第14話 VSディポタス-2
串に刺したディポタスの肉が、焚き火の炎に炙られて脂を落とす。肉の焼ける香ばしい香りと音が、密林に漂い、空っぽの胃を強烈に刺激した。
「あー、いってぇ……」
「全く、信じられない。あんな無茶するなんて……腕が千切れなかったの奇跡だぞ」
だらんと下がった俺の左腕を見て、ハルは不機嫌そうに言った。キツく巻かれた止血帯は血で滲み、身じろぎするたび痺れるような痛みが襲う。ディポタスにトドメを刺した後、ハルは水筒の水で俺の傷口を洗い、素早く止血帯で応急処置をしてくれた。以前は血を見るだけで貧血になっていたのに、随分たくましくなったものだ。
「ハルの言う通り、ディポタス三頭は無茶な相手だったな。情けねえ。最後、結局お前に助けられちゃったなぁ」
ハルがトドメを刺したディポタスを、いざ解体しようとして、俺は目を見張ったものだった。喉元の急所を一突き。熟練の狩人の
ハルはディポタスを狩ることに反対だった。俺は、その理由はディポタスの怖さを知っていたからだけではないと思っている。
ディポタスが無印--人間を襲わない、共存可能なモンスターだから、きっとハルは殺したくなかったのだ。
「僕なんて、ただ引っくり返った無防備な相手にトドメを刺しただけじゃないか」
「いや、たとえ小動物だって、一撃で命を奪おうと思ったら難しいもんなんだぜ。ハルは伸びるぞ」
「そうかな……あの時はただ、なるべくディポタスが苦しまないように、痛くないようにって」
あの局面でそんなことを。俺は呆れ返ってしまった。今朝ゴブリンとの戦いでハルが動けなくなったのは、ひょっとすると、恐怖じゃなく。
「なるべく苦しまないように殺してやることは、無駄なく、的確に急所を貫くってことだ。ハルはもしかしたら、俺なんか目じゃないくらいの狩人になるかもな」
「そんなこと……買いかぶりすぎだよ」
ハルはうつむいたが、顔の端がほんのり赤くなっていた。
「それにしても、泥まみれで気持ちわりぃ! 早く水浴びしてーなぁ」
「我慢だよ。あの水場まで、この量の肉抱えて移動はできないだろ。放置して別のモンスターに食われでもしたら、その左腕が泣くぞ」
「そりゃそうだけど、パンツまでグチョグチョなんだぜ」
「自業自得」
手厳しい。舌鋒を封じられ、俺はしぶしぶ肉の世話に精を出すことにした。
ディポタスの身体は脂身ばかりで、腹なんかは焼くとほとんど溶けてしまいそうなほどだったが、背中は肉質も上等で食えそうだった。牛で言えばリブロースと呼ばれる部位である。
先ほど、持参していたナイフで三頭分のディポタスの背から肉を切り出し、枝を削って作った串に刺して焚き火に固定した。それから、ディポタスの腹を深く
殺した動物を捌くのは初めてではないが、もちろん気分のいいものではない。けれど、こんな作業をハルにやらせるわけにはいかないし、ハルには随分借りを作ってしまっている。何より、ちゃんと捌いてやらないと、何のために殺したのか分からなくなってしまうと思った。
ディポタスの腹に半ば顔を突っ込むようにして俺が取り出した赤黒い物体に、ハルもさすがに顔を真っ青にして、「そ、それも食べるの……?」と震えていた。俺に言わせればココを食べずに捨てるなんてバチが当たるというものだ。
動物の肉の中で最も栄養価の高い部位。狼やライオンなんかは、仕留めた獲物の肉を分配する際、この部位だけは必ずボスに譲ると言われている。
肝臓--即ち、レバーである。
リブロースとレバーを刺した串を、くるくる回して焦げないようにバランスよく焼いていくことしばらく、ぼちぼち食べごろになってきた。
「うぉぉぉ……」
焚き火の周りに突き刺して固定していた串の一本を抜き取って、目前に掲げるなり、腹から思わず声が出た。ごっそり切り出した肉の塊を、焚き火の強い炎で豪快に焼いた極太の串肉は、脂身の強い表面がパリッと焼けてぷすぷす泡立ち、ホカホカの蒸気と一緒に、なんとも
「よし、食えハル。ちゃんと中まで火ぃ通ってるか確認しろよ」
手渡した串をハルはおずおずと受け取ったものの、険しい顔でそれを見つめ、ごくりと生唾を飲み込んだ。俺はそれで、気がついた。
うっかりしていた。ハルはこの世界の肉が食べられないのだ。
初めて会った日から、ハルが肉や魚を食ったところを見たことがない。料理は好きで、俺に作ってくれる分には肉料理も魚料理も絶品なのだが、自分は一度も箸をつけなかった。
