第5話 世界最強の男-1

 白いマントを靡かせて、白皇が壇上から飛び降りた。その所作は白鳥が舞うような美しさで、着地の際に砂ぼこりの一つも立たない。


「やぁ、ナツメ君。久しぶり」


 ニコッと微笑み近づいてくる白皇に、警戒心が顔に出ないよう気をつけながら気持ち程度頭を下げる。


「……どもっす」


「うおおおおおおっ、ハクオー! 本物じゃん! かっけェー! しれェー!」


 目を子どものように輝かせてバルサが身を乗り出す。声が大きい。


 白皇は闘技場全域に響くような美声で朗々と語り始めた。


「今から君たちに《魔法》をかける。悪いようにはしないから、ゆだねてくれるかい?」


「魔法ォ? 煉術じゃなくてか?」


「僕はナチュラルじゃないからね、煉術は使えないよ。僕のそれを奇跡と呼ぶ人もいるけど、そんな大袈裟なものじゃないから。君たちに伝わりやすく、魔法って言ったんだ」


 さらりと言い放つ白皇に、客席もどよめきを増していく。その一角に座ったハルやユーシスたちも、固唾を飲んでこちらを見守っていた。


「じゃあ、いくよ」と告げて、白皇が両手をそれぞれ俺たちに向かってかざした。その滑らかな手に、みるみる純白の光が帯びる。


「っ!?」


「【夢泡ネイブ】」


 次の瞬間、俺とバルサを、目も開けられないほどの白い閃光が包み込んだ。すぐに光がおさまると……俺の体は、何か得体の知れないモノに覆われていた。


 形容するなら、淡い光の膜を張った、白いシャボン玉。泡のような球体が俺の体を密閉しているのだ。隣のバルサも全く同じ状況で、目を白黒させながらあちこちに視線を彷徨さまよわせている。


『おおっとぉぉぉ!? シオン選手とバルサ選手の体を、白い光の泡が包み込んでおります!』


 動揺していられたのも束の間、半径一メートルほどはあったシャボン玉が、突然みるみる縮んでいくではないか。


「ぎゃあぁぁぁ、迫ってくるぅぅぅぅ!?」


 やかましい悲鳴を上げて目をギュッとつむるバルサ。俺は反射的に居合でシャボンを内側から斬ろうとしたが、「委ねろ」という白皇の言葉を思い出し、刀の柄から手を離す。


 やがてシャボンは中の空気を抜かれたみたいに、俺の体に隙間なく密着すると、微かな白い光のオーラを残して、体に溶け込むようにして消えてしまった。


「あ、あれっ、消えた!? どうなった!?」


「君たちが存分に戦えるように、仕掛けをしただけだよ。実演して見せるのが一番だね」


 白皇は俺の方を見ると、あっけらかんと言った。


「ナツメ君、その刀で僕を斬ってみてよ」


 どよどよっ、と群衆が震撼する。その言葉に俺自身、強く動揺しながらも、まだ残り火のように薄く光っている自分の手のひらに目を落とし、頷いた。


「責任はとりませんよ」


 スラリと刀を引き抜いた俺に、折り重なる女の悲鳴と金切り声。


「いやいや、やめとけってハクオーさん。てか、無抵抗の相手斬るなんてこいつも……」


 俺の刃は、この男に届かない。何か確信めいたものを振り切るように、白皇の首を横一文字にぶった斬った。白皇は身じろぎ一つせず、それを受け入れた。


躊躇ためらいなく首ィ!?」


 仰天するバルサの絶叫、観衆の悲鳴や怒声さえ、黙殺された。白皇が、何食わぬ顔で片手を上げたからだ。


「……すり抜けた」


「すり抜けたァ?」


 刀を見つめて呆然と呟く俺に、バルサが眉を寄せる。白皇は微笑をたたえたまま、頷いた。


「今、君たちと、君たちが身につけていた装備の実体はこの世界にはない。ちょうど紙を重ね合わせたように隣接した、隣の空間に飛んでいる。僕たちや観客の皆さんが見ている君たちの姿は虚像――そうだな、実体のない幽霊だと思ってくれたら分かりやすい」


「は……はいィ……?」


 意味が分からなすぎて泡を吹きかけているバルサと、俺も正直心境は似たようなものだ。頭を使うのは、もっぱらハルの仕事である。


「何度やってもすり抜ける……幽霊ってのはあながち大袈裟じゃないみたいっすね」


「うん、分かってくれたら、そろそろ僕の体を繰り返し滅多斬りにするのやめようか」


 言われて俺は、白皇の体から刀を抜き、妙な夢でも見ているような気分で垂直に構えた。黒い刃にそっと親指を添えると――スパッ、と皮膚の表面が切れ、薄く赤い血が滲む。白皇の体はすり抜けるが、俺の体には刃が通るらしい。


「今の君たちの体は、僕の魔法を受けていないモノには干渉できない。どれだけ派手に暴れまわっても、観客が怪我をする心配はないから安心して。逆に、魔法を受けている君たち同士は、きちんとダメージを与え合うことができる」


「おおおお、なんかわかんねーけどすげえ!」


「……でも、俺とバルサって今同じ空間に実体があるんですよね? その状態で殺し合ったら、普通に怪我するし最悪死ぬんじゃ?」


「あ、それなら大丈夫」


 次の瞬間。


 何が起きたかも分からぬ間に、俺の首は、空へ飛んだ。




「――……ぇ」


 くるくる回る視界が捉えたのは、白銀の長剣を振り払った格好で、首だけとなった俺をにっこり見上げる白皇の姿。剣を抜くのも、斬るのも、その際に漏れる気配の一片すらも、何一つ察知できなかった。意識が遠退く。死ぬ、いや、もう、死んだのか――




 パァンッ、とシャボンの弾ける音で、夢から醒める。



 気づいたときには、俺は剣を振り抜いた白皇の前で、尻もちをついたようにしてへたりこんでいた。何が起きたか分からず左右を見渡し、思い出したように首筋に触れる。首は、きちんと胴体にくっついていた。痛みも、斬られた痕すら見つからない。


「君の体は、魔法をかける直前の状態で保存されるんだ。隣空間は夢幻ゆめまぼろしの世界だとでも思えばいい。たとえ死んだって、このように生き返るから安心しておくれ」


 コロシアムがどよめきの渦に包まれるなか、まるで神か仏のように笑う、この男に鳥肌が立った。

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