第14話 VSディポタス-1
『ディポタスの特性は《硬化》。あの分厚い脂肪は、戦闘態勢に入ると石のような硬さになるんだ』
ハルの解説を
裂帛の気合と共に振り下ろした剣は、ディポタスの鼻っ面に激突し--硬質の金属音と火花を散らしてはじき返された。舌を打ち、空中で身を翻して水場に着地する。
沼の深さは二十センチほど。あっという間に靴が泥水を吸って、グチョグチョに。ズボンの中にまで泥が入ってくる。水の下の土はスライムのように柔らかく、予想以上に足を取られる。
気づけばもう、大きな鼻の穴から白い呼気を噴出し、牙を剥いて唸る二頭のディポタスに取り囲まれていた。冷や汗がこめかみから頬を伝うも、俺は勝気に笑ってみせた。
喧嘩を売ったのは俺の方。今更ビビってどうする。
ワニのように顎を開いて飛び込んできたディポタスの動きは、想像の何倍も機敏だった。沼から足を力任せに引っこ抜き、横っ跳びに回避。空を切った顎がガチンと音を鳴らす。水しぶきを上げて着水し、泥まみれになりながら起き上がる俺に、もう一頭がすかさず突っ込んでくる。
力いっぱい迎撃。鉄のように硬化したディポタスの鼻面と剣が激突し、火花を散らして拮抗する。
--重い……ッ!
どうにか受け止めきり、強引に押し返したが、あまりの重さに腕が痺れる。難しい足場に加えてこの速さと重さ。時間はかけていられない。
俺は足を止め、剣を中段に構えた。狙うのは一瞬の隙。ブモォォォッ、と低く咆哮し、ディポタスが俺めがけて飛び込んでくる。
俺の十倍はあろう体重に、硬度は岩石。まともに受ければひとたまりもない。--だが、ディポタスにも弱点はある。
俺は突進に向かって正面から突っ込むと、身を精一杯屈めて、跳躍するディポタスの真下に上体を滑り込ませた。
まさに、間一髪。硬化した巨体の突進が髪の毛の先を掠めて真上を通過する。さすがに肝を冷やしながら、沼にダイブするスレスレの低さを飛ぶ体を目一杯よじる。
回転の勢いを乗せた右手の剣が、頭上を通り過ぎる途中のディポタスの腹に突き刺さった。柔らかい、確かな手応え。相手の突進の勢いを利用して逆方向に思い切り剣を振り抜くと、肥えたディポタスの腹は紙袋に刃を入れたように裂けた。悲痛な断末魔。溢れ出る血液が水面を赤く染める。
--二頭目!
ディポタスの弱点は、腹部だ。全身を隙間なく石のように硬くしていては、身動きが取れない。そのため、ディポタスの皮膚にはいくつか、柔らかいままになっている部分が存在する。
各関節の裏側と、腹部。柔らかい腹の肉がバネのように伸び縮みすることで、硬い装甲と素早い突進が両立できている--ハルの情報は、正しかった。
ディポタスと場所を入れ替えるようにして、俺は背中から沼に着水した。斬り倒したディポタスが沼へ飛び込み、泥水を派手に跳ね上げるを一瞥するや、素早く起き上がりもう一頭の挙動を伺う。
そいつはまさに、俺に向かって大口を開いて飛びかかってくるところだった。視界を覆い尽くすほどに巨大な口が、ぱっくりハサミのように開いて目前に肉迫する。
俺は怯むことなく、剣を握った右手を、突っ込んでくるディポタスに向かって真っ向から突き出した。
俺の突き出した右手はディポタスの顎に挟まれて、すっぽり飲み込まれてしまった。
「……悪いな。俺はまだまだ弱いから、優しい殺し方もできねぇ」
俺の右腕に食いついたまま生き絶えているディポタスの顔を見ながら、小さく呟いた。
腹部と並ぶ、ディポタスのもう一つの弱点は--口の中。体の内部までは、ディポタスも硬化させることができない。
少しでも
