第20話 帰還-2
*
温かい。
揺られていた。誰かの、背中の上だ。鮮やかな赤毛が俺の顔をくすぐる。
「気がついたか」
気品高い横顔がこちらを向く。気絶した俺を背負ってくれていたのは、ユーシスだった。溺れた後みたいに、記憶が
なんだか、赤色の海に溺れていたような気がする。燃えるような樹海。赤い毛並みのバケモノ。炎。飛び散る鮮血。閃光。断片的に蘇る記憶のすべてに、鮮烈な赤がある。
見上げた空は、赤かった。しかし、周りの木々は青く、俺の心をずいぶん落ち着かせた。ハッ、と、全てをようやく思い出した。
「ハルは!?」
「おう、ここにいる。心配すんな」
隣で豪快な声がして、俺はそこで初めて、すぐ横に巨漢が並んで歩いていたことに気づいた。
「ろ、ロイド教官……」
にかっと笑ったその顔が、ずいぶん懐かしくて、まなじりが緩んだ。ロイドが背負っている金髪の少年の、寝息を立てる穏やかな顔を見て、俺はいよいよ耐えられなくなって、ユーシスの服に顔を埋めて泣いた。
「ハル……よかった……お前、生きて……」
「よく頑張ったな、シオン。お前らは俺の誇りだよ。すぐに助けに来てやれなくて、本当にすまなかった」
俺は顔を伏せたまま首を横に振った。あんな場所に落ちて、助けなんて望めなかった。誰があんなところまで、助けに来てくれるというのか。誰も気づいてくれないと思っていた。ロイドは、来てくれたのだ。
「ついたぞ、シオン」
顔を上げた俺の目に、遠く、妖しい
門の前に立っていたいくつかの人影が、俺たちに気づいて一斉に駆けてきた。ユーシスは俺をおろし、横から体を支えてくれた。先頭を走ってきた栗毛の少女は、俺とハルの姿を見るなり大きな瞳を潤ませて、勢いよく体当たりしてきた。
「ぐふっ!?」
飛びついてきたあまりに小さな体は、俺のみぞおちあたりに顔をうずめるなり大声で泣いた。普段よりずいぶん幼い、初めて聞く声にびっくりしながらも、安心して、俺まで泣けてきた。
「ただいま……マリア」
「……………ばかぁ」
マリアはやっとそれだけ絞り出して、自分の泣き顔は意地でも見られたくないのか、
遅れて駆けつけてきたのは、ユーシスといつも行動を共にしていた赤毛の二人組。まだ学生のはずだが、ユーシスが一人卒業した今も、付き合いは続いていたようだ。心配そうに、やや遠慮がちにユーシスを見つめる二人に、ユーシスは「なんだ、その間抜けな顔は」と仏頂面で言い放った。
平常運転に安心したのか、笑顔になる二人に対し、ユーシスは明後日の方向を見ながら、小さく早口で「心配かけた」と呟いた。
最後に、一人の女性が、緋色の髪を振り乱し、息も絶え絶えに俺たちの前にたどり着いた。俺は彼女の姿に目を見張った。
俺にこの世界のことを教えてくれた、大切な人。相変わらず目の覚めるような美女で、でも今は、ミステリアスな雰囲気なんて欠片もない。
「あ……マーズさん、その……俺」
咄嗟に言葉の出ない俺に対して、マーズは形のいい両目にたっぷり涙をためて、母親みたいな顔で、マリアの上から俺に抱きついた。
優しく、温かく、強い力で抱きしめられて、誰かにこんな風にされたこと、あったっけって思った。頭の上に大きなロイドの手のひらが落ちてきて、ぐしゃぐしゃに撫でられ、俺はその場に立っているのがやっとになった。ぽうっと心に去来した温水のような感情。ほんの些細な、唯一の願いが、報われたことを実感した。
あぁ……俺、生きて帰れたんだ。
***
ユーシスたちとは、ニュービータウンの入り口で別れた。別れ際、背を向けたユーシスは唐突に「アルフォードの目が覚めたら」と言い出した。
「たら……なんだよ」
「ギルドの受付から俺宛に連絡を寄越せ。口約束とて、レッドバーン家の
なんのことやら、最初はさっぱり分からなかったが。そういえば、武器を作るのに付き合ってもらう約束をしていたのだった。俺は吹き出して、頷いた。
「あぁ、楽しみにしてるよ」
ユーシスは背を向けたままこたえず、取り巻き二人を従えて、キザに片手を上げて去っていった。白薔薇のマントを背負った後ろ姿は、やはり大きく見えた。
ロイド、マーズ、マリアは、俺とハルを家まで送ってくれた。六畳程度の空間に五人が入ると大変窮屈だったが、部屋がこんなに賑やかになったのは初めてで、無性に心が安らいだ。寝床に寝かせたハルの横に、マリアはつきっきりでいてくれた。
「まぁ、キッチン綺麗に使ってるのねぇ〜!」
我が家の、非常に狭いながらも整頓されたキッチンを見て、マーズはなにやら感激していた。そのへんは全部ハルが管理していたから、俺は曖昧に笑ってごまかした。
マーズは俺とハルのために、水や食材を調達してきて
ロイドは確か二年前まで現役のウォーカーだった。ギルドの受付嬢であるマーズとは古い付き合いなのかもしれない。
ハルは結局目を覚まさなくて、食事は全て俺が食べることになってしまったが、とても温かく、沁みるような味で、あっという間に完食してしまった。
やがて夜になり、三人も帰ってしまった。途端に静かになった部屋で、俺はなんとなく寂しくて、眠るハルの顔を傍らから眺めていた。
思わぬ来訪者があったのは、その時だ。
ドアをノックされて、俺は不審に思いながらも応じて部屋のドアを開けた。そこに立っていた人物を目の当たりにして、俺は数秒、石のように固まった。
「こんばんは。久しぶり、シオン君」
あまりに可憐な笑顔で俺の前に現れたのは、俺の記憶より十ヶ月分大人になった、カンナだった。
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