第20話 帰還-3

 カンナをこんな狭くて汚い部屋に上げるわけにはいかない。全く働かない頭でどうにかそれだけ思い至った俺は、カンナを押し戻すようにして外に出た。長屋の外は真っ暗で、虫のさざめきが穏やかにニュービータウンを包んでいた。


 微妙に距離をあけて隣にいるカンナを横目に覗き見ながら、夢を見ているのだろうか、と思った。白い騎士風の装束を纏った華奢な体は、俺の記憶よりもっと、すらりと長くなっていて、体つきもなんか、女性らしくなったし、滑らかなチョコレート色の髪も、少し伸びただろうか。


 横顔を見つめていると、ぱっと目が合った。不思議そうに開いた目に見つめられて、星が散るような衝撃を受けた。たった一年足らず合わないだけで、女の子って、こんなに綺麗になるのか。


「ごめんね、突然押しかけて」


「いや……ぜんぜん、大丈夫」


 全く大丈夫じゃない。以前どんな風にカンナと喋っていたか皆目思い出せない。カンナはそんなのお構いなしに自然体で、なんだか腹が立ってきた。


「シオン君、背伸びたね。私の方が伸びたけど」


「う、うるせえ」


 カンナとの身長差は、以前は同じくらいだったはずだが、今では数センチ先を越されている。余計に腹が立ってきた。悪戯っぽく笑いながら、カンナは俺の顔をまじまじと見つめる。


「でも、見違えた。かっこよくなったねぇシオン君。男子三日会わざればって言うけど」


「だあっ、何の用だよ!? そんなこと言いにきたのか!?」


 カンナは目を丸くして、唸る俺の顔を覗き込んだ。


「いや、そうじゃなくて、久しぶりに会ったらびっくりしただけで……」


「俺の方がびっくりしたよ! 十ヶ月だぞ! 結局一度も会いに来てくれなかったじゃねえか! 服屋に連れてってくれるとか、学校の話聞かせて欲しいとか、言ったくせに……」


 そこまで衝動的に叫んで、俺はハッと我に返った。俺は一体なにを言っているのだ。カンナに訪ねてきてもらえて、なにに腹を立てるのかと思えば、ただ拗ねていただけとは。情けなすぎる。


 カンナはしばらく目をパチクリさせていたが、なにやら嬉しそうに唇を結んだ。俺に向かって両手を合わせる。


「ごめん、ごめん! 冒険者階級ウォーカーランクが上がってものすごく仕事が増えてたのもあるけど……あのね、本当は何度か会いに行こうとしたんだよ。けどさ、あんな口約束、本気にしてるの私だけだったらすっごい恥ずかしいやつじゃんって思ったら……」


 分かるでしょ、と上目遣いに同意を求めてくる。


「マーズさんには絶対大丈夫だから会いに行けって何度も言われたけど……今日だって、ちょっと勇気出したんだから」


「そ、そうか。カンナでもそんなこと考えるんだな」


 俺の一番の弱点は間違いなくこの女だ。あんなにやさぐれていた気持ちが、化かされたみたいに消えてしまった。


「さっき遠征任務から帰ってきたばかりなの。シオン君が、下の樹海に落ちて死にかけたってマーズさんから聞いて……それで、どうしても無事な姿が見たくて会いにきたんだよ」


 カンナは労わるような顔になった。それで完全装備だったのか。俺は正直、嬉しくて胸がいっぱいだった。


「この通り……俺は大丈夫だよ。ウォーカーの採用試験は、受け直しだろうけどな」


「そっか。じゃあ、ちょっと気が早かったかもしれないけど……」


 カンナはそこで、何やら長屋の入り口に立てかけてあった、細長い木箱を持ってきた。


 美しい、桐箱きりばこだ。縦十五センチ、横一メートル二十センチくらいの、大きな箱。俺はすぐに、その中身に見当がついた。こればかりは育ちの悪さだ。瞬間、のどから手が取るほど、その箱の中身を見たくて仕方がなくなった。


「それ……」


「卒業祝いのつもりだったの。私、シオン君のランク戦は何度か見に行ってたんだよ。この調子だとすぐに卒業しちゃうなぁって、急いで準備したんだから」


 手渡され、夢見心地で俺はそれを受け取った。失っていた半身が戻ってきたような感覚になって、俺は呼吸も忘れて、箱の蓋をずらした。


 柔らかい茜色の布地にくるまれた、漆黒の日本刀。


 漆塗りの鞘の輝きも、完成された曲線も、この世のものとは思えないほど美しい。これは、俺がずっとこの世界で探していたものだ。あるはずがないと思っていた。


 声もなく感激する俺に満足げな表情で、カンナは笑っていた。


「対モンスター用の太刀たちだよ。扱いが難しすぎて、使い手が全くいないの。でも……シオン君なら、と思って」


「ぬ……抜いてもいい?」


「どうぞ!」


 箱を置いて刀を手に取ると、恐ろしく馴染んだ。目の高さに掲げ、僅か抜き身にすると、鯉口こいぐちの上を刃が滑って、チャキンと綺麗な音が鳴った。


 美しい直刃すぐはは、夜空のように深い黒色だった。黒い、刀。こんなの見たことがない。俺にかかれば、刃を一目見ればどれだけ鍛えられた刀か分かる。この刀一振りで、間違いなく鉄のハンドソードが百本は買える。


「こんなに素晴らしいものを、俺に……?」


「もちろん。私も、同じようにもらったから。今でも宝物。それにね、シオン君がウォーカー目指すって言ってくれた時、ホントにホントに嬉しかったの。ウォーカーになってよかったって」


 腰の剣に手を当てて笑うカンナは、満足げだった。


「シオン君も、二ヶ月後に来る新客を、その刀でたくさん助けて。その来年も、またその来年も。そしていつか、シオン君に憧れてウォーカーを目指す子が現れたら、最高だなぁ」


 俺は、刀を大事に桐箱に納めて抱きかかえ、カンナに深く礼を言った。改めて痛感する。命を救われたウォーカーの存在は、彼女の中でとてつもなく大きいようだ。


「俺、カンナの師匠に会ってみたいな。例の助けてくれた人。その人にも、お礼を言わなきゃだろ」


「ほんと! 実はね、ちょうどこの国に帰ってきてるの! シオン君のこと紹介したい!」


「今夜は、友達がまだ気を失ったままだから。また近いうちに誘ってくれよ」


「あっ、そうだったんだ……分かった、じゃあまた会いに来ます! わーい、ハク兄ちゃんとシオン君、きっと仲良くなれるよ!」


 今にも飛び跳ねそうなほど嬉しそうなカンナを見て、俺がそのハク兄ちゃんとやらを好きになることはないだろうなと思ったのだった。

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