モンスターの肉は、胃が受け付けない。気持ち悪い。ある日打ち明けてくれたのは正直な気持ちだった。
ウォーカーを目指すようになってから、体を作るために食事量は増やしたが、食べるのは穀物や野菜など、人が育てたものばかり。
思えば、俺は随分能天気に初日からステーキを食っていたが、普通の感覚だと見知らぬ動物の肉なんて抵抗があるに決まっている。
「悪いハル、お前の気持ち考えずにディポタスに手を出したりして。無理するなよ、俺が全部食うよ」
奪い取ろうとした串を、ハルは引っ込めた。強張った顔で、手元の巨大な肉塊を見つめる。
「だ……大丈夫。食べるつもりで僕も賛同したんだ。それに、そのつもりで、殺した」
ハルは意を決したように顔を引きしめると、「いただきます」と呟き、大口を開けて肉に歯を突き立てた。嚙みちぎり、目を閉じて咀嚼する口が一瞬止まる。細くため息をついたハルの目から、綺麗な雫が滴り落ちた。
「……美味しい」
俺は、これほど命に敬意を払った食事を初めて見た。ハルに
パリパリの皮を噛み切ると、柔らかい肉から肉汁がブワッと溢れ出し、口の中を満たした。空腹は最大の調味料と言うが、それでなくとも命を懸けて手に入れた肉は、この世の何よりも美味く感じた。
戦いで失ったたくさんの血が、新しく造られていく。全身の細胞が食事に歓喜し、血肉がより強く造り変えられていく感覚が、鮮明に肌で感じられる。千切れかけた左腕さえ、即刻完治しそうな勢いだ。俺とハルは会話も忘れて食事に没頭した。
リブロースも十分食肉足りうる味だったが、レバーは絶品だった。硬さも臭みもなく、口に入れた瞬間とろけて消える柔らかさ。貧血っぽかった頭がたちまちシャキッとして、全身に活力が漲る。やはり肉は偉大だ。
あっという間に完食。元気を取り戻した俺たちは残りの仕事に取り掛かった。まずはディポタスから素材を剥ぎ取っていく。爪を剥ぎ、牙を抜き、硬化能力を持つ皮膚を剥ぎ取るのも忘れない。これらはいい武具の材料になるはずだ。
言うは易し。とんでもない重労働だ。
モンスターの体から素材を剥ぎ取るのは、授業で数回実習を受けたのを除けば初めてのこと。ノウハウを記憶しているハルの理論と、刃物の扱いに慣れた俺の実践力を組み合わせてどうにか作業を終える頃には、小一時間が経過していた。
血の通った生き物の爪や
「よし、終わり。引き上げよう」
取れる素材を残したままディポタスの亡骸を置き去りに帰るのは、お互いにしたくなかった。たっぷり採取したディポタスの素材は、それぞれの採取袋にしまった。血の匂いがつきにくく、水で簡単に洗える特殊な加工を施した、丈夫な麻袋だ。それを
「ふふ、ようやく水浴びできるね」
「あぁ、マジな話、パンツが泥でカピカピになって俺の--」
くだらないことを言いかけていた俺の口が、凍りついた。
俺の方を振り返って笑うハルの背後に、この世のものとは思えない殺気の塊が
全力でハルに掴みかかり、体を入れ替えるようにして後方に投げ飛ばす。無事な右手一本で腰の剣を抜き、間一髪頭上に掲げた
「あぐ……ッ!?」
脳が揺れる。ガードを弾き落とされた俺の
悲鳴も出ない。両腕が痺れ、剣に亀裂が走る。受け止め切れなかった衝撃が貫通して内臓まで
「し--シオンッ!!」
切った頭から赤い血が流れ出て、額を伝い、目に入る。どうにか、悲鳴を上げて駆けつけてきたハルに向かって全力で「逃げろ」とハンドサインした。
ぬかるみを踏みしめる、重い足音が近づいてくる。あまりに巨大な、人型のシルエット。体長は目測、実に三.五メートル。対峙しただけで戦意を根こそぎ奪われる体格差。全身を紅蓮の毛並みで覆っている。類人猿。細身なシルエットはゴリラというより、異常にデカいチンパンジーと言う方が近い。
そいつを奇形たらしめているのは腕だった。腕が足より長いばかりか、関節が二本ある。その右腕には、人類の抗戦の結晶である、対モンスター用大剣が握られていた。肩にはもう一本、同じ規格の大剣を背負っている。あれは……ここで死んだウォーカーの、愛剣だったに違いない。
真円形の、光る不気味な紅い目が、俺を見下ろし、目が合った瞬間。突き出た口元が裂けるほど開いて三日月型に吊りあがった。
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