第13話 最強のコンビ-2

 目を閉じて、すぐに開いた。


 体感時間の話だ。それぐらい、眠った感覚が全くなかった。一瞬ここがどこかも忘れて、俺はとぼけた顔でむくりと起き上がった。


 傍ではハルが、俺の記憶と全く同じ姿勢で焚き火の前にあぐらをかき、せっせと火の調節をしていた。


「……おはようハル、交代しよう」


 寝ぼけまなこをこすって立ち上がった俺に、ハルは苦笑した。


「おはようシオン。外見てみなよ」


 顔をしかめつつ、俺は欠伸を噛み殺しながら身を乗り出し、洞窟の入り口に続く細道に顔だけ覗かせた。丸い形に切り取られた入り口からは、景気良く茜色の光が差し込んできている。


 ……ん?


「あれ、まだ夜になってないのか? 一時間は経ったはずだろ……」


「まさか。もう朝だよ」


「へ?」


 朝?


「君、12時間以上も爆睡してたんだよ」


 驚愕のあまり声も出なくなった。到底信じられなかったが、ハルは冗談が苦手だ。


「な、なんで起こさなかったんだよ!? 約束と違うぞ!」


「起こそうとしたさ。けどあまりに死んだように眠ってるもんだから、つい」


「平手打ちでも蹴りでもいいから叩き起こせよ! ……お前、まさか一睡もしてないのか?」


 ハルは微笑んだままだ。俺は申し訳ないやらハルのお人好しに呆れるやらで、言葉を失ってしまった。


「そんなことより、体調はどう?」


「そんなことって……そういえば、随分よくなったな。半日も爆睡してりゃあ当然か」


 体は軽く、全快と言ってよかった。死ぬ寸前のアルコール中毒が半日で治るとは、未だにこの世界での回復力には驚かされる。何より、ハルの看病のおかげだろう。


 俺はぐるりと肩を回すと、左肩の包帯を乱雑に剥ぎ取った。途端にハルが血相変えて飛びついてくる。


「ちょっ、勝手に包帯とるな! そこめちゃくちゃ深く噛まれてたとこだぞ、筋繊維までズタズタだった……はずなんだけどな」


 包帯を剥いで露わになった俺の左肩を見て、ハルの言葉はだんだん尻すぼみになる。狼に衣服ごと噛みちぎられた傷跡のあった部分が、まるで何事もなかったように綺麗な肌色に戻っていたのだ。


「うおー、治ってる。ハルの薬草が効いたのかな」


「この辺は赤い草ばかりで薬草の種類が少なくて、してあげられたのは抗菌と解熱程度だよ……一体どんな再生能力してるんだ」


「この谷底、煉素濃度が相当高いのかもしれないな」


 大気中を漂っている煉素だが、場所によって煉素の薄い地域と濃い地域が存在する。生き物の発育に影響を与える煉素は、濃度が高ければ高いほど、生態系を特異に進化させる。


 このフィールドは谷底にも関わらず湿地や密林が広がっているばかりか、十メートル級の恐竜がいたくらいだ。ルミエール周辺とは比べ物にならないほど煉素濃度が高いと予想できる。


 煉素濃度が高ければ、当然その恩恵も強力になる。自然治癒力の向上は煉素の恩恵の一つだが、この場所はそれをより極端にするらしい。


 俺は体のいたるところに巻かれた包帯をずんずん解いていった。全身の傷は全て完璧に癒えており、ハルを驚嘆させた。


「信じられない……モンスターの血でも流れてるんじゃないか」


「んなわけあるか。何はともあれ、どうやら完全復活みたいだ。色々迷惑かけたな。ここからバリバリ働いて取り返すよ」


「無理はしないでね」


 ハルはまだ不安そうな表情だったが、俺が逆立ちしたりバク宙したりして見せると笑顔が戻った。俺たちは話し合い、朝食を調達しにいくことにした。


 俺はハルに寝ていて欲しかったが、寝ぐらになっているこの洞窟周辺の地理はハルしか把握していない。地形や水場、素材の採集ポイントなどを一緒に把握するところから始めようということになった。


 洞窟を出ると、見渡す限り赤色の、気味悪い密林が変わらず広がっていた。俺たちのいた洞窟は、密林の端から突き出した岩肌に空いた横穴だった。俺の出てきた穴は一メートルほど地面から高い位置に空いていた。なるほど、外敵から身を守るには実に都合のいい空間だ。


