第10話 騎士VS戦姫-1


 カンナから事情を聞き、ハルクが駆けつけた病室のベッドには、ユーシスが青白い顔で眠っていた。清潔な白い壁に囲まれた病室の天井には一本の輸血パックから吊るされ、そこからチューブを通して、ユーシスに血を送っている。


 ハルクは、茫然と立ち尽くした。


「そんな……ユーシス……」


 ハルクは、ついさっきまでユーシスとカノンと三人で出店を回っていた。庶民の祭りに物珍しげなユーシスを、ハルクは得意になって連れ回した。コトハは、初めて生で見た煉術によほど興味を引かれたのか、ハルクを通訳にしてユーシスを質問責めにしていた。


 意外なことに、ユーシスは彼にしては随分と誠実に受け答えしていた。「地球人には使えぬ力だ」と前置きした上で、煉素のこと、それと対話し森羅万象を引き起こすのが煉術であることを、少ない口数でレクチャーしたのだ。かつての決闘直後、シオンが同じように煉術のことを尋ねた際に「教える義理はない」と一蹴していたことを思い出せば、ユーシスもかなり丸くなったと言える。もしくは女の子に弱いのか。


 三十分ほど屋台を楽しんで、三人は一度、机と椅子の並んだレストスペースに腰を落ち着かせた。このとき、彼らを二人きりにしてみたい、といういたずら心もあいまって、ハルクは買い出し役をかって出た。


 ほんの数分だった。ハルクが帰ったとき、二人の姿はなかった。


「ごめん、ユーシス……僕が離れていなければ」


「お前がいたって、必要なベッドがひとつ増えただけだよ」


 その声でハルクは初めて、ベッドの向こうに、壁に背を預けて座り込んでいる友の姿に気づいた。


「シオン! カンナさんに聞いたよ、君が一番に駆けつけて、病院まで運んでくれたって。ユーシスと、妹さんもいたのに……ごめん。目を離して本当にごめんよ」


 シオンは、答えなかった。ただ茫然と虚空を見つめている。彼の身体から漏れる暴力的な殺気に気づいて、ハルクは思わず息を呑んだ。


 ハルクが二人から離れたことを、怒っている……わけではなさそうだ。彼の意識は今、ハルクにはない。


「……ところで、コトハちゃんは?」


「隣の病室だ。骨にヒビが入っちゃいるが、本人はピンピンしてる」


「彼女にまで……誰がこんな酷いことを」


 言って、ハルクは気づいた。シオンの白い首に鬱血したようなあざがついていることを。彼もまた、ユーシスとコトハを攻撃した何者かと交戦したのだと悟った。


「相手は誰だったの!? 知っている人!?」


「レザード。そう名乗ってた」


「それって、まさか」


 以前ひと悶着あった、レッドテイルの下っ端の口から出た名前だ。口ぶりからして、レッドテイルのリーダー。つまり、マリアの上司。


「……ッ、僕、ギルドに報告してくるよ! ウォーカーが同業者、ましてや一般人のコトハちゃんまで襲うなんて、許されることじゃない! 必ず処分が下りるはず!」


「やめろ」


 低く制され、ハルクは飛び出しかけた足を止めた。


「現場は人通りのない路地で、目撃者がいない。今ギルドにチクったところで証拠がない。ユーシスが目覚めてくれなきゃ、向こうは都合のいいように証言できちまう。それに……相手は武器すら抜かなかった。対してコトハは木刀で殴りかかってる。下手すりゃコトハの方が」


 言葉を切り、苛立たしげに息を吐くシオンに、ハルクは言葉を失った。


 武器を、抜いていない? それでは、ハルクの知る限り最強の二人であるユーシスとシオンは、二人揃って丸腰の相手に敗れたと言うのか?


 そんな馬鹿な話があるか。シオンが負けるはずがない。シオンが誰かに戦いで敗れるなど、ハルクには想像できない。バルサとの一回戦、あれほどの相性の悪さで苦戦を強いられた戦いであっても、上で観戦していたハルクは、ついに一瞬たりとも友の勝利を疑わなかった。


「……俺は、クソ弱え」


 爪が深く肉に食い込むほど握った拳から、ぬらりと血を滴らせ、シオンは震える声を絞り出した。


 そんなことは絶対にない。君は強いと、すんでのところまで出かかった言葉が喉に引っつく。そんな言葉など、今の彼には届かない。そう感じるほど、シオンの目は虚ろで、危うい光を灯していた。


「あのときの……グレントロールをぶち殺した、あのときの力さえあれば」


 何か目に見えないものを必死で探すように、食い入るように両手の平を見つめる親友に、ハルクは胸騒ぎを覚えた。


「シオン。君は強いよ。それに、勝てない相手がいたっていいじゃないか」


 ギロリ、と光のない目が下からハルクを射貫く。


「いいわけないだろ……俺は妹一人さえ守れなかったんだぞ!? のこのこ駆けつけておいて手も足も出ず、挙げ句一番守りたい人に助けられて、なんでこんなやつがウォーカーやってんだよ!!!」


 友の心は荒んで、ささくれ立っていた。ハルクには分かる。シオンが見ているのは遥か高みだ。同期の中で一番になったところで些事でしかない。この新人大会も、シオンにとってはカンナという果てしない目標へ到達するための通過点に過ぎない。


「……上ばっか見てていいの」


「は?」と訝しそうにシオンがハルクを見上げる。


「上には上がいるのは当たり前じゃん。へこむのは分かるけど、いちいち腐ってちゃ足元すくわれるよ」


「誰にだよ」


「僕に」


 平然と言ってのけて、ハルクは真っ直ぐ友を見返した。さっきあなどるようなことを言ってきたことにも、ついでを言えば腹が立っていたのだ。シオンは黒い目を見開いた。


「君に「戦いたい」って言われて、嬉しかったよ。今朝は恐れ多かったけど、今なら心から言える」


 ユーシスと戦って、ハルクは戦いの新しい面を発見した。傷つき傷つけるのだけが戦いではない。お互いを、尊敬し合っているからこそ、全力で殺しにいける。


 仕留めたと確信した攻撃を弾かれたときの高揚、相手の思惑を看破したときの快感、肺が潰れるほどの死闘の果てに、勝利をもぎ取った瞬間の――あの、感謝にも似た感情。


 これがシオンの見ていた景色。彼の背中が隠していた景色を、ようやく肩を並べて一緒に見られる。あの瞬間、そう思ったのだ。


 だから、こんな不遜なことだって、今なら堂々と言える。


「シオンと、戦いたい」


 シオンは不意を打たれたように固まった。こんなこと、昨日までなら逆立ちしたって言えなかった。


「マリアを倒して僕は必ず決勝にいく。そして、シオン、君に勝つ。だから上じゃなくて僕を見ろよ。僕を殺すために、万全の準備をしろよ。そうでなきゃ越え甲斐がいがない」


 新人大会午後の部まで時間がない。ユーシスのことは気がかりだったが、ハルクは背を向けて病室をあとにした。


 マリアにも、これでいよいよ負けられなくなった。マリアに勝ち、シオンにも勝たねばならないとは、我ながらとんでもないことになったとハルクは嘆息する。


 シオンが常々言っていた意味がよく分かった。強くなければ、何も勝ち取れない。二人の友を救うため、ハルクは三人で笑った日々を思い出してから、心の刃をゆっくりと研ぎ始めた。

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