「シオン!」
ハルの叫びで我にかえるも、わずかに遅く。
振り返った俺の視界いっぱいに、巨大なカバの口が広がっていた。
しまった、さっきの奴がまだ生きて--
「がぁぁぁッ!!」
咄嗟に体を庇って差し出した左腕に、腹から血を流すのにも構わず飛びかかってきたディポタスの
重機で力任せに引き千切られるような痛みが腕の付け根に走り、たまらず絶叫する。慌てて剣を手放し、右手を死骸から引き抜いた俺の体を、激昂したディポタスは沼に引きずり込んで振り回した。何度も顔が水没し、鼻や口から大量に泥水を吸い込む。
苦しい。何も見えない。この時点で、俺はパニックに襲われた。
水面の向こうを求めてガムシャラに抵抗するも、あまりに強い力で無茶苦茶に振り回され、どちらが上か下かも分からない。あの温厚な草食獣の姿は影も形もなく、今俺を襲っている獣は、どんな肉食獣よりも獰猛で凶暴だった。
「う……うわぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
半狂乱の叫び声と共に、バシャバシャ水の跳ねる音が聞こえた。茂みから飛び出してきたハルが、ディポタスにうちかかったのだ。剣はあっさりディポタスの装甲に弾かれたに違いない。しかし、ほんの一瞬、ディポタスが俺を押さえつける力が緩んだ。
機を逃さず沼から顔を出した俺は、激しく喘ぎながら立ち上がり、左腕を噛み潰しているディポタスの顎の間に右手を差し込んで、どうにか腕を抜こうともがいた。だが、噛む力があまりに強く、右腕に渾身の力を込めても上顎はピクリとも持ち上がらない。
ミシリ、ミシリと左腕が悲鳴を上げ、その筆舌に尽くしがたい痛みが脳を麻痺させる。ディポタスの目は本気だった。このまま、俺の腕を食いちぎるつもりのようだ。片腕を失う瞬間を想像して、サッと血の気が引く。
「シオン! 無理に引き抜いたらダメだ、腕が千切れるぞ!」
再びディポタスの背に打ちかかったハルの剣が、容易く弾き返される。このまま食いちぎられるぐらいなら--
「あああああ……ッ!!!」
ディポタスの口の中で、ぐっと左拳を握る。まだ動く。有りっ丈の力をその拳に漲らせる。ドバドバ溢れるアドレナリンが脳を駆け巡り、痛みを刹那、忘れさせた。
「--あああああああああああああああッ!!!!!」
ふわり、と、ディポタスの四肢が地面から離れた。
左腕に食らいついて離れないディポタスの巨体が、持ち上がる。血走っていたディポタスの両目が、狼狽えたようにぱちぱち
口の中に広がる血の味を飲み込んで、喉が焼き切れんばかりに叫びながら、俺はディポタスを思い切り叩きつけた。
天高く水柱が上がり、大地が揺れた。背中から着弾したディポタスは
「ハル……トドメを……!」
無防備に腹を晒して伸びているディポタスを呆然と見下ろしていたハルが、ギクリと固まる。
「やれ!」
ディポタスがダウンから目覚めた。目に光を戻し、首を振って起き上がろうともがく。その瞬間、何かに突きうごされるように叫んでハルは剣を振り上げた。昨日、自分の手を貫いて見せた時の姿と重なる。
目を一度閉じかけて、それから真円に近いほど見開いたハルは、渾身の力を込めて剣を振り下ろした。唸る刃が、ディポタスの柔らかい喉元を貫通。血飛沫が噴き上げ、気迫で歪んだハルの顔を汚す。
全身を一瞬、ビクリと痙攣させたディポタスの目から、光が消え失せるその瞬間を、ハルは息を切らせながら見下ろしていた。
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