第1話 冒険者シオン-1
鮮やかな赤色の木々に囲まれた獣道を、友人のハルと、今しがた保護したばかりの少女と三人で歩いていると、奇妙な感覚になった。
俺がこの世界に迷いこんだのが、丁度一年前の今日である。その事実に、懐かしさと、少し愉快さの混じった気分が去来する。あの日、モンスターを前に嘔吐し、悲鳴さえあげられなかった俺は、今や同じ境遇の人間を助けてやれる側にいる。
改めて、隣をとぼとぼ歩く少女を
俺がウォーカーになって、はじめて助けた新客。相手に特別な思い入れを持ってしまうのは、何も助けられた側だけじゃないようだ。カンナが俺の世話を焼いてくれた理由が、何となく分かる。
この不安と恐怖で消耗しきった哀れな少女に、まずはこの世界の美味いものをご馳走してやりたい。純粋にそんな気持ちになってしまう。
「災難だったね、レンちゃん。よりによって召喚されたのがこの樹海だなんて。ねぇ」
ハルが同意を求めるようにこちらを見た。もともと顔の整ったやつではあったが、この数ヵ月で少し背を伸ばしやがって、今じゃ十人が十人振り替える美男子になってしまった。青い騎士鎧に白薔薇のマントを包んだ姿は、どこぞの王子だと言われても疑えない。
「そうだなぁ、この辺りは捜索に来れるウォーカーが絞られるから……俺たちはあの一件の実績で許可されたけど。たまたま、俺たちが間に合ってよかったよ」
レンはずっとうつむいたまま、俺の軍服の袖を掴んで黙っている。自分の足で歩けるだけでも大したものだ。
しばらく歩き、俺たちは真っ赤に燃える樹海を抜けた。目の前に広がったのは、反り立つ五十メートルの崖。その頂点から太いワイヤーが一本、ピンと張られて伸びていて、それに繋がれた一隻の“
これが、“血だまりの樹海”とルミエール王国を行き来する手段、“
崖の頂点に滑車が設置され、そこからワイヤーで舟が二隻、吊り下げられている。二隻の舟は普段、重たい石を大量に
「乗って」
手を貸しながらレンを舟に載せると、俺とハルは協力して、舟に積まれた石をどんどん外へ放り投げていく。俺達三人の体重ぶんを捨てたぐらいで、舟が僅かに浮き上がりかけてきた。ここからは慎重に捨てる量を調節していかなければ、花火みたいに上空へ打ち上げられる羽目になる。
やがて、軽くなった舟は、エレベーターのように真上へ吊り上げられ始めた。レンは小さく悲鳴を上げて舟の中心に逃げ込んでから、おずおずと
徐々に上空へ吊り上がっていく舟からは、血だまりの樹海が一望できた。火の海のようなその光景に、レンは息を呑む。俺とハルはその様子が可笑しくて、互いに目配せして笑った。
崖を丁度半分登ったところで、頂上の舟とすれ違う。中にはこちらも、大量の石。あらかじめ両方の舟を石でいっぱいにしておくことで、装備や体格などにもよるが、最大で一度に十人程度の冒険者を輸送できる。原始的なエレベーターだ。
一分足らずで頂上に到着。滑車が振り切れた瞬間はかなり揺れるので、レンが誤って落ちないよう、肩を抱いて支えた。
到着時の衝撃はおさまったものの、宙ぶらりんの舟は
最初にハルが向こう岸へ跳び移った。蹴った反動で舟が激しく揺れ、レンは悲鳴を上げてへたりこみ、俺の足にしがみつく。
「おっ、すんなりいけるようになったな? 最初にこの滑車使ったとき、お前降りられなくて三十分は舟の中だったじゃん」
「ちょっと、それ秘密のやつだって。シオンも鎧着てやってみるといいよ、めちゃくちゃ怖いんだから」
ねずみ返しの崖っぷちと宙に浮いた舟の間は、どうしても五十センチほどの距離が空く。ウォーカーならさすがに問題なく跳び移れるが、高さが高さだ。普通の女の子には酷である。俺は少しばかりの抵抗を覚えながらも、「悪い、少し我慢してくれ」と断って、レンの華奢な体をひょいと抱き抱えた。
「ひぇっ!?」
「絶対離さないから、大丈夫。君も離すなよ」
こんな発想に至ったのは、カンナが同じようにしてくれたからだ。固く頷いてぎゅっと俺の服を強く握り、なにも見まいと顔を体にうずめたレンをしっかりとお姫様抱っこして、俺はふわりと飛び上がった。
しっかりした土の大地に着地すると、やはり俺でも安心する。レンを離してそこに座らせてやって、落ち着かせる。「もう大丈夫だ。ここからは怖いバケモノも殆んどでないから」と言うと、青いのか赤いのか分からない顔色のレンが、少しだけ表情を和らげた。
「いやぁ、シオン、見直したよ。ちゃんと女の子に優しくできるんだ」
「どういう意味だよ……」
俺はレンを立たせると、その背を軽く押して、国へと向かう並木道の先にいるハルの方へ歩かせた。レンはすがるような目を俺に向けた。
「あの色男についていきな。安全なところに連れていってくれるよ。この世界のこと……わからないことの色々は、酒場の綺麗なお姉さんが、きっとよくしてくれるから」
レンは幼さの残る美貌を泣く寸前にまで歪めた。ハルが気遣わしげに苦笑する。
「シオンは帰らないの? この子、すごく君になついてるよ」
「俺の足なら、まだまだ助けられる命があるはずだろ。この近辺を走り回ってみるから、一人で大丈夫だ」
「うん、分かった。じゃあいこうか、レンちゃん」
ハルに手を引かれ、レンは「あっ」と俺の方へ身を乗り出した。赤褐色の丸い瞳が、俺の顔を決して忘れまいとするように、切実に俺を見つめる。
「あっ、あの…………また、会えますか……?」
一年前の俺も、彼女と同じような顔をしていたのだろうか。そして、一年前のカンナも、今の俺と同じような--胸にふと、一欠片の涼やかな風が吹き抜けた。
「うん。仕事を終えたら、会いに行くよ。だから、えーっと……そのときには、できれば笑った顔を見せてほしい」
彼女が、間違っても自ら命を絶ってしまわないように。俺は慎重に言葉を選んだ。一年前の俺は、そんなカンナの優しさに、すっかり勘違いさせられたらしい。
レンは見て分かるほど顔を赤らめて目を伏せると、小さく何度もうなずいた。ハルによろしく伝えてから、俺は二人に手を振って、木の深く生い茂った方へ身を踊らせた。
(……せっかく今夜は、久しぶりに会えるってのに)
木から木へ猿のように跳び移りながら、どこかで同じように新客の救助に奔走しているカンナの顔を思い浮かべて、重いため息を吐き出した。
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