第1話 冒険者シオン-3

 ウォーカーとして働くようになってから、俺は街区を西に少し外れた静かな土地に家を借りた。ギルドの仲介で契約した、木造の小さな一軒家だ。そこにハルと二人で暮らしている。


「おかえりー……って、その子は?」


 帰宅するなり、キッチンに立っていたエプロン姿のハルが目を丸くした。また、ベリーのジャムでも作っていたらしい。その目は、俺が大事に背中でおぶっている少女に向けられている。


「あー、その、お前なら信じてくれるよな。……俺の妹だ」


 ハルは硬直して数秒ぽかんと口を開けていたが、やがて犯罪者を見るような目で俺を見つめた。


「知らなかった……そんな趣味があったんだ」


「マジなんだって! ほら、見ろよこの顔!」


 依然穏やかに眠りこけている妹の顔を、俺に言われてハルはまじまじと見つめた。


「確かに、似てるけど……」


「一年ぶん大人になっちゃいるが、間違いなく妹なんだよ。この浴衣も寝巻きでよく着てたやつだ」


 とりあえず家に上がって、妹を俺のベッドに寝かせた。そういえばコトハは昔から、一度寝たら滅多なことでは起きないやつで、「剣士の自覚がない」と父親によく小言を言われていたっけ。


「信じられない……本当に君の妹なのかい? 二年連続で兄妹がこの世界に来る確率は、七千の二乗分の一だよ」


「とにかく、すごい確率なんだな」


「分かってないだろ」


「分かってるよ。今俺とハルがこうして一緒にいる確率と、同じぐらいだろ?」


 ハルは目を見開いて考え込んだ。


「そ、そうなるか……いや、でもそれとこれとは……はぁ、君といるとたまに、難しく考えるのが馬鹿馬鹿しくなるよ」


 どんな低い確率だって構わない。ここで眠っているのは間違いなく俺の妹だ。地球にいたころ、妹は唯一の心の支えだった。コトハと再会できた。その事実だけで、十分だ。


「……無作為じゃないとしたら」


 ハルはぼそりと、そんなことを言ったが、俺にはよく意味が分からなかった。


「そういえば、あの子はどうした? ほら、金髪の」


「あぁ、レンちゃんなら、あのあとギルドに連れていったよ。マーズさんがよくしてくれて、少しは落ち着いたと思う」


 今日は八月の四日。地球から一万人の新客がやって来る瞬間は、毎年きっかり、この日の午後四時五十三分と決まっている。俺たちウォーカーは、この日限りは全ての業務より優先して、新客の保護、救助に奔走する。


 保護した新客はギルドに連れ帰り、非戦闘職員や手の空いたウォーカーが介抱、及び状況の説明を試みる。落ち着いて話を聞ける者は一割にも満たないから、根気のいる仕事だ。ハルは俺と別れてから、そっちの仕事を手伝ってくれていたらしい。


 マーズやハルのように、怯えきった人間の警戒心を解けるほどの包容力の持ち主が心を尽くしても、新客の自殺率は低くない。新客はニュービータウンの空き部屋をあてがわれ、そこでアカネでの眠れない初夜を過ごすことになる。俺たちが去年まで住んでいたあの部屋も、次の誰かが使うことになるのだろう。


「あんな女の子が一人であそこで暮らすのか……かわいそうだな」


「シオンが引き取ってあげたら? 君にすごく懐いてたし、妹さんも友達ができて喜ぶよ」


 冗談に決まっているだろうが、ハルはしれっととんでもないことを言う。


「なに考えてんだよ……カンナかマリアか、マーズさんか、誰かに頼んでみようと思う。ただ、妹は少しの間ここにいさせてもらってもいいか? 落ち着いたら、一緒に出ていくからさ」


「えぇ? 別に僕のことなんか気にしないでずっといなよ、この家だって二人で借りたんだし。妹さんは僕のベッド使えばいいよ。僕、床で寝るから」


「ダメだ、お前みたいなイケメンとずっと一つ屋根のしたなんて、妹の教育に悪い」


「おいおい、なにもしないってば。確かに綺麗な子だけど、親友の妹に手を出すわけないだろ」


「いいやダメです! お兄ちゃんは認めません!」


「そんなキャラだったっけ?」


「ーー……あの」


 ぎゃあぎゃあ言い争っていた俺たちは、その声にピタリと止まった。見れば、ベッドの上で妹が、コトハが体を起こしている。


「ここは、どこですか」


 落ち着き払った声で、俺たちにそう問いかける。声も、このどんな時でも冷静な感じも、俺の知るコトハだ。目頭が熱くなるのを感じながら身を乗し出した。


「コトハ! 気がついたのか! ここはな、その、説明が難しいんだけど……」


 コトハは、俺が接近したぶんだけベッドの上を後ずさりした。その黒曜石のような瞳が、俺を見つめて、強い警戒心に揺れる。彼女が刀を持っていれば、喉元に突きつけられていそうなほどの敵意に、俺は言葉を飲み込んだ。


「……誰ですか、あなたは。なぜ、私の名前を」


 知らない人を睨むようなその目が、俺の胸を刃のように貫いた。俺は言葉を失って、立ち尽くした。


「……えーっと、シオン。僕も一緒に行ってあげるから、自首しにいこう?」


 隣でハルが、誘拐犯を見るような目で俺を見つめてきた。

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