第1話 冒険者シオン-2

 枝伝いに巡回すること数分。俺の感覚が、強い獣の気配を察知した。太い木を蹴って跳ねとび、方向転換。地面に着地すると、モンスターの気配めがけて一直線に疾駆する。


 襲いかかってくるように迫る無数の木々の間をすり抜け、視界が開けたところで、俺とそいつは邂逅かいこうした。


 苔色の毛にむくれた、ゴリラのようなシルエット。ホブゴブリンが子供に見えるほどの巨体だ。黒い強膜に深紅の目玉が、顔面に三つ。ギョロリと出鱈目に動いて俺を時間差で捉えるなり、フゴ、と呻いた。そいつはまさに、食事をしようとしていたところらしく--倒れこむ人間の上に、馬乗りになっていた。


「よォ……久しぶりだな」


 三つ目の悪魔、《ゴルダルム》。一年前、俺を襲ったモンスターと全く同じ種だ。個体数が少なく、レアな部類に属しているはずだが……同じ日、同じ場所で再び遭遇するとは。何かの因果を感じてならない。


 あの時は、カンナの攻撃で瀕死のところにトドメを刺した。丁度いい。俺があの日のカンナに追いついているか、確かめるにはうってつけの相手だ。


 棗流高速歩行術【火走ひばしり】。名の如く、靴裏から火の出るような急加速で、十メートル強の距離を瞬く間にゼロにする。


 通常、人間が最高速度に達するまでには五十メートル以上の助走が必要だが、【火走】は二歩目からそこに到達すると言われているーーが、もちろん大げさである。数百年の歴史を誇る剣術流派の奥義なんて、まぁこれくらい無茶苦茶に誇張されているものが珍しくない。


 ところがこの世界で爆増した脚力をもってすれば、本当にそれくらいの加速が実現できてしまう。懐に潜り込むや否や、刀のつばを親指でパチンと弾き、抜刀一閃。


 ゴルダルムは、その巨体から信じられないほど素早い身のこなしでバネのごとく跳躍し、俺の居合斬りを飛び越えた。逃がすか。踏み込んだ方の足に渾身の力を込めて大地を蹴り、巨体を追って空中へ。


『フゴァァッ!!』


 ゴルダルムは待ち構えていた。そのおぞましい三つ目をひん剥いて、筋骨隆々の腕を鎌の如く振り上げる。接近する俺を打ち返すタイミングで放たれた、ラリアットだ。


「【ピンボール】」


 俺の意志に呼応して、俺のシューズが眩く茜色に発光した。この靴は《煉器》ーー「煉術を覚えた」武具だ。


 この靴に組み込まれた【ピンボール】という煉術によって、俺は片足につき一発ぶん、何もない空中を蹴って跳躍することができる。煉器が周囲の煉素を蓄えて再び使用可能な状態になるには、五分ほどのインターバルが必要だ。


 左、右と交互に蹴って空中を「く」の字に移動した俺は、ゴルダルムの豪腕をかい潜って背後をとった。刀を構え直し、振りかぶる。


 お前の弱点は、覚えているぞ。


 無防備なうなじに渾身の一撃を叩きつけた。堅く太い血管が見事に切れた手応えが伝わるや否や、間欠泉のような勢いで紫色の血飛沫が噴き上がった。


 受け身もとらず地に落下したゴルダルムの背に遅れて着地すると、素早く首の急所を刀でもう一突きした。貫通して地面にまで突き刺さった刃によって、間違いなくゴルダルムは絶命した。


「ふぃ……今日はハードだな、分かっちゃいたけど」


 血を手拭いで拭き取ってから刀を鞘に納め、俺はゴルダルムにのしかかられていた人間のもとへ素早く舞い戻った。


 長い長い黒髪の、浴衣姿の少女だった。浴衣と言っても、無地の黒色の、寝巻きのような浴衣だ。取り立てて外傷もなく、安らかな寝息を立てていた。髪で隠れて顔が見えにくいが、日本人だろうか。それなら、俺がそうだったように、この世界に召喚されるときは丁度ぐっすり眠っている時間帯だ。


「よかった……生きてた」


 それにしても、美しい髪だ。この世界で黒髪はずいぶん珍しいから、俺はついこの少女にかつての家族を重ねてしまった。夜空のように艶やかな、からす羽色ばいろ。そっと指で、顔にかかった髪をよけてやる。


「…………………………え」


 心臓が止まったかと思った。


 あらわになった、綺麗な白い素顔。鏡写しのように、俺に似ている。動揺をおさえきれず、口を手で覆う。


「こ…………言葉ことは……?」


 俺が助けたのは、一年ぶりに再会する、穏やかに眠る妹だった。

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