第11話 守られるより護りたい-1

 天災に見舞われたような光景だった。


 観客席の前に壁のようにそそり立つ、茜色の紋様が脈打つ巨大な分銅ふんどうにも似た鋼の塊。今や面影もなくなったマリアの剣、《ヴァジュラ》である。その先端には確かに、唯一そのままの形を残した剣の柄が生えており、それを握ったマリアが、円柱形の頂点に立っている。


 するするする、と音を立てて、ヴァジュラはゆっくりと縮小していった。それにつれ、おぞましい威力で押し潰された闘技場の成れの果てが日のもとに晒される。大地は無数の亀裂を走らせ、ふちギリギリから全てが不自然に数十センチも陥没して、粉砕された小石や砂の欠片が流れ落ちる。


 ヴァジュラが大剣の形へ戻り、地に足をつけたマリアは、不審そうな顔で荒れた大地を見渡した。潰したはずのハルクの姿が、どこにもないことが不可解そうに。


 その時、きゃぁっ、と、客席の一角から小さく黄色い悲鳴が飛んだ。


 客席の西側最前列で観戦していた若い女子たちの上げた声である。そのうちの一人に、青い鎧に金髪の少年が抱きつくような格好で突っ込んでいた。


「ごめんね、いきなり飛び込んで。怪我はなかった?」


 体を起こし、心から申し訳ないという表情で少女たちを覗き込むハルクに、女子たちは顔を真っ赤にして色めき立つ。


「ぜ、ぜんぜん!」


 ハルクの体は現在白皇の術【夢泡ネイブ】によって実体を失っている。よくよく見ると、ハルクの腕は少女の体をすり抜けて座席に触れていた。


「よかった。じゃあいってきます。応援してね」


 にこりと微笑むハルクに、少女たちは一様にうっとりと目を輝かせた。


 客席から飛び降り、戦場へ舞い戻ったハルクを、マリアは冷ややかな目で一瞥した。


「立派な逃げ足ね」


「場外なんてルールはなかったから」


「客席ごと潰しとくんだったわ」


 確かに白皇の術によって実体をもたないマリアの攻撃は、客席を巻き込んでも観客を潰すことはない。それでも、足場が崩落すれば一般人は軽い怪我ではすまなかっただろう。マリアはそんなことをしない確信があったから、ハルクは迷わず客席へ避難したのだった。


「随分……苦しそうじゃないか」


 今の彼女を見てそんな言葉をかける人間が、ハルク以外にいただろうか。表向き、マリアは自然体で立っている。ハルクだけが彼女の消耗を看破していた。顔色、呼吸、どれもが僅かに平常と違う。


「絶好調よ」


 涼しい顔で髪をかきあげたマリアの胴鎧が、ピシリ、と亀裂を走らせた。先ほどの攻撃の反動だろうか。胸を覆うプレートが割れ、カランと地に落ちる。


 ハルクは、彼女が鎧に隠していたモノを見て、絶句した。


 白い素肌が露出したマリアの胸元。未成熟な少女の体。その胸骨の中心部、丁度心臓のあるあたりの位置に、何やら禍々しい――"宝石"のようなものが、埋め込まれている。


 真っ赤に燃えるように光る、五センチほどの宝石だ。純度の高いルビーよりももっと鮮やかで、生き物のように瞬いている。


 石の埋め込まれた周辺の肌には、大量の血管が亀裂のように浮き出て、それが首筋まで走っている。ところどころ内出血で赤黒く腫れ上がり、美しい肌は見る影もない。


「それ……なんだよマリア」


「関係ないでしょ」


 関係ないわけがない。ハルクの血の気が引いていく。その石は見目こそ美しいが、強烈に嫌な感じがした。強引に肌を引き裂いて、二度と抜けぬよう深々と埋め込んだようなあとが、あまりに痛々しく見てとれる。


 マリアが苦しんでいるのは、間違いなくあの石のせいだ。


「今すぐお医者さんに行って、取り除いてもらわなきゃ……」


「関係ないって言ってるでしょ!?」


 仮面が外れた。もうそんな余裕もないのか、凶暴に怒鳴り、目を血走らせたマリアの顔にまで、太い血管が病的に広がって肌を赤黒く染めていく。


「私の体がどうなろうが、あんたになんの関係があるの!? 私は望んで受け入れたの! レッドテイルに近づいたのも、私の望むものが手っ取り早く手に入るから! あんたたちと仲良しごっこやってたら何年かかってたか分からない力を――こんな、風にッ!!!」


 瞳孔を開き、ヴァジュラの剣先を銃口のようにハルクへ向けたマリアの胸元で、深紅の石が養分に歓喜するように強烈な光を放った。


 弾丸じみた速度で、ヴァジュラの刀身が射出された。矢の如く細く伸びる剣先を咄嗟に盾で受け止めたハルクの体が、予想以上の衝撃に仰け反る。


「ぐ……!?」


 剣先は尚も伸び続け、列車の如くハルクを押し込む。砂地を削る両足を踏ん張り、必死に押し返すもびくともせず、あっという間に闘技場の壁が背後に迫る。


「く、そっ!」


 盾を傾け、強引に薙ぎ払う。間一髪、壁に叩きつけられる前に剣先の軌道をらすことに成功。剣先はハルクの肩スレスレを掠め、深々と石壁に突き刺さった。


 息を吐くのも束の間。ギュルルルル……――高速で歯車を回すような音にハッと前を向いた時、数十メートル離れたはずのマリアがゼロ距離で足を振り上げていた。


「らぁッ!」


 横っ飛びに転がる。直後小さな靴裏が、ハルクの顔のあった場所を轟音響かせ踏み潰した。背後の石壁に、刺さった剣と並んでマリアの足がめり込む。


 マリアが力任せに抜いたヴァジュラは、いつの間にか片手剣の長さに戻っていた。ヴァジュラを急速に縮めながら地面を蹴って、一息に接近したのか。


 さっきの大技に加えて、煉器の効力を無制限とばかりに乱発してくる。ナチュラルでさえ消耗するはずの頻度だ。


「攻めてる、君の方が……苦しそうじゃないか……」


 指摘通り、とうとうマリアは肩で息をしていた。胸から広がる鬱血したようなあざはつい先より随分広がり、浮き出た血管が顔半分まで侵食している。誰がどう見ても、力の代償だった。


