両腕は無意識に駆動した。学んだ技の一つ一つの理論が、ジグソーパズルのように脳内でバラバラに解体し、回り、踊り、新しく組み上がる。



「――【剣流ツルギナガシダブル】!」



 左右の剣の動きが、鏡合わせのようにシンクロする。猛然と落ちてくる大剣の土手っ腹に炸裂した双剣は、苛烈な火花を散らせ――滝の激流の如く、重剣を真横へ押し流した。


 ハルクのすぐ傍らへ突き刺さった大剣から、放り出されかけたマリアを素早く抱き留め、ごろごろ転がりながら組伏せる。丸腰となってもなお、噛みついてでも勝負を続けようと言わんばかりの形相のマリアが何かする前に、ハルクはマリアに馬乗りになって、剣を彼女の眉間に突きつけた。


「終わりだよ、マリア」


 もう、とっくに限界を越えていたのだろう。意地と、敗北への拒絶だけでもっていた気力も尽きたか、息も絶え絶えのマリアの目から戦意が失せた。地に刺さった大剣ヴァジュラは茜色の光を失い、しゅるしゅると縮んでいきついにはナイフ程度のサイズにまで小さくなって、力なく砂地に横たわった。


「……負けた、の」


「あぁ。僕の勝ちだ」


「……そう」


 マリアは、途端に憑き物が落ちたように活力を失った。胸に埋め込まれた石から広がる痛々しい痣が、今や顔全域にまで広がっている。


「私、こんなに弱いのね……」


「シオンと同じことを言うね。君たち二人はよく似てる」


 予想通り、マリアは怒った。予想外だったのは、彼女が泣いてしまったことだ。


「ふ、ふざけないでよ……アイツは私なんてあっという間に追い越していったじゃない。あんな天才と、一緒にしないで」


 マリアとシオンを、戦闘の天才として同列に扱う人間は多かった。ハルク自身、そう思っていた。


 だが、マリアとシオン、二人が戦闘の師匠となると、ハルクは途端に二人の違いを痛感した。シオンには歴史が完成させた剣術の理論と、吸収力に加えて、頭抜けた戦闘感覚を持ち合わせていた。


 一方、マリアには何もなかった。


 彼女には師も、理論も、武の才能も与えられなかった。シオンやハルクがアカネに来る、もっともっと前から、たった一人で、クソ真面目に我流で鍛えてきただけの、普通の女の子がマリアだ。


 一つだけ、彼女が持っていたシオンにも勝る才能は。力への、飽くなき、むさぼるような執着だ。それのみが、普通の女の子だった彼女を戦闘の天才と呼ばせるまでにした。


「似てるよ。誰より力を求めるところも、自分を大切にしないところも。本当はすごく優しいところも。絶対に負けたくない相手がいて、そいつに負けるのが、他の何より我慢ならないところも」


 マリアの敵は知らない。彼女は知り合ったときからずっと見えない何かと戦っていた。


「勝てない相手がいたっていいじゃないか」


 シオンに言ったことと、全く同じことを言った。マリアは唇を噛み、「いいわけないでしょ」と振り絞った。


「力がなきゃ、奪われるだけじゃない……! 何も守れず、目の前で大切な人がオモチャみたいに壊されてもそんなことが言えるの!?」


「やっぱり、辛い目に遭ってきたんじゃないか」


 ハルクはマリアの涙に濡れた目を見つめると、これまで生きてきた何時いつよりも言葉に力を込めて断言した。


「君一人で勝てない相手なら、そんなの、僕が一緒に戦うだろ」


 マリアは、潤んだ目を見開いた。


「それでも勝てなきゃ、三人で勝てばいい。マリアの敵は、僕とシオンが一緒に倒してやる」


 マリアの目に、ありありと葛藤の色が浮かぶ。これでも折れてくれないなんて、一体この少女は、その小さな体に、どれだけのものを抱え込んでいるのだろう。


「もう、殺して……この戦いを終わらせてよ。それで、私のことは、放っておいてよ……!」


「嫌だ。君のことは斬れない。降参してくれ」


「はぁ……なんでよ……!? 私が女だから!? 小さいから!? 弱いから……!?」


 伝え続けてきたつもりだったことが、まるで伝わっていないことにいきどおって、冷静さが頭から飛んでいった。そんなの、と、ハルクは耳が熱くなるのに構わず叫んだ。


「君のことが好きだからに、決まってるだろ!」


 マリアの目が真ん丸になる。昔のマリアの顔に戻った。それだけで、涙が出るほど嬉しい。


「あ、相変わらず呆れた厚顔ね……。そういう紛らわしい言い方いい加減やめて、「友達として」とかちゃんと補足しないと、いつか誰かに刺されるわよ……」


「あぁ、クソ鈍感な君にも分かるように言い直す! 君のことが、女の子として、好きだ!」


 今度こそ、マリアの顔が見たことのないものになった。


「ランク戦の初陣で、初めて君と戦ったとき、なんて心の強い人なんだろうって思った! 試合が終わったあと、言ってくれたよね。僕のこと守ってくれるって。嬉しかったんだ。それから仲良くなって、毎日、一緒にいられて幸せだったんだよ」


 マリアの顔が、下から上へ、真っ赤に染まる。この距離で見て、改めて思う。なんて可愛い女の子なんだろう。


「でも、やっぱり、守られるより護りたい。だからもっと頼ってよ。僕の命は、ずっと前から君のものだ」


 リーフィアが嬌声きょうせいを上げてぶっ倒れたのを皮切りに、客席が闘技場とは思えないたぐいの歓声で溢れた。口笛が鳴り響き、女性陣は様々な種類の悲鳴を上げる。面白くなさそうに悪態を吐くのは、レッドテイルの一団だ。


 マリアは絶句して客席をぶんぶん見回し、またハルクの顔を見つめると、火が出るのではと言うほど顔を赤らめ、ふわっと意識を失ってしまった。


「えっ、マリア!?」


『クハハハハ! ハルク! この大会でそんな相手の倒し方したやつは、歴史上初めてだぞ!』


 解説席から、ロイドがケラケラ笑いながら身を乗り出す。その瞬間、ハルクは無我夢中になるあまり、自分がなんと大胆で恥ずかしいことをしでかしたのか思い知った。


『まぁ、つーわけで、勝者ハルク・アルフォード!』


 人の気も知らないで楽しそうなロイドの雄叫びで客席が勝手に盛り上がるなか、ハルクはひとり頭を抱えた。

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