第13話 最強のコンビ-3

 燃えるような密林の中を、息を潜めながら二人で歩いた。


 岩の天蓋が上空を覆い、明かりは僅かばかり漏れ入ってくる茜色の光だけ。ほとんど夜のような暗さである。それでも、草木は闇に浮き上がるほど鮮烈に赤く、不気味だった。


「ここは確か、《血溜まりの樹海》と呼ばれる場所だ。教官たちの話題に出ていたのを聞いた気がする。危険な場所には違いないけど、ウォーカーたちの探索範囲内だったはずだよ。煉素の濃い場所、つまり危険な場所ほど、いい素材が取れるってメリットはあるわけだから」


 素材とは、フィールドに自生する植物や虫、鉱石、そしてモンスターの爪や毛皮などを総称したウォーカー用語だ。


 危険なフィールドほど、煉素の働きを強く受けて素材は鍛えられている。そんな素材を使って造られた鎧や魔道具、武器は、より優秀な性能を誇る。そうして装備を整えて、強くなっていきながら、ウォーカーたちは探索範囲を広げていく。


 俺もハルも、せっかくこんな危険な場所に放り込まれたからには、せめて少しでもレアな素材を持ち帰りたいところだった。


「ふむ、ここはウォーカーたちも訪れる場所なのか……てことは」


「うん。必ずあるはずだよ。ルミエールとこの谷底を行き来する手段が。ただ今回は、あえてそれは探さないけどね」


 夫婦石を頼りに助けが来る方に賭けて潜伏する方針には、俺も賛成だ。俺たちの拠点がナワバリの狭間にあるなら尚更、動き回るより生存確率は高まる。


 密林を進むごとに、本能が警戒心を強くする。先ほどまでとは明らかに違う空気感。俺たち以外のなにものかが、存在している気配だ。耳を澄ませば、生き物の息遣いが微かに聞こえてくるようだった。


 更に姿勢を低くし、茂みに身を隠しながら進むこと数分。いよいよ動物の気配が濃くなってきた。びちゃびちゃ水を跳ねるような音。重い肉の塊が歩き、ときに走り、ぶつかり合う音。ブモォォ、という、牛や豚を思わせる鳴き声。--近い。


 俺は後ろをついてきていたハルを手で制すると、茂みから、慎重に顔の半分だけを出した。


 そこに広がる光景を見て、俺たち二人は同時に息を呑んだ。


 十メートルほど離れた場所に、密林の真っ只中にぽっかりと、大きな水たまりが広がっていた。泥水の沼だ。そこに、重量級のシルエットが三頭、体をこすり合わせたり水場を転がったりして戯れている。


 厚い脂肪に覆われた、ブヨブヨした褐色の皮膚。丸々太った胴体に短い四肢。何より目立つのは巨大な頭だ。全身の四割近くを占める頭部は、一度ひとたびあくびをすればワニのように裂ける。


 凹凸おうとつのない顔面。広がった鼻の穴と、つぶらな瞳。俺の知る動物に最も近いのは、カバだ。体長は二メートル近い。


「あれは……」


「おっ。分かるのか、モンスター博士」


「もう、からかうなよ。この距離だと断定はできないけど、おそらく《ディポタス》だ」


 ほとんど吐息だけで会話を交わす。


「詳しく教えてくれ」


「外見も習性も、カバによく似た獣種のモンスターだよ。無印むじるしだ」


「え、そうなのか? 強そうだけどな」


 無印とは、国際狩猟機構が特別危険だと指定していないモンスターの俗称だ。主に草食のモンスターや世界樹ワイズエンドのような、希少度に関係なく、人間に危害を与える可能性の低いものが該当する。


「カバって草食だっけ」


「カバもディポタスも雑食性。基本的には水草を食べるけど、ミネラルが不足したりすると肉も食べるよ。穏やかな性格だから、よほど腹を空かせてない限り、たとえ見つかっても襲ってきたりはしないだろう」


「ハルは本当に博士だな……」


 感嘆する俺をよそに、ハルは俺の服の裾を引っ張った。


「この辺りはディポタスのナワバリみたいだね。確認はできた、戻ろう」


「おい、狩らないのか? あいつの肉、脂肪があって食えそうだぞ」


 ハルはとんでもないとばかりに首を振った。


「三頭もいるんだぞ。いいかい、無印だからって第六級より弱いなんて思ったら大間違いだ。穏やかなだけで、その気になればメチャクチャ恐ろしいってパターンもある。ディポタスもその部類だ」


「じゃあ、その気になったディポタスは危険度でいうと何級だ?」


 ハルは考え込んでから、口を開いた。


「四級かな」


「マジか。あの狼より強いのかよ」


「分かったら、ここは退こう。一頭だけならまだしも三頭いるんだ。それにディポタスの特性は、剣士にとって相性が悪すぎる」


 俺は応えず、逡巡しゅんじゅんした。今は穏やかに水草を食ったり、仲間同士でじゃれ合ったりしているディポタスだが、あの巨体と牙だ。ひとたびいかれば、どれほど恐ろしい存在になるか想像はつく。ハルの判断は、冷静だと思う。


 だが、ここから先に見つけ出せるモンスターが、都合よくディポタスやブラッディハウンドより狩りやすいと、言い切れるか。その可能性にすがるのはちょっと希望的すぎる気がする。


 むしろ今、向こうに見つかる前にこちらがディポタスを発見し、あつらえ向きの間合いに入れているこの状況は、絶好の好機に思えてならない。


 お互い昨日から満足に食事が取れていない。ハルに至っては徹夜明けだし、これから更に神経を張り詰めた行進を続けて、俺たちはどんどん消耗していく。


「ハル。これは直感に過ぎないんだけど。今、ここをのがすようじゃ、ウォーカー失格だと思うんだ」


「……やるつもりなのか、シオン」


 不安一色に染まるハルの顔に見つめられて、俺はにっこり笑った。


「その判断は、お前からディポタスの特性を余すことなく聞いてからだ」


 ハルは目を丸くして驚き、少しだけ不安の取り除かれたような顔で、困ったように笑った。



***



 ハルから全ての情報を聞き取った俺は、決断した。


 茂みから単身、音もなく抜け出て、気づかれないように息を殺してゆっくりと距離を詰める。ハルは茂みに残り、ディポタスたちの背に近づいていく俺をハラハラしながらも見守ってくれている。


 この狩りを見限る条件は二つ。俺がハルに助けを求めた場合。もしくは、これから仕掛ける最初の不意打ちで、三頭のうちの一頭を仕留めることができなかった場合である。


 このどちらかに当てはまる状況に陥った場合、ハルはすぐさま茂みを飛び出し、閃光蛍で俺を救出。狩りを見限って即退散する。ここまで決めて初めて、ハルは俺がディポタスに挑むことを認めてくれた。


『いいかい。何が何でも一撃で決めるんだ。最初の暗殺ステルス・キルで二頭に減らせばまだ勝負になる。けど、もし仕留め損なったら……』


『分かってるよ、撤退だろ。厄介な特性もあるし、三対一じゃあまりに分が悪そうだからな。その時は、閃光で援護頼むぞ。あの図体でクマ並みに速いんだろ?』


『うん。目を眩ませてる間に全力で逃げなきゃ地の果てまで追ってくるだろう。それぐらい、危険な博打だってこと、分かってやるんだよね』


『あぁ。虎穴に入らずんば虎子を得ず。俺は今を、命を賭けるべき瞬間だと信じてるよ』


 なんて、言ったものの。ディポタスの背中が近づくにつれて、やはり体は震える。


 ディポタスは俺の接近に気づいていない。仮に気づいたとしても、向こうから襲ってくることはない。俺が今からやろうとしているのは、眠っているライオンのひげをわざわざ引っこ抜くような行為だ。


 鼓動が早まる。喉がカラカラに乾いてくる。鋼の剣を握りしめた手が、微かに震える。


 天秤を、心に持っておく必要がある。


 決してブレることのない、自分の中のはかりだ。目を閉じて、それをイメージする。俺が今、守りたいのは--


 天秤が音を立てて傾き、対照的に震えはピタリと止まった。俺を目を開け、両脚に力を漲らせて飛翔するように跳躍した。


 茂みが立てた音にディポタスの一頭が振り返ったが、すでにそこに俺はいない。両手を広げて数メートルも上空を舞い、剣を握り直して自分の真下にその一頭を捉える。


 自由落下が始まる。俺は目を見開き、ぐんぐん拡大されていくディポタスの脊髄せきずいを穴が空くほど凝視して間違いのないよう狙いをつけると、右手を唸らせて思い切り剣を突き込んだ。分厚い脂肪をものともせずに貫通し、剣先はディポタスの喉元から飛び出して地面に突き刺さった。


 ズン、と地に伏す巨体の背に着地して、血まみれの剣を引き抜いた俺を、残る二頭のディポタスが、今、初めて視認した。強く動揺する一頭の目から激情の炎が灯るより早く、俺は既にディポタスの亡骸からそいつに飛び移るようにして躍り掛かっていた。

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