 ハルクは唐突に思い出した。ユーシスたちナチュラルは、大気中の煉素を周囲からあらかた使ってしまうと、自身の体から煉素を抽出して術に繋げると聞いたことがある。消耗は大きいが、より純度の高く、また体に"馴染んだ"煉素であることから、少ない量で大きな術を行使でき、中にはその方法でのみ具現できる強力な煉術もあるのだとか。


 アカネに生き、アカネの物を食していれば、煉素は自然と血肉になる。それは地球人も例外ではない。むしろ、地球人の方がこの世界で身体能力や自然回復力を大きく高めることから、体内に溜め込んでいる煉素の質と量そのものは、地球人の方が秀でているのではないかとする研究者もある。


 残念なことに、どれだけ蓄えていようと地球人は煉素を操ることができない。だが――もし、"体内の煉素を強制的に煉器に流す"道具があれば。


 地球人でも煉器の力を連発できる。際限なく、身を削るのと引き換えに。


「その石が……君に力を与えた」


「そうよ。ありがたいことにね」


「命を削る力だぞ!」


「だから、なに」


 ハルクは、自分の言葉があまりに的外れであったことを恥じた。


 マリアは力を求めていた。その執着を、知っていたはずだ。それなのに、彼女がレッドテイルに身を寄せた真意を、はかってやることができなかった。


 ハルクは苦悩した。戦いを続けるぶんだけマリアは自分を痛めつけてしまう。


 ユーシスとの戦いは、心が踊った。彼の目にはハルクが映っていたから。だがマリアは違う。彼女は、別の何かと戦っている。多分、出会ったときからずっと。


 戦いたくない。こんな戦い、楽しくもなんともない。ただでさえ、彼女にだけは、二度と剣を向けたくなかったのに。


「……は?」


 失望した声を吐いたのは、マリアだけではない。


 ハルクは、うつむき、右手の剣を、腰の鞘に納めてしまった。


「お……おいおい、マジかよ」「とんだ腰抜けだな!」「つまんねーウォーカーがいたもんだ。辞めちまえ!」レッドテイルの一団から、いの一番に罵声が飛び、今回ばかりはそれに眉を潜める群衆もなかった。


「あんた……なんにも変わってないのね。偽善者、反吐へどが出る」


 その目に困惑と失意、軽蔑の色を滲ませ、マリアはヴァジュラを振り上げた。まるで首を差し出すようにうつむくハルクめがけ、ひらりと跳躍する。


「死ね」


 マリアと群衆は、共に、疑問に思うべきだったかもしれない。


 剣を納めたハルクが、まだ左手の盾を手離していないことに。


 禍々しい刃が脳天を叩き割る寸前、ハルクの盾がするりと間に割って入った。


「【反射リフレクション】」


 煉器、発動。茜色に閃くハルクの盾が、ヴァジュラと接触するなり目も眩む閃光を放った。マリアの顔が、驚愕に歪む。


「ぐっ!?」


 白皇の【 夢幻の泡沫ネイブ・フォーム】が解けると、どんな傷も、死さえ、術をかける前の状態にリセットされる。壊れた鎧も、剣の刃こぼれも。


 ならばユーシス戦で使用した一日に一度しか使えない【反射リフレクション】も、未使用の状態に戻っているはずだ。ハルクの推測は当たった。


 マリアの斬撃は、そっくりそのまま握った剣に跳ね返った。磁石の斥力せきりょくを受けたように剣を弾かれ、反動で大きく仰け反る。ハルクはここで、顔を上げた。決意に見開かれた青い目が、マリアを射抜く。


「ぉぉぉぉぉッ!!」


 強く踏み込み、空いた右手を盾の裏側に、さながら居合斬りの構えのように忍ばせると、次の瞬間、ハルクは"盾から剣を引き抜いた"。


「なっ――」


 突如現れた白銀の刃が、目一杯空中で身をよじったマリアの頬に浅い切り傷を引いた。不格好に着地し、素早く立ち上がったマリアはたまらず距離をとる。


「盾の裏に……そんなもの隠してたの」


 マリアの見立て通り、《ロックシェルター》の裏側には、垂直に鞣革なめしがわの"鞘"がくくりつけてある。そこにハルクは第二の剣を納めていた。腰に二本提げるより、盾の裏はよほど邪魔にならないスペースである。


 ハルクは盾をその場に捨てた。随分身軽になった左手で、腰の鞘から先ほど納めた剣を引き抜く。


 灰色の鉄剣と、白銀の剣が、ハルクの胸の前で一度交差され、くるりと弧を描く。


 二刀流、と誰かがわめいた。


「弱虫のあんたが、盾を捨てて二刀流? 似合わないわよ」


 仕方ないだろ。この盾で守りたかった人が、盾の向こうにいるんだから。


「決着をつけよう、マリア」

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