 ハルは閃光蛍で狼の群れをいた後、俺を担ぎながらこんなに良質な拠点を探し当てたということになる。なんと優秀な相棒だろう。


 横穴から這い出た俺は、まずはハルに水場まで案内してもらった。ハルに続いて拠点から500mほど歩くと、密林をぶった切るようにして細い小川が流れていた。


 煉素には水の浄化作用もある。川の水は透き通っていて、十分飲めそうだった。実際に昨日はハルに促されるままココの水を一気飲みしているぐらいである。


「水場の場所は共有できたし、地理もなんとなく把握した。あとは狩りだな。体が動くうちに精のつくもの食べないと……あぁ、昨日の狼、墓に埋めずに食っちまえばよかったなぁ」


「墓? シオンが作ったの? 意外だな、そんなことするなんて」


「まぁ……誰かさんの顔がチラついてな」


 ハルは何も言ってこなかったが、なぜだか嬉しそうに小鼻を膨らませていた。


「昨日も遭遇しなかったし、この辺りは幸か不幸か、モンスターの生息域の"狭間はざま"みたいだね」


「狭間?」


 聞き返す俺に、ハルが頷く。


「モンスターはそれぞれ"ナワバリ"を持っているだろ。群れを作る種も、個体数が少なく単独で生きる種も、ナワバリ単位で見れば力関係が拮抗している場合が多い。異なる種のモンスターは、互いのナワバリに干渉しないように、有り体に言えばフィールドを分け合って共存している。だから、僕らは多分、あの赤い毛並みの狼たちのナワバリと、別のモンスターのナワバリの狭間にいるんだ」


「なるほど……」


 人間にとってモンスターは敵だが、モンスター同士にも同じことが言える。ハルの話を聞いていると、この広大なフィールドを少しだけ俯瞰で見られた気がした。ハルの青い目にはきっと、状況がもっと客観的できめ細かく見えている。


「よし、こうしよう」


 しばらく考え込んでいたハルが、そう口火を切った。背嚢から羊皮紙を取り出してバインダーに挟み、何やらペンを走らせる。紙の中心に「拠点」と書き、その上部に「水場」、左側に大きく丸を書いて「狼のナワバリ」……どうやら抽象化した地図を作っているようだ。


 ハルは地図上の水場を指で示し、そこから地図の右側--まだ空白の部分に向かって指を這わせた。


「まずは二人で、狼の群れがいた方角とは反対方向に歩いてみよう。慎重にね。そこにはきっと別のモンスターがいるはずだ。狩れそうなら狩る。厳しそうなら戻ってくる。もし見つかったら閃光蛍で逃げ切ろう」


「狼の方にいくのは無しなのか? 数頭程度なら問題にならないけど」


「あの狼はおそらく《ブラッディハウンド》だよ。単体の危険度でいうとシンリンゴブリンと同じ五級だけど、五級の中じゃ上位の部類。群れになると危険度は跳ね上がって四級中位ってところだ。耳が良いから仲間の吠え声を遠くからでも拾って駆けつけてくる。一頭に見つかった瞬間またあの数に囲まれると思ったら、どう? 肉質も良くないし、食用に狙うなら全く割りに合わないと思うな」


「……そんなのモンスター図鑑に載ってたっけ」


「君は生物学をマトモに聞いていないから知らないだろうけど、モンスター図鑑は全部で十二巻あるんだよ。配布された一冊だけじゃまったく網羅できないぞ」


「ま、マジで……?」


 衝撃の事実におののく俺に対し、「マジだよ」とハルはため息混じりに苦笑した。


「まぁ、僕が全部暗記してるから大丈夫だよ。


「全部!? おまっ、生物学嫌いだっただろ? モンスターの話なんて聞くだけで恐ろしいって……」


「これぐらいしか君やマリアの役に立つ方法が思いつかなかっただけだよ」


 ハルはやや自嘲気味にそう言った。


「生態系を少しでも把握しておけば、フィールドの全体像を推察しやすくなる。どんな種類のモンスターがどの辺りにナワバリを張っているのか、生息モンスターの傾向や地理的条件から予想もできる。今は情報が圧倒的に足りない。この地図の空白部分に、行ってみよう」


「了解だ、教授プロフェッサー


「もう、教授はやめてよ」


「それぐらい心強いってことだよ。護衛は任せろ」


 ニッと笑った俺にハルも笑って、俺たちは互いの腕を一度ぶつけ合わせると、未踏破領域に向かって歩き始めた。

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