第12話 ハルク・アルフォード-2

 モンスターを警戒しながら、ハルクは単身森を走り、シオンたちの元へ急いだ。


 地図も道具類も全てシオンに預けてしまったハルクにとって、唯一手かがりとなったのは足跡あしあとだった。今朝自分たちでつけた三人分の子どもの足跡。それを見失わないように追いかけていくこと二十分、ハルクは、足跡の途切れた場所に到達した。


 そこには、肩口を深く斬り裂かれて絶命している、一匹の痩せたゴブリンが血溜まりに転がっていた。ハルクは一瞬息を詰めて、それから辺りを見回した。


 間違いなく、ハルクは二人と別れた場所まで戻ってきた。しかし、ここには既にシオンも、マリアも、二人についていたはずのブラッドも、そしてロイドも、誰もいない。どこかに移動しているのか、もしくは、彼らの身に何か起きたのか。


 不安を押し殺し、ハルクは努めて冷静であろうとした。こんな時こそ落ち着くんだ。自分に言い聞かせ、周囲を観察する。


 シオンの足跡と、それより小さなマリアの足跡は、ゴブリンの死体のそばでぷっつり途絶えている。ここで激しい戦闘があったこともあり、乱雑に足跡が折り重なっているため、それぞれの足跡がどこに消えたのか、なかなか見つけ出せない。


「……あんなところに」


 目を皿のようにして地面を観察し続け、ハルクはようやくシオンの足跡を発見した。それは足跡の途切れた位置から二メートルも離れた場所にあったのだ。見つからないわけである。


 妙な距離が空いているものだ。その足跡を追いかけてみると、その後も、歩いたにしてはあまりに大きすぎる間隔を空けてブーツの足跡が続いていた。


 シオンが全力で走ると、ちょうどこんなふうに数メートルおきに足跡が残る。身体能力の高さゆえに、彼のダッシュはもはや走りより低空飛行に近いのだ。


 --全力疾走……こんな足元の悪い中で?


 胸騒ぎがして、ハルクは足跡を追いかけた。何度も転びかけながら長い距離を走り、どんどん間隔を広げていくシオンの靴跡を辿る。そして、ハルクの足は、はたと止まった。


「……うそだろ」


 断崖だんがい


 森を抜けた先に広がっていたのは、一面、ただただ真っ赤な空だった。地面が唐突に、森ごと世界をぶった切ったみたいに終わっている。


 強風が吹き荒び、ハルクの細い体をいとも簡単に持ち上げようとする。下腹が冷え込むような恐怖を感じてハルクは退しりぞいた。我が目を疑う他になかった。


 その崖の先端に向かって、シオンの足跡がまっすぐ伸びて、そこで消えている。その近くに、シオンのとは別の、大人物の靴跡が薄く残っていた。


 つま先を伸ばし、そろり、そろりとハルクは崖っぷちまでにじり寄った。下を覗き込んで、ハルクの顔は真っ青になった。あまりに高い。五十メートルはくだらない崖の下に広がっているのは、火の海と見間違えるような、一面真っ赤に染まる密林。


 シオンは、ここに、落ちた……?


 信じがたいが、足跡を見る限り、そうとしか考えられなかった。ハルクは脱力し、その場に膝をついて崩れ落ちた。こんなところに落ちてしまったら、どんな強い人間だって助からない。


 うつむいたハルクの目と鼻の先には、首に提げた守護石のネックレスが揺れていた。それを見てハルクは、ハッと目を見開いた。降って湧いた希望である。守護石。シオンもこれを装備していたはずだ。これがあれば、落下のダメージは無効化されたはず。


 せっつくように崖から顔を出し、崖の底を覗き込む。この、血溜まりのような樹海のどこかで、まだ、シオンは、きっと生きている。


 すぐにロイド達に知らせなければ、とハルクは立ち上がりかけて、事態はそう悠長なことを言っていられる段階ではないことをすぐに悟った。


 有事を知らせる煉術の花火が上がってから、すでに三十分以上経っている。落下による死は守護石によって避けられたとしても、この谷底にどんな脅威が蔓延っているのかは全く予想がつかない。今こうしている間にも、シオンは死の危険に晒されているかもしれないのだ。守護石も砕け、装備も貸し出し用のなまくら同然。既に、死んでいる可能性だって--


 いても立ってもいられない。ハルクは恐怖も忘れて立ち上がった。


 どうする。ロイド達が移動中なら、自分の足では追いつけないし、道具もない中探し当てるのも不可能に近い。かと言って国に戻って現役のウォーカーに捜索を依頼し、実際に誰かが動いてくれるまでに、一体どれだけ時間がかかる?


 待てない。そうこうしている間にも、親友は死に近づいている。今にも、死んでしまいそうな状況で、シオンは細い糸を手繰り寄せるようにして戦っている。奈落の底から、そんな気配が届いてくるような気がしてならない。


 無数の逡巡しゅんじゅんを繰り返し、ハルクはやがて、キッと目を鋭くした。考えている時間も惜しい。首にかけた赤い宝石をぎゅっと掴んで、目を閉じる。


 頼むぞ。ちゃんと作動してくれよ。


 崖の先端に身を乗り出し、覚悟を決める。結局、勇気を出すのに四十秒もかかった。ハルクは唇を引き結び、守護石をぎゅっと握りしめて、そうして、崖から、身を投げ出